「一窓を出ずして千里を知る」 | 迷えるオッサンの老惨禄

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チェンマイ18年の日誌を中心にやってきましたが、2021年9月帰国、タイトルを変更したいました。

 

6月半ばヤフブロからアメブロに引っ越して以降、これからは専門分野の地理話「好気地理博物誌」を中心にやろうと思い、616の世界最大の村落都市イバダンに始まり、622伊根の舟屋集落・628701鬼界ヶ島三部作・702象潟と西施・706芭蕉と湯殿山・708バーニングマン祭・719木星大赤斑・722カメルーン火山・723ニオス湖水大爆発・724氷雨と百島・725マディラ島など17篇を書いてきた。

 

しかしあまり耳にしたことのない地名が多かった事もあってか読者の関心は低く、アクセス数はヤフブロ以下であった。で性懲りもなく又再開の予定であるが、本日は2年前に書いた「一窓を出ずして千里を知る」という地理話の極意のような記事があったので紹介する。

 

_________________________________________________________++_______________________________________2017年722に始めた「好奇地理博物誌」は順調に推移している

 

昨日読者へのリコメに「私は遠出が無理になったのでPC仮想旅行を楽しんでいます。昨日は行くだけでも大変なグレートリフトバレーにPC旅行←clicしてきましたが、なんとも便利な世の中になりましたね、昔の地理ファンにとっては夢のような仮想現実です」と書いた.

 

 

ところで昔は『地理学者見てきたような嘘を言い』と揶揄されたものだが・・・、

 

 

その中身もお粗末で、秋田県なら「ナマハゲ(左)にハタハタ、秋田小町=美人(右)」などといったどうでもいい各地の定番名所特産物等の丸暗記物のイメージが強く、

 

壇蜜似のブロ友ねえねさんからは「数学や国語は、社会に出てからでも役立ってますが、地理はその後の生活で、役だったことなかったので、すっかり記憶から消えてました。」といわれる始末・・トホホホホ(涙)。

 

ところが今はPCさえあれば地図(衛星写真も)はGooglでどんなものでも入手・作図可、行かなくてもご覧のようにタダの写真(動画も)が自由自在、重くて高い百科事典も語学辞書も不要で資料データの収集もOKとあらば、正に『見てきた以上の嘘が可能』な時代になったのである。

 

・ンでねえねさんも一転して「面白くてためになる記事です。」とのコメントが戴けるようになったという訳でやんす。

 

 

つまり地理学者または地理ヲタクが羨望し、究極の本質でもあったあの言葉『一窓を出でずして千里を知る』ことが実現可能な時代がやって来たのである。

 

で・ワーーーーハッハハハハハハハ・呵々大笑・・・と馬鹿笑いしたところで・ふと「この言葉を言った人は誰だったかな???」と調べてみたが、『文言』自体が無い!!!

 

つーことはひょっとしてオッサンの妄想が産み出した造語ナンかなと思ったが・・よくよく丹念にみていくと・・・

 

老子の言葉に似たような言葉があった。

 

「戸を出でずして天下を知り、窓を窺わずして天道を見る。すなわち聖人は、行かずして知り、見ずして明らかに、無為にして成る」


 

だが「一窓を出でずして千里を知る」「行かずして知る」だけであり、「見ずして明らかに、無為にして成る」はそれをはるかに超えた聖人の言葉で、現に私はPCは見るどころかどっぷりと嵌りこみ、特に「無為にして成る」には程遠い現実にある。


 

「老子の無為」とは何ぞやと検索すると「なんら作為をせず、あるがままの状態」をいいますとあった。

 

実に奥が深いですなあ・・作為だらけのオッサンは哲学の場には土台無縁な単なるスケベジジイ。

 

ーーーツ!!!・控え居ろう・・ハイすっこんでおます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ちゃんちゃん