我が家の怪獣「マユラ」も、ずいぶん大きくなりました。
はじめての妊娠発覚から現在に至るまでの、怪獣ちゃんとの日々を
思いつく限りで書き留めていきたいと思います。
生後0ヶ月のマユラ その1
出産後1週間の入院から退院した私とマユラは、自宅から車で30分弱の
ところにある私の実家に1ヶ月ほどお世話になることになっていた。
出産の直前までいた実家。
母も、もちろん「ぼちぼちとは」用意をしてくれていたようだが、
予定日まであと2週間ほどあったこともあり、のんびりしていたようだ。
母は、私が小学校へ入学した年の夏から自営業をしており、
とても忙しい毎日の中、少しずつ私やマユラのために、用意して
くれていたようだ。(感謝!!!)
退院し、夫が運転する車で自宅そばの、両親の自営業店舗へむかうと、
父が走って出てきた。
そして、目を細めてマユラを見たあと、
「ママは、もう自宅へ行って準備しているから、まっすぐ行け~」
お礼を言って、そのまま実家へ。
自宅へつくと、入院前まで私が泊まっていた部屋(独身時代の私の部屋)に
ベビーベットがセットされ、オムツがセットされ、TVがセットされていた。
そして、私も疲れているだろうからと、布団も惹かれていた。
本当にありがたかった。
夫は、この頃には私の両親ととても仲が良かったので、
夫も私たちと一緒に実家にお世話になることになっていた。
母は、マユラを抱き上げ、ずっとあやしてくれていた。
(実家にいた1ヶ月の間、マユラをあやしたり、寝かしつけるということに
関しては、母の右に出るものはいませんでした・・・。さすが!!)
私は疲れているのに、なんだかまだ「興奮状態」。
しっかりと洋服(妊娠前より、この段階でかなり体重も落ちていたので
ちょっと細身の服^^)をきて、過ごしていた。
夕方には、私の姉たちがマユラを見に来てくれ、にぎやかな夜。
私自身、ようやくホッとできた。
0ヶ月の成長記録
無事退院したマユラは、怪獣らしく怒濤の快進撃を繰り広げて、
巨大化への道をひた走っているのです・・・。
2002年5月18日(日) 生後2週目
本当ならば、昨日が予定日でした。マユラの体重はジャスト!
体重 3000g
2002年5月22日(水) 生後17日目
気が向いたマユラママは体重を計ってみました。
体重 3300g
2002年5月25日(土) 生後3週目
肌着からだいぶ手足がでるように。
体重 3500g
2002年5月29日(水) 1ヶ月健診
健診のため、退院の時以来の外出♪
体重 3598g(+822g)
身長 51.0cm(+2.5cm)
胸囲 34.0cm(+3.2cm)
頭囲 35.5cm(+3.5cm)
「育児観」の相違??
夫と自分が育った環境というものは、もちろん「同じ」ではない。
父親がサラリーマンだとか、母親も子ども(私や夫)がある程度の
年齢になってから働いていたとか、両親ともにどちらかというと
学歴を重視する傾向が強いとか、大枠では似ているけれど、
どんなに似ていても、全く同じ環境で育った人なんてそうそういない
だろうし、夫と私の育った環境も、細かく見ていくと、かなり違う。
今日、娘の行動への怒り方で、夫と意見が対立した。
例えば娘が何か悪いことをしたとき、
夫→たとえ、その「悪いこと」について怒っている最中に娘が
「ごめんなさい」と言っても、娘に最初から「何が悪かったのか、
どう悪かったのか、何に対して謝っているのか」等々を
娘自ら細かく言ってから謝らないと、受け付けない。
私→娘がその「悪いこと」をとぼけていたりしたらもちろん「何が
悪かったと思うのか」をそこで問うが、その行動について
怒られている最中に謝ってくれば、それは受け入れる。
その上で、どういうところが悪かったのか、聞いてみる。
なんだか、文章で書くといまいちわかりづらいのですが・・・。
明日はせっかくの祝日だというのに、夫との関係は今現在
最高に険悪なのです・・・・。
病院での1週間の成長記録
出産した5/5~5/11までの1週間、私とマユラは入院生活を
過ごしました。
私にとっては、幼稚園の頃に肺炎で入院して以来の病院生活。
マユラにとっては、この世に生まれ出て、初めての生活をした場所。
この1週間で、マユラも随分大きくなりました。
5月5日(日) 出生後1日目
午前4時52分、誕生!
