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高校生時代

今回は私の高校生時代について書きます。

高校生時代は、他の時代と比べて、比較的重たくない内容となっています。


私は、小学校~中学校と地元の学校に通っていたため、常に過去のいじめ体験を引きずって生活していました。


その生活から脱却するために、高校は遠方の私立高校に通うことにしました。


その高校は当時男子校で(現在は共学になっていますが)、自宅からは電車で一時間ほどの場所にありました。


高校生活は、中学生の頃のように堅苦しいものではなく、比較的自由に過ごせていたように思います。


休憩時間に漫画雑誌を読んでいる生徒もいれば、午前中に早弁している生徒もいる…私にとって義務教育時代と比べると幾分、過ごしやすい環境であると感じました。


男子校といえば、先生と生徒がいつもやりあっている、殺伐としたイメージを持っていたのですが、予想に反して、やんちゃだけれども情のある、結構良い人間ばかりの集団でした。


いじめに関しても、高校三年間を通じてほぼ目立ったものはなく、そのことは私にとって非常に喜ばしいことでした。


ただ、あいわらず、休憩時間と体育の時間が非常に苦手でした。


休憩時間は基本的には何をしても良かったのですが、私は積極的に友達を作ることをせず、中学時代と同じようにひたすら机に伏せて、寝ているフリを続けていました。良くおしゃべりしていた人間と言えば、部活で知り合った別のクラスの友達ただ一人だけでした。


体育の時間はどの競技もほぼすべて苦手で、いつも体育の時間が来るのを恐れていました。体育の時間には、生徒どうしが二人一組になってペアで練習することがあるのですが、どんくさい私はいつも一人だけ余り、いつも相手は体育の先生でした。


体育の時間の嫌さに、学校を休むこともよくありました。朝、通学時に学校に向かう電車に乗るのが嫌になってきて、近所のゲームセンターに入り、そのまま昼間で遊んで学校を休んでしまうことも多くありました。進級できる欠席日数の限界は20日間だったのですが、どの学年でも20日間目一杯休むことを繰り返していました。


部活は中学時代の反省を生かして、文化系の吹奏楽部に入りました。幼い頃、一時期ピアノを習っていたことがあったので、音楽にも少し興味がありました。楽器はホルンを担当し、毎日夕方遅くまで部活に通ってホルンを吹いていました。


吹奏楽部では、みんなで練習してその成果をコンクールで発表する、という初めての集団活動の醍醐味を味わい、非常に貴重な経験が出来たと感じています。


しかし、根っからのひとり好きである私は、最終的には高校二年生になって吹奏楽部を退部しました。当時部活で仲良くしていた友達が一人、同時期に一緒に退部しましたが、その友人とは大学時代まで友達付き合いが続くことになります。




アスペと、漫画と、まゆイヌと-ホルン
懐かしの、ぐるぐるホルン。




部活を辞めた理由のひとつに、美大に進学するために絵の教室に通い出したこともあります。当時、自分の人間関係の苦手さにいつも悶々としていた私は、何か特別な技術を身につけないとこの先食べていけないだろうなぁ、と漠然と思っていました。


その末に思い至ったのが、美大を目指すことでした。


子どもの頃の夢である漫画家やイラストレーターといった、絵を描いて食べていく仕事がしたい、と思ったのです。当時からそういった職業は花形商売で、競争率の高い、非常に厳しい世界でした。それでも、自分には他にやれることがない、という気持ちから、その道を目指したいと思ったのです。


絵の教室には一年間ほど通いました。その結果、自分が出した答えは、私には絵の才能がない、というものでした。つい、絵の教室に通っている他の人達と自分の絵を比べてしまい、いつも勝手に落ち込んでいました。また、絵の世界でもコミュニケーション能力が必要だ、という情報をどこからか入手してきて、その情報に心が囚われてしまい、無駄に否定的な方向へ思考を走らせました。


美大受験について父親との意見の対立もあり、結果的に美大進学を諦めることとなりました。美大を諦めた私は、指定校推薦枠でエスカレーター式に、その高校と同じ系列の大学へ進学することとなりました。


今思えば、浪人してでも、やりたい事をとことんまでやっていれば良かった、と思っています。そうすることで、多少なりとも、現在の後悔の念が薄らいでくれるように感じるからです。


ただ、当時のネガティブな私には、その決断をすることは到底出来なかったとも思います。


現在、休職となり、自分の事を見つめなおす日々が続いておりますが、これからのことを考えるヒントが、この時期にあるような気がしています。


自分の気持ちに素直に生きられるよう、今後もしっかり考えていきたい、と思っています。


乱筆乱文、長文、失礼いたしました。読んでいただいた方には感謝しております。



私の仕事6 「機材搬入作業」

今回は私の仕事シリーズ第6弾「機材搬入作業」をお送りします。


私は6年ほど前、ごく短期間の仕事ばかりですが、ちょくちょく搬入の仕事をしていました。


搬入するものは、オフィス機器(事務机、イス、コピー機器など)、店舗用商品陳列ラック、建築資材、ゲームセンターの筐体、ジムのトレーニングマシーン、マネキン、宝飾品、デスクトップPC、サーバマシン等など、様々な種類のものを搬入していました。


搬入する機材は、たいてい重量物ばかりで、ときには100kgを超える重量のものもありました。そういった場合、複数のアルバイトが協力して一緒に運ぶことになります。しかし、私はみんなと上手に息を合わせることが出来ず、よく失敗をしていました。特に、機材を運びながら階段を上り下りするときは、非常に危険な状態に陥ることが多くありました。ひとりのミスが、他の者の命取りとなるため、複数での協力作業には非常に緊張し、大変な気疲れを起こしていました。


