「♪氷雨」発祥の地=百島 | 迷えるオッサンの老惨禄

迷えるオッサンの老惨禄

チェンマイ18年の日誌を中心にやってきましたが、2021年9月帰国、タイトルを変更したいました。

 

 

♪氷雨(作詞・作曲・とまりれん 歌・日野美香 1982年)

 

YouTubehttps://youtu.be/Lki3dPFoXpQ

 

飲ませて下さい もう少し
今夜は帰らない 帰りたくない
誰が待つと言うの あの部屋で
そうよ誰もいないわ 今では
唄わないで下さい その歌は
別れたあの人を 想い出すから
飲めばやけに 涙もろくなる
こんなあたし許して下さい

外は冬の雨まだやまぬ
この胸を濡らすように
傘がないわけじゃないけれど
帰りたくない
もっと酔う程に飲んで
あの人を忘れたいから

私を捨てた あの人を
今更悔んでも 仕方ないけど
未練ごころ消せぬ こんな夜
女ひとり飲む酒 侘しい
酔ってなんかいないわ 泣いてない
タバコの煙り 目にしみただけなの
私酔えば 家に帰ります
あなたそんな 心配しないで

外は冬の雨まだやまぬ
この胸を濡らすように
傘がないわけじゃないけれど
帰りたくない
もっと酔う程に飲んで
あの人を忘れたいから
忘れたいから

 


 

 

■先日、氷雨降る夜に墨田区京島の小料理屋の暖簾をくぐった。

 

入るなり、私と同い歳の薄汚い婆さん女将がしけた顔を私に向けて・・

 

「何にしましょう?」とカラオケを催促する・・

 

 

一曲150円という、今時一曲ナンボでカラオケ代を取っている旧い飲み屋は「昭和枯れすすき」で、この閑古鳥商店街でも残っているのはこの婆さんの店「五月」だけである。

 

・・で今夜は氷雨だから「氷雨」にすっかと歌ったが・・あまりにもしけた婆さん飲み屋の雰囲気にハマった曲で、歌うにつれて侘しさが募りなんだか暗~い気持ちになって仕舞った。

 

この曲は昔カラオケの女王と呼ばれた職場の同僚の十八番だったが、オッサンが侘しく歌うと実に惨めな気持ちになるが、女王が朗々と歌うと侘しさや未練はぶっ飛んだ妖艶な演歌に変身、聴き惚れてしまったことを思い出す。

 

そういえば彼女は退職と同時にカラオケを卒業して本格的歌唱へと転向‼ ♪オッホホホホッホッホッホ~のオペラ歌手を目指していると聞いたが・・カラオケと声楽は全く異質のモノ・・止しといた方がいいとおもうがナア・・・w

 

 

 

 

 

 

 ■・・で先ほど氷雨の歌詞を写していて・作詞作曲者の「とまりれん」という名前に興味を覚えて調べてみた。

 

すると「とまりれん」は広島県尾道市の南東沖合10㎞に浮かぶ百島出身の芸能人で、1970年高校卒業後歌手を目指して上京、色んな職業を転々としながら創作活動を続け、苦節7年後「氷雨」を出したが全く売れず、5年後の1982年に日野美香が歌って大ヒット開花したらしい。

 

で「とまりれん」の名前であるが、百島 南端の漁港(とまり)に由来するんだそうだが、モモといえば当ブログコメンテーターのmo100(百)さんを連想、百島ってどこに在んだろうと調べた結果が上の地図でやんす。

 

で中央を横断して本州と四国と結ぶ瀬戸内海横断橋「しまなみ海道」を辿っていくと因島市を発見(今は尾道市と合併して消滅したそうナ)。

 

■で因島といえば「とまりれん」よりずっと有名な歌手ポルノグラフィティ(写真)の出身地、「瀬戸の花嫁」じゃないけれど瀬戸内海は音楽との関係も深いみたいねとこじつけ・・

 

でも演歌「氷雨」の故郷が百島だったって知らんかったでしょう、今でも歌を作った「とまりれん」さんは百島に帰郷、創作活動を続けているようです。

 

●当記事は2年前の11月末、蒸し暑い今と違って氷雨降る寒い夜に日本で書いたものです。