体重 2776g
身長 45.8cm
胸囲 30.8cm
頭囲 32.0cm
5月6日(月) 出生後2日目
オッパイが足りないようで、新生児室でブドウ糖液をもらいました。
体重 2608g
5月7日(火) 出生後3日目
出張から帰ってきたパパと、ようやく初対面!名前も決まり、パパは早速
出生届を提出に役所へ行きました。
体重 2608g(増えていない・・・)
5月8日(水) 出生後4日目
前日、夫がBabyと初対面を果たしたあとに、友人達に出産を連絡したことも
あり、たくさんの人が面会に来てくれました。
体重 2614g
5月9日(木) 出生後5日目
初めての沐浴を体験!ママも初めての沐浴におっかなびっくりでしたが、
マユラは泣きもせず、気持ちよさそうにしていました。
体重 2652g
5月10日(金) 出生後6日目
ママもマユラも、ともに退院時診察をクリアし、明日の退院が決定!
へその緒もとれました。
体重 2648g
5月11日(土) 出生後7日目
退院!いよいよ外の世界へのデビューです。パパが朝早くから、
車で迎えに来てくれました。病院でお友達になった人たちともしばしのお別れ。
また一緒に遊びたいね!
体重 2650g
出産当日のその後 その2
朝早く出産を終え、日中もどうにも興奮状態にいたような私。
お昼前には、新生児室から、Babyは私のそばへ。
「疲れているから・・・」と言えば、まだ新生児室で預かってくれるのだが、
興奮状態にあって、目がランランとしていたことと、
そして、子どもを預けっぱなしだと「駄目な母親だと思われそう」という
不安があった私は、早速Babyを同室へと連れてきた。
今となっては、出産後すぐなんて、育児のスタート地点を切ったばかり。
入院中だけは、ゆっくりすればヨカッタかな?なんて思うのだけれど、
そのときは、そう考える余裕もなかった、というのが事実。
生まれたばかりのBabyは、つい数時間前までお腹の中にいたことが
信じられなかった。
午後から、私は夫に電話をかけた。
夫は、私が電話を直接するまで、
「母体やBabyになにかあったのではないか」「緊急帝王切開だったのでは?」と
思っていたらしい。
そりゃそうだ。
前の日の夜中近くまで、普通に電話で話していて、
翌朝早くには「生まれました。」と義母(つまり、私の母親)から連絡が
いったのだから。
その間わずか5時間程度。
初産だったから、もっと時間がかかると思っていただろうし、
予定日より12日も早かったせいもあって、何かあったのではと心配していたようだ。
電話で話すと、ようやく落ち着いたようで、Babyの名前について話した。
実は、前々から名前については話し合っていて、
女の子なら夫が、男の子なら私が名前の最終決定権を持っていた。
出産前から「女の子であろう」と言われていたので、
夫が色々と考えていた。
私からの希望は「漢字でもひらがなでも、二文字が良いな~」ということ。
私自身の名前は、漢字で二文字、ひらがなだと三文字なのだが、
なんとなく、ひらがなになおしたときに「二文字の名前」にあこがれていたのも
あったし、呼びやすいかな~ということもあり。
夫は、Babyの名前をある名前に決め、教えてくれた。
ただ、最終的に決定するのは、夫が出張から帰り、
Bsbyに対面して、直接顔を見てから、ということになった。
夕方、私の両親、姉たち、姪っ子達がお見舞いに来てくれた。
私も、ようやくホッとした。
出産当日のその後 その1
午前5時前に出産。
春だったこともあって、分娩室の窓から見える空は
もうすっかり明るくて、
とてもとても青かったのです。
その光景は、今も目に焼き付いています。