重量のあるものを搬入する仕事が多いため、私は常に滑り止めゴムのついた、強力パワーグリップ軍手を使用しておりました。この軍手を使用すると、通常の半分くらいの力でものを運べるようになるので、とても役に立ちます。


仕事の内容自体は、搬入口に到着したトラックから積荷を降ろして、指示された規定の場所へ運んでいく、という単調なものでしたので、特に問題はありませんでした。


ただ、搬入の仕事は、肉体的に非常にハードな仕事であることは間違いないと思います。搬入の仕事を終えた次の日は、筋肉痛と腰痛で動けなくなってしまったケースもありました。





アスペと、漫画と、まゆイヌと-腰痛
重いものを持つときは、ちゃんと腹に力を!




仕事内容にはそれ程問題はなかったのですが、やはりこの仕事でも人間関係に一番悩んでいました。搬入の仕事に応募してくる人は、結構ガラガラしたアンチャン系の方が多く、もろに天然・生真面目系の私はよくからかわれていました。休憩時間の話題も、車、ギャンブル、風俗の話題がほとんどで、私にはとてもついていけませんでした。私は髪も染めておらず、身なりが今風の若者ではなかったため、「お前、本当に日本人かよーっ!?」と、おちょくられることもありました。


職場の雰囲気には馴染めませんでしたが、単純労働であることと、仕事中ほとんど話さなくて良い環境は、私にとって居心地が良かったように感じます。


あと、重労働の仕事のオマケとして、筋肉が増え体つきが引き締まって、メタボ系の私にはその点もありがたかったです。


若干危険を伴う、腰が命のアルバイトでしたが、経験出来て良かった、と感じています。

自己視線恐怖症

今回は、私が長年抱えている症状、「自己視線恐怖症」について書きます。

長文で、しかも内容がハードなものになりますので、ご容赦ください。


他人からの視線が気になる「視線恐怖症」という言葉は、良くお耳にされる言葉だと思います。私の場合は、自分の視線が他人に不快感を与えているのではないか、ということに囚われてしまう「自己視線恐怖症」というものを抱えています。


医学的にそう言った分類がなされているかどうか不明なのですが、この症状によって、私は大きな生きづらさを感じております。


日常生活で困るシーンは多岐に渡ります。


(1)書店で立ち読みをしているときに、隣で立ち読みしている人が自分の視線の中に入ってきてしまい、読書に集中出来なくなる←立ち読みするな!というツッコミは無しの方向で…、(2)飲食店などで食事をしているとき、向かいの席や隣の席の人の姿が視界に入ってきてしまい、緊張し過ぎて食べ物の味がわからなくなる、(3)道で人とすれ違う際に、どこに視線を向けて良いのかわからず、挙動不審な態度になる、(4)電車に乗っているとき、どこに視線を向けて良いかわからず、目を閉じて寝たフリをしないといけない、(5)ハローワークなどで仕事検索マシーンに座ると、隣の人の姿が気になってしまい、頭がパニック状態となり、まともに仕事情報検索が行えなくなる、などなど…




アスペと、漫画と、まゆイヌと-ギラッ☆
私の視線は、隣の人の反感をすごく買います。




どういったメカニズムで脳の混乱が起きているのか、私にはまだわかっていません。神経症関連の書籍も読んだりして、色々な方法を試してみたのですが、なかなか症状が治まってはくれません。あるカウンセラーの方に「サングラスを使用して、こちらの視線がわからないようにしてみたらどうか?」というアドバイスを頂いたのですが、私にサングラスは似合わない感じる為、まだ実行に移せていません。


この「自己視線恐怖症」を一番強く自覚するようになったのは、大学卒業後の公務員試験浪人の時期です。


十年程前、私は公務員になるために、専門学校に通いながら公務員試験の勉強をしていました。しかし、そこでの勉強内容は、私の頭脳ではとてもついていけるレベルのものではなく、いつも脳みそをフル回転させて勉強に励んでいました(特に、数的処理という、数学系の分野がさっぱりでした)。


その、勉強についていけていない、公務員になれないかもしれない、という予期不安の影響からか、その頃から強くこの「自己視線恐怖症」の症状に囚われ始めました。その後は専門学校での勉強にまったく集中できなくなり、結果として公務員試験は全滅に終わり、私の公務員試験ライフは終了しました。


「自己視線恐怖症」は、他者が存在する場面では、ありとあらゆるケースで発症してくるため、本当に厄介な症状だと感じています。


ただ、これまで比較的症状が緩和されたと感じたのは、やはり落ち着ける場所にいるときです。


安心して話せる相手、心を許せる相手であれば、他人と関わる場面であっても、それほど症状が顕著にならないようです。


このことから、この神経症症状の根幹には、私の自信の無さ、自尊感情の低さが横たわっているように感じます。


この「自己視線恐怖症」が、発達障害の二次障害に当たるのか、はっきりとしたことは言えません。

しかし、私がこれまで生きてきた中で形成されてきた病理であることは、間違いありません。


いつか、ありのままの自分で生きられるようになったときに、この「自己視線恐怖症」が消えていってくれることを願いつつ、今は静かに、隣を気にしながら、立ち読みを続けて参ります…


今回は私のお恥ずかしい内面の要素を晒してしまいましたが、これも、今後乗り越えるべき課題のひとつである、と感じています。