自己視線恐怖症 | アスペと、漫画と、まゆイヌと

自己視線恐怖症

今回は、私が長年抱えている症状、「自己視線恐怖症」について書きます。

長文で、しかも内容がハードなものになりますので、ご容赦ください。


他人からの視線が気になる「視線恐怖症」という言葉は、良くお耳にされる言葉だと思います。私の場合は、自分の視線が他人に不快感を与えているのではないか、ということに囚われてしまう「自己視線恐怖症」というものを抱えています。


医学的にそう言った分類がなされているかどうか不明なのですが、この症状によって、私は大きな生きづらさを感じております。


日常生活で困るシーンは多岐に渡ります。


(1)書店で立ち読みをしているときに、隣で立ち読みしている人が自分の視線の中に入ってきてしまい、読書に集中出来なくなる←立ち読みするな!というツッコミは無しの方向で…、(2)飲食店などで食事をしているとき、向かいの席や隣の席の人の姿が視界に入ってきてしまい、緊張し過ぎて食べ物の味がわからなくなる、(3)道で人とすれ違う際に、どこに視線を向けて良いのかわからず、挙動不審な態度になる、(4)電車に乗っているとき、どこに視線を向けて良いかわからず、目を閉じて寝たフリをしないといけない、(5)ハローワークなどで仕事検索マシーンに座ると、隣の人の姿が気になってしまい、頭がパニック状態となり、まともに仕事情報検索が行えなくなる、などなど…




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私の視線は、隣の人の反感をすごく買います。




どういったメカニズムで脳の混乱が起きているのか、私にはまだわかっていません。神経症関連の書籍も読んだりして、色々な方法を試してみたのですが、なかなか症状が治まってはくれません。あるカウンセラーの方に「サングラスを使用して、こちらの視線がわからないようにしてみたらどうか?」というアドバイスを頂いたのですが、私にサングラスは似合わない感じる為、まだ実行に移せていません。


この「自己視線恐怖症」を一番強く自覚するようになったのは、大学卒業後の公務員試験浪人の時期です。


十年程前、私は公務員になるために、専門学校に通いながら公務員試験の勉強をしていました。しかし、そこでの勉強内容は、私の頭脳ではとてもついていけるレベルのものではなく、いつも脳みそをフル回転させて勉強に励んでいました(特に、数的処理という、数学系の分野がさっぱりでした)。


その、勉強についていけていない、公務員になれないかもしれない、という予期不安の影響からか、その頃から強くこの「自己視線恐怖症」の症状に囚われ始めました。その後は専門学校での勉強にまったく集中できなくなり、結果として公務員試験は全滅に終わり、私の公務員試験ライフは終了しました。


「自己視線恐怖症」は、他者が存在する場面では、ありとあらゆるケースで発症してくるため、本当に厄介な症状だと感じています。


ただ、これまで比較的症状が緩和されたと感じたのは、やはり落ち着ける場所にいるときです。


安心して話せる相手、心を許せる相手であれば、他人と関わる場面であっても、それほど症状が顕著にならないようです。


このことから、この神経症症状の根幹には、私の自信の無さ、自尊感情の低さが横たわっているように感じます。


この「自己視線恐怖症」が、発達障害の二次障害に当たるのか、はっきりとしたことは言えません。

しかし、私がこれまで生きてきた中で形成されてきた病理であることは、間違いありません。


いつか、ありのままの自分で生きられるようになったときに、この「自己視線恐怖症」が消えていってくれることを願いつつ、今は静かに、隣を気にしながら、立ち読みを続けて参ります…


今回は私のお恥ずかしい内面の要素を晒してしまいましたが、これも、今後乗り越えるべき課題のひとつである、と感じています。