そして、ただひたすら泣いている我が子^^;;。
先生や助産婦さんにも
「元気な赤ちゃんだね~^^。」
と言われるほど、泣きまくっていました。
私はといえば、一般的に言われている初産婦の陣痛&分娩時間よりは
かな~~~り短かったものの、急激に進んでいったためか、
それなりの疲れはあり、ボ~~~~っとしていました^^;;。
出産時に出血がかなり多かったことと、他の人もそうなのか
点滴をされていたのですが、実は私の持っている持病(といっても、
現在はほぼ回復しているのですが)には禁忌の薬が入っているのが
点滴後すぐに判明し、先生と助産婦さんは青くなって、
私のカルテを片手に走り回っていました。
・・・が、そんな光景も思わずほのぼのとした気分で見てました。
切開した部分の縫合も終わり、諸々の処置が終わって
分娩室から病室へ移動したのが午前6時すぎ。
どうにも人に頼ることに気が引けてしまう私は、
ストレッチャーへも自分で移動し、助産婦さんに心配されました^^;;。
分娩室の前には、両親が待っていて、感無量の表情で
私と、生まれたばかりの我が子を迎えてくれました。
感動的な場面なのですが・・・・・
私の両親も、我が子の顔が夫そっくりなのを見て大爆笑(苦笑)。
唯一救われるのが、夫の顔というのが、ぱっちり二重の、どちらかというと
可愛らしい顔だということ。
そう。我が子は生まれ出てすぐにもかかわらず、すでに二重だったのです。
まだみんな眠っている6人部屋に入り、ようやく一安心。
我が子は、両親との対面後、新生児室へと運ばれていったので、
一人でゆっくり横になりました。
両親はいったん帰ることに。
しかし、まだ興奮状態だったせいか、全く眠ることができず、
午前8時過ぎの朝食の時も、自分で配膳を受け取りに行き、
戻ってきて少しだけ食べ、また下げに行き・・・・。
助産婦さん達や同室の人には心配されましたが、
動いていないと、どうにも落ち着かないでいたのでした。
出産! その4
5/5の午前4時半近くに、私はいよいよ分娩室に通された。
(あとで同室になった人に聞いたところによると、彼女は数日前から
陣痛室におり、夜中の物音で目が覚めて、「ああ、ここにも仲間が来るんだな」と
思っていたら、まっすぐ分娩室に行ってしまい、びっくりした!とのことでした^^;;。
初産の人は、たいてい子宮口が開き初めてから前回になるまでが長いらしく、
お産自体も時間がかかるというのが「教科書的な」一般論。
だから、私の両親も、私の自宅へ荷物を取りに行き、まとめてあった鞄2つを
持って、病院に戻ってきたのは、私が分娩室に入って10~15分後くらいだったようで。
ちょうど両親は、臨月だった私も含めて、姪達を連れてのんびりできる公園にでも
行こうと計画していた。姪っ子達はきっと楽しみにしているだろう。
ということで、自販機の珈琲を二人で飲みながら、母は父にこう告げたという。
「初産だし、たぶん生まれてくるのは昼過ぎくらいだと思うよ。
昨日の夜もあまり眠れなかったし、孫達(私からすると姪っ子)を連れて行く約束を
していたから、パパ(私の父のこと)はいったん家に戻って休んだら?」
父も「そうだなぁ」と。
この両親の意見、一般的にはごもっともな意見なんです。
そのとき、分娩室の中では、孤独な戦いが続いていました。
呼吸がうまくできなかったり、いきみ方が上手じゃなかったり・・・。
ただ、担当の助産婦さん(ベテラン1名、知り合い1名)いわく、
「こんなに声を出さないで、痛みを耐えている初産婦なんてめったにいないわ~。」
とのことでした^^;;。
っていうか、声を出す元気もありませんでした。
そして・・・・・
午前4時52分、待望の女の子誕生!!!
