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嶽宮神社から北上しまして下野八幡大神社へ。
こちらも私は初参拝です。
しものはちまんだいじんじゃ
住所:宮崎県西臼杵郡高千穂町大字下野559
境内入り口では「逆さ杉」がお迎えしてくださいます。
「逆さ杉」は
那須大八郎宗久という武士が平家残党の追討使として当神社へ立ち寄った際、
任務完遂を祈願し、杉の穂を逆さに挿したので
その名が付いたと言われています。
画像では伝わらないと思いますが圧巻でした。
✱鳥居✱
これより参拝させていただきます
石段の参道
✱仁王像✱
調べていないので祇園神社との関連はわからないけれど
向山神社とは関係があるかもしれません。
✱御神木(有馬杉)✱
阿形の仁王像の後方には「有馬杉」が立っています。
延岡藩主、有馬左衛門佐直純公が島原の乱に出陣の際、戦勝を祈願し、
その凱旋報告に参拝して記念植樹したものと伝わります。
✱御神木(イチョウ)✱ 国指定天然記念物
そして吽型の仁王像の斜め後方にはイチョウの木が立っています。
杉とかヒノキとか左右同じというのはよく見ますが
左右で違う種の木というのも珍しいです。
このイチョウの木は、お寺の鐘や盲僧(かつて中国地方の一部と九州に多く存在した盲目の宗教者。 彼らは年に数回琵琶を背負い、村々を訪れ、屋敷や竃の神である荒神様を祀るためのお経をあげたり、正月にお札を配ったりしていました)たちの
琵琶の音を聴いて育ったそうです。
境内掲示板によると、およそ800年前の鎌倉時代、
現在は廃寺になっている鶏足寺の寛信和尚が
比叡山延暦寺鶏足院で修行された後、持ち帰り植樹されたといわれています。
元々、当社のお隣にあった鶏足寺(明治元年、明治政府の神仏分離令により廃寺となる)は宝治元年(1247年)に寛信和尚が開山された盲僧寺で、
和尚は三田井氏(西臼杵地方の豪族)の本城
「向山中山城」で生まれたといわれます。
寛信和尚の生まれが向山中山城なので向山神社と関係があると解釈しました。
参道を振り返ったところ
✱手水舎✱
柄杓が1つだけ銀色でした。
「あなたが落とした斧は金の斧ですか?銀の斧ですか?」
※正しくは斧ではなく柄杓です
「銀の斧です」
私は銀色の柄杓を使わせていただきました。
しょうもない一人芝居(独り言)に
「銀でいいの?」と付き合ってくれた友人。
この時、風は殆どなかったのだけど
手水舎に下げられている手ぬぐいが、ハンガーごと大きく揺れており、
わかりやすい歓迎を感じました。
✱社殿✱
建久3年(1192年)に岩戸に祀られていた(今の大字岩戸)二ッ嶽にお祀りされていた「正八幡」を大神惟基公(平安時代中期または後期の武将)がこの地に移し、
高千穂太郎正信公(大神惟基の子)の時代に社殿を建立したと伝えられています。
大分県の穴森神社とも関連のある大神惟基公(大神姓の蛇神婚伝説)。
二ッ嶽神社は未参拝なので、いつかお参りに伺いたいと思いました。
御神酒を上げ、初参拝のご挨拶を申し上げ、祝詞を奏上しました。
◆御祭神
玉依姫命
品陀和気命
息長足姫命
✱本殿✱
本殿の透かし彫りの脇障子
✱本殿裏✱
社殿の右手に樹齢約800年のケヤキ(国指定天然記念物)
巨木好きさんにはたまらない神社だと思います。
✱境内社✱
拝殿前のおみくじに目が留まり、ひかせていただきました。
26番でした。要約すると
「願いに対して努力しても駄目ならば神の力に頼りなさい」ということです。
おみくじを引くのは稀で私が知らないだけだとは思うけど
こういうアドバイスもあるのですね。
単純に神様からの温かい愛だと受け取ったワタクシ。
質問を思い浮かべて引いたわけではなかったのだけど
努力ではどうにもならない、どうしても叶えたい願いが出てきたときには遠慮なく、
正しい御親の神様の御慈しみの御手にすがらせていただきたいと思います
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