これでいいのだ!! | 繭家の人生こぼれ繭

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人にも自然素材にも優劣なんかない。『こぼれ繭』と呼ばれていたものに目をかけて、愛情を持って「カタチ」のある製品にする。そこから生まれる「やさしさ」から「人やモノ」を思いやる心が生まれるのだと思います。

バカボンのパパは大した者ですよね!これでいいのだ!の一言ですから…このところ世界遺産がらみの嫌なことばかり耳にしておりましたのでね…誰にも邪魔されないで、一人で変な事をしているのが一番いいのだ。「一人で変なことをしている」これって私の十八番なんですねえ~ここで笑った人は、私の同級生…私は今日からバカボンのパパになる…これでいいのだ!!

暇で放心している事に耐えられない人は、何を考えているのだろうか?誰にも邪魔されないで、一人で変な事をしているのが一番いいのだ。浮き世に洗脳されると心は下界の汚れでベタベタになり、すぐ迷う。他人と関われば、会話は機嫌を伺うようになり、自分の意志も折れ曲がる。人と戯れ合えば、物の奪い合いを始め、恨み、糠喜びするだけだ。すると、常に情緒不安定になり、被害妄想が膨らみ、損得勘定だけしか出来なくなる。正に迷っている上に酔っぱらっているようなものである。泥酔して堕落し路上で夢を見ているようでもある。忙しそうに走り回るわりには、ボケッとして、大切なことは忘れてしまう。人間とは皆この程度の存在である。
「仏になりたい」と思わなくても、逐電して静かな場所に籠もり、世の中に関わらず放心していれば、仮寝の宿とは言っても、希望はある。「生き様に悩んだり、人からどう見られているか気にしたり、手に職を付ける為に己を研鑽したり、教典を読み込んで論じる事など、面倒だから全て辞めてしまえ」と中国に伝わる『摩訶止観』に書いてある…吉田兼好の徒然草にありました。

ちなみに徒然草75段原文
つれづれわぶる人は、いかなる心ならん。まぎるゝ方なく、たゞひとりあるのみこそよけれ。
世に従へば、心、外の塵に奪はれて惑ひ易く、人に交れば、言葉、よその聞きに随ひて、さながら、心にあらず。人に戯れ、物に争ひ、一度は恨み、一度は喜ぶ。その事、定まれる事なし。分別みだりに起りて、得失止む時なし。惑ひの上に酔へり。酔ひの中に夢をなす。走りて急がはしく、ほれて忘れたる事、人皆かくの如し。
未だ、まことの道を知らずとも、縁を離れて身を閑かにし、事にあづからずして心を安くせんこそ、しばらく楽しぶとも言ひつべけれ。「生活・人事・伎能・学問等の諸縁を止めよ」とこそ。摩訶止観にも侍れ。