♪ 「討匪行」とは何ぞや?! | 迷えるオッサンの老惨禄

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チェンマイ18年の日誌を中心にやってきましたが、2021年9月帰国、タイトルを変更したいました。

0422  「討匪行」とは何ぞや?!
前号で絶望の歌と 称して「討匪行」のサワリを紹介したところ読者より「討匪行」てナンなの?なんとなく暗―――い歌詞がたまんない!などという仰山の反響が寄せられました(ウソ!)ので、改めて取り上げてみた次第でござんす。

♪討匪行 作詞:八木沼 丈夫 作曲:藤原 義江 1942年)
YouTubehttps://youtu.be/GlYK7MG_EZU(森繁久弥)
  

一、どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ  三日二夜を食もなく
雨降りしぶく鉄兜(かぶと) 雨降りしぶく鉄兜(かぶと)


二、嘶く声も絶えはてて  倒れし馬のたてがみを
形見と今は別れ来ぬ   形見と今は別れ来ぬ


三、蹄(ひづめ)の跡に乱れ咲く 秋草の花雫(しずく)して
虫が音細き日暮れ空  虫が音細き日暮れ空

四、既に煙草はなくなりぬ  頼むマッチも濡れはてぬ
飢え迫る夜の寒さかな   飢え迫る夜の寒さかな


五、さもあらばあれ日の本の  我はつわものかねてより
草生す屍(かばね)悔ゆるなし 草生す屍(かばね)悔ゆるなし


六、 ああ東(ひんがし)の空遠く 雨雲揺りて轟(とどろ)くは
我が友軍の飛行機ぞ 我が友軍の飛行機ぞ



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「討匪行」は1933年日本が中国の東北地方に作った傀儡国家満州国(実権は日本軍=関東軍)の支配に抵抗する抗日(反日)ゲリラ(匪賊)掃討に従軍する関東軍討伐隊を歌った純然たる軍歌である。

関東軍参謀部嘱託の歌人八木沼丈夫が作詞を担当、「われらがテナー」と呼ばれた戦前日本の代表的オペラ歌手藤原義江 が作曲および歌唱を担当している。

しかし軍歌とはいえ、曲は戦意を鼓舞する勇ましいモノとは違って哀愁を含んだ物悲しい単調なメロディ-で、歌詞も無敵日本軍では無くISのような匪賊(抗日ゲリラ)討伐の苦しみをうたった内容が濃く表現されている。

最初の歌詞が「どこまで続く泥濘(ぬかるみ)ぞ。三日二夜、食もなく~」ではじまり、愛する軍馬も倒れ、タテガミを形見に切り取る場面が歌われ、特に4番の既に煙草はなくなりぬ  頼むマッチも濡れはてぬ ,飢え迫る夜の寒さかなはまさに飢餓地獄の感がある 

  
そして5番の我は日本のつわものゆえ草生す屍悔ゆるなしと死んで仕舞っては詮方なし・・歌詞は15番まであって6番は東の空より友軍機が登場するが、頑張れ通信と乾パンのみを置いて去り、溢るるものは涙のみ(7番)。


さらに歩みて山峡へ8番で草食む匪賊の馬群を羨むもこんな調子ではなんとも拙いと反省したのか、9番では敵の油断に乗じて大和魂で突撃し、最後(15番)は亜細亜に国す吾れ日本 王師一度(ひとたび)ゆくところ 満蒙の闇晴れ渡る・・と取って付けたような文句で結んでいる。

しかしながら全編にわたって勇ましいフレーズはひとつだに無く、なんとなく厭々ながら戦わされているような感じが濃く、軍歌に名を借りた反戦歌という見方も出来なくは無い。
 
 
以上本日は「討匪行」とは何ぞや?!でした。























ちゃんちゃん