外は白々と明るくなってきていて、綺麗な青空すら見えていたのが印象的でした。
珈琲を飲み終わったら、母は残って、父はいったん帰宅して・・・と
話している最中、助産婦さんから
「元気な女の子のお子さんが誕生されました!!」と報告を受けた両親は
一瞬何のことかわからなかったそうです^^;;。
はっきりした10分間隔の陣痛(本人はそうとらえていませんでしたが^^;;)が
始まって病院に来るまでが4時間弱。到着地点ですでに子宮口が7cm、
少したっての内診の時には9cmもひらいており、分娩自体も、助産婦さんに
聞いたところによると、「いきんで良いですよ!」とgoサインが出てから
わずか20分足らずだったようです・・・。
超スピード出産に、主治医の先生は「もし、お二人目をお考えでしたら、
予定日が近づいてきたら入院された方が良いかもしれません」といい、
出張先で、この朗報を母からの電話で知らされた夫は
「初産婦でこんなに早く生まれるはずがない。絶対に帝王切開に切り替わったんだ」と
思っていたそうです。
頑張って生まれてきてくれた娘の顔は、パッと見るなり・・・・・主人のコピー^^。
助産婦さんは、主人のことも知っていたので、二人で分部室で大爆笑してしまいました。
両親に初めて見せたときも、声をそろえて「コピーだ(爆笑)」
思ったよりも随分早く出てきたbabyちゃんですが、実家の両親達がやっている自営業を
臨時休業にさせることもなく、ある意味グットタイミングで生まれてきてくれました♪
7日まで出張中の夫にとっては、本当にバットタイミングだったようですが^^。
出産! その3
痛みを感じだしたのが5/5の0時近く。
それから2時間経った午前2時頃、お腹の痛みは続いていた。
ちょうど実家にいたので、母を起こそうかなとも考えたが、
このときになっても、頭の中に浮かんだのは
「お腹壊したくらいで起こすの、悪いよなぁ。まだ真夜中だし・・・。」
それからさらに1時間ほど、寝室とトイレの往復をしながら我慢した。
午前3時頃になり、私はようやく「普通じゃないかも・・・。」と思い、
眠っていた母を起こした。
私「夜中にゴメン。0時くらいからお腹がずっと痛くて・・・・。」
母「え!!!」
この頃には、自分の寝室(2階)へ戻るのも辛くなっていた。
母「今・・・3時すぎか・・・。病院へTELしてみる?」
私「う~ん・・・、一応かけようかな。じぶんでかけるわ。」
(病院へTEL)
私「もしもし。かくかくしかじか、こういう状態なんですが・・・・。」
看護士さん「その状態なら、一度来院してもらえますか?」
私「わかりました。今、実家なので、用意して、30分くらいでつきます。」
TELを切ったあと、強烈な吐き気に襲われ、トイレに駆け込んだ。
その様子を見て、母も「これは病院へ連れて行かなきゃ」と思ったらしい。
そして、ちょうど泊まりに来てた姉(二人の子持ち)も「陣痛だろう」と
思ったみたい。
とりあえず、パジャマだった私は、簡単な着替えをして、
最低限必要そうな物(財布や携帯など)を鞄に入れて、
起きてくれた父の運転する車で、母と3人病院へ向かった。
車の中でも、数分おきに声も出せないような痛みが襲ってくる。
グッとこらえていると、その波が落ち着いてくるが、鈍い痛みは続く。
心配そうに見つめている母や、ミラー越しに心配してくれている父。
痛みが鈍ったときは、極力しゃべるようにしていた私。
真夜中だったため、道は思いのほか、すいていた。
午前4時前に、病院へ着いた。
病院のチャイムを押し、産科病棟へ来た旨(大きな総合病院だったので)を告げると
守衛さんが、中からドアを開けてくれた。
そして、私の様子を見て、車いすを使うように促してくれたが、
なんとなく歩いた方が良いような気がして、丁寧に断った。
入り口から通路を歩き、エレベーターホールで待っている間、
とてつもなく長い時間に感じた。
ようやくエレベーターに乗り、産科病棟へ。
ナースステーションをのぞくと、看護士さん(助産婦さん)が待っていた。
そこでビックリ!!
