母が亡くなったときのことを書いたが
死という事実以外にも衝撃だったことがあったので記しておく
いまのわたしは人生の棚卸しの時期にいるから
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いよいよ危篤となったとき
HCU(High Care Unit)の責任者である看護師長がわたしに言った
「お母様の個室は面会フリーにしました」
「連絡したいかたがいれば今のうちに」
特に連絡したい親戚はいなかった
母が大切にしていた甥たち(わたしの従兄弟)はみな土日に関係のない公務員なので恐らく個人携帯は繋がらない
その他の親戚は母自ら疎遠にしていたし
わたしもあまり良い印象を持っていなかった
それに親戚も高齢で
コロナが叫ばれ始めたこの時期に病院まで呼び寄せるのも気が引けた
そんな中
唯一連絡したかたがいる
教会の主任司祭だ
母はカトリックなので母の望む最後を贈りたかった
それが子としての最後の務めだと思った
連絡すると司祭はこうおっしゃった
「もしお望みでしたら病者の塗油を授けに行きますが」
それは想定外の回答だった
葬儀の件と
母の教会籍(届出の有無)について尋ねるつもりだったからだ
司祭という職業はヒマなのではないか?
と思うかたもいらっしゃるかもしれないがそれは大きな誤りだ
職務範囲は多岐にわたり多忙なのが常
そんな司祭が来てくださるとおっしゃっるのならと是非いらしてくださるよう依頼した
予定より早くに司祭は来てくださったのだが…
「○○という男性が来ていますが知っている人ですか?」
「はい教会の主任司祭です」
そう回答するやいなや激しく叱責された
面会フリーなのは親類縁者のみに限定され
第三者の立入りは厳禁だったのだ
看護師長の言うことは尤もだった
「病院が定めた禁止事項をいち従業員の私が覆す訳にはゆきません」
「もし今回許可したら『あの家族は他人を呼べたのにどうしてウチは駄目なんだ?』となってしまいます」
「ここはHCUなんです」
司祭の主張も尤もだ
「信仰の自由は認められています」
「ご家族も、そして恐らくご本人も望んでいらっしゃる」
「貴院では終末ケアすら認めてはくださらないのでしょうか?」
軽率だったと反省したがこの場を収める術がわからなくて動揺するわたし
互いに譲らず廊下で火花を散らす看護師長と司祭
どちらも「いのち」の現場をよく知る者で
どちらも正しく間違っておらず
どちらも引かなかった
例えるなら
対峙するヘビとマングース
それをオロオロしながら所在なく見ている観客
看護師長と司祭とが互いに主張し合った暫くの後
看護師長が怒りを込めた声で言った
「病院長に聞いてきます」
「あなたのような人が司祭だなんて信じられない!!」
結果として司祭は入室を許された