週の初めの日、朝早く、まだ暗いうちに
(ヨハネ20・1)
ついに来た
まちわびつづけたEaster
そしていつも想いを巡らせる
二千年前の復活の朝も今日のように爽やかな晴れだったのだろうかと
昨年末から教会へ行くことが何故かつらく
今日まで行かずにいた
YouTube配信もあるし足も骨折したところだし
このままでもいいかも…などと思いながら
でも一通の報せが入ってきた
司祭の異動…
主任司祭ももうおひとりの司祭も一度に異動となってしまう
あのコロナの頃
特殊とも言える時代を一緒に過ごさせていただいたわたしは
主任司祭から案内係を担当するよう仰せつかった
この状況は永遠に続くものではないとアタマでは理解していても
閑散とした教会にひとが戻るのはいつになるのだろうかと思った
今朝久しぶりに訪れた教会は
この教会の所属者しか参列できないという制限もなくなり
ひとで溢れかえっていた
座席が足りずパイプ椅子もすべて使用されるほどだ
海外からの訪問者も多い
ふと一気に想い出が込み上げてくる
母が亡くなったときも
わたしが病気になったときも
父が亡くなったときも
「それが司祭の仕事ですから」
と仰りながら主任司祭にお気遣いを頂いたこと
もう父が長くないとわかり
事情を説明するうちに涙がこらえきれなくなったわたしに
案内係の先輩がとても良くしてくださったこと
今日も
「骨折してるの?! 代わりに席を探してきます」
などと親切にして頂いた
いろんなひとが
いろんな想いを携えてここにくる
教会とは建物のことではなく
そこへ集うひとたちのこと
ミサ後に主任司祭に挨拶をさせて頂いたとき
「最近お見かけしないのでどうなさったのかと思っていたんですよ」
とお声がけ頂いた
ここのように大きな教会を任されるのは大変でいらっしゃるだろうに
わたしのような信徒のひとりさえ見ていらっしゃる
なんてありがたいことだろうか
来週はいまの司祭たちの最後のミサ
このご縁に心からの感謝を込めて明るく見送ってきたい
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