なんと、ちょうど深夜勤の助産婦さんが知り合い(というか、友人)だったのだ!!
彼女がその病院に勤めていることは知っていたが、検診も含めて1度も
出くわしたことがなく、「なんか、縁がないね~^^;;。」と話していたのだ。
出産の時に、知り合いの助産婦さん・・・というと、イヤだと思う人もきっと多いと
思うのだが、私は彼女の顔を見て、なんだかようやくホッとした。
すぐに、診察室に通され、内診。
医師「もう、子宮口が7cm開いてる!!!!!!!!!」
私「え!!!」
痛みが辛かったが、その後、破水していないかの検査のためトイレへ。
戻ってきて、再び内診すると
医師「もう9cm!!!!!すぐ分娩室へ通して!!」
看護士「はい!!!!!」
私「(心の中で、ひゃぁぁぁぁ!)」
待合室で待っていてくれた両親には、分娩室にもうはいることが説明された。
そして、看護士さんから、入院のための荷物を持ってくるように言われたということで、
私は、自宅マンションの鍵をわたし、荷物のある場所を伝え、お願いした。
その場で、着替えをして、すぐに分娩室へ通された。
看護士さん達も、あわてて分娩室&出産の準備をしていた。
両親はとりあえず、あわてて荷物を取りに行ったようだが、
私が初産婦だということもあり、たぶん昼くらいまでかかるだろうと思っていたらしい。
痛みで時計なんてあまり見ていなかったが、
私が分娩室へ、そして両親が荷物を取りに私の自宅へ向かったのが
たぶん、午前4時半少し前くらいだった。
出産! その2
その日の午後、外食から帰ってきたあとものんびり~♪
ただ、なんとな~~~くお腹が張っているのは気にかかったが、
まあ、もう38週に入っているし、結構動いたからなぁと思っていた。
夕食も普通に食べ、22時過ぎに夫とTEL。
私「今日は天気良いから、散歩がてら、駅から歩いたよ。」
夫「そうだったんだ~。実家まで送ったのに。」
私「いや、天気良かったから、歩けてヨカッタよ。」
夫「今日は何していたの?」
私「お昼、カレー食べに行ったりね~、○○○・・・・。」
色々しゃべっている中で、ふと私は夫に言った。
私「なんか、今日、お腹がちょっと張るんだよね~。」
夫「まあ、もう臨月だしね。」
私「そうか・・・・。でも、たまに痛い気もするんだ。」
夫「気のせいじゃない?」
そのとき時計は0時近く。
とりあえず、私は電話を切った。
ものすごく眠たくなってきたのに、お腹が何だか痛み出していた。
「なんか、悪いものでも食べたかなぁ。臨月にお腹壊しても
特に問題はないんだろうけど・・・。何食べたかな・・・。」
トイレに行ってみるが、とくに下すわけでもなく、しばらくすると痛みが
おさまるから、また寝室へ。
眠りにつくと、またお腹の痛みで目が覚める・・・。
時計を見ると、まだ10分しか眠っていない・・・。
またトイレへ行ってみる。
なんだか、いわゆる「くだしそうな」お腹の痛みがあるが、くだすわけでもない。
そう、いくら初産婦とはいえ、ここらで気づくべきでした・・・・。
何度トイレへ行っても、くださない。
↓
トイレで少ししゃがんでいると、痛みが治まるので寝室へ戻る。
↓
眠いから寝るが、また痛みで目が覚める。
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時計を見ると10分しか経っていない。
↓
下しそうな痛みなので、とりあえずトイレへ行ってみる。
↓
最初に戻って、その繰り返し・・・・。
今思うと、「陣痛」だったんです!!!
予定日から2週間弱も前のことで、なぜか「陣痛かも」と思いもしませんでした^^;。
