こんにちは。
今日はアイルトン・セナについて話したいと思います。
私はF1を見始めたのが、2010年の6月からだったので、セナのことは知りませんでした。でも、セナがこの世から去ってしまった年は、私が13歳の時でした。なので、私の中学卒業アルバムにはセナの出来事が、歴史として載っています。
1994年5月1日 F1サンマリノGP よっぽど忘れられない事件だったのですね。
セナは1991年16戦7勝を挙げ、3度目の、そして最後となるワールドチャンピオンに輝いた。
フランク・ウィリアムズから見たセナ
フランク・ウィリアムズは振り返る。
彼はとても押しの強い若者で、目的意識がはっきりしていた。テストのチャンスをものにするまでの強引なやり方は印象的だった。粘り強くてね。自分がしたいこと、どこに向かいたいのか、そしてそのためには何をしたらいいのかをわかっていた。アイルトンに対してわれわれは、若くて経験のないドライバーはとらないが、もし走らせてみたければマシンの感触を得るチャンスは与えよう、という話をした。
彼がF1マシンに乗り込むのになんの問題もないとわかったね。明らかに彼は特別な人材だったよ。
セナがウィリアムズのシートを得るのは、そこからさらに11年の歳月を持つことになる。アイルトンのすばらしいところは、頭の良さだと思う。本当に知性の優れた人物だった。ある日、彼と会って10分ほど話しただけで、自分は黙って彼の話を聞いたほうがいいと感じたよ。彼はすべてを考え抜いていて、非常に頭のキレる人物だった。彼は常に事前に少なくとも3つの動きと4つの対応策を用意していた。心構えにも驚くべきものがあったね。彼が最初から心を許すことはなかったが、ひとたび信頼を勝ち取ればそのことがわかったと思う。
ドライバーとしてだけでなく、人間としてもセナを高く評価する。
その他に、アイルトンについて好きだったのは、このスポーツに対する情熱だ。とにかくモータースポーツを愛していた。モータースポーツの話題なら、何時間でも彼と話していられただろう。スピードと勇気はミハエル・シューマッハーと同じくらいだったが、頭の良さではアイルトンのほうが上だったのではないだろうか。
レースに対する情熱は、運命のサンマリノGPでもまったく変わることはなかったとフランク・ウィリアムズは言う。とにかく勝つことにこだわっていた。センセーショナルなドライバーであり、尋常でない個性の強い人間だった。あの1994年シーズン、アイルトンは、ミハエル・シューマッハーが不当に優遇されていると感じていたようだ。だからあのイモラで、ミハエルに打ち勝つと心に決めていた。
フランク・ウィリアムズは事故については多くを語ろうとしない。私はあまり過去を振り返ることをしない。レースは明日に向うもの。頑張って成功を目指すもの。優勝はすばらしいが、常に次の勝利を目指していくだけだ。
深い悲しみを胸の奥底にひめながらも、それでもF1は続いていく。そして、それがこのスポーツを愛したセナへの礼儀でもあることをフランク・ウィリアムズは誰よりも知る。「彼のことは忘れない。いまでもマシンに彼への思いを表現している。彼が亡くなってからずっとマシンにステッカーを貼っている。それが、偉大なドライバーに対するわれわれの敬意の表し方だ」