ご訪問ありがとうございますおじぎ

 

今回の神社巡りのお題

・自宅から見て南東

・自宅から直線距離で100㌔

 

行き先が決まらない時は

まず、こうやって行く土地を決めることがあります。

これは奇門遁甲を参考にしています。

今回その場所が大分県の竹田市か、豊後大野市辺りでした。

 

 

奇門遁甲とは関係ありませんが、

ちょっと遠出するときや、初めて訪れる神社へ行くときに私がやっていること。

 

仏壇でご先祖様にご挨拶し、自宅神棚に

「○○市の神社へ行って参ります。

(○○市の神様へ)ご連絡のほど、よろしくお願いします」

と報告してから出掛けることにしています。

ちゃんと連絡してくださっていると感じます。

 

『平家物語』緒環の嫗嶽大蛇伝説の地

あなもりじんじゃ

住所:大分県竹田市神原1432

出た 「神」のつく地名

 

駐車場付近の紅葉

 

✱一の鳥居✱ ここは車では通れません

最初、ここが入口かな?と思って

近くの空きスペースに車を停めて、徒歩で向かおうとしていました。

 

ちょうど農作業をされているご夫婦から

「穴森さんに行くんかい?

ここから歩いたら10分くらいかかるき、車で行ったほうがいいばい」と

道を教えて下さいました 神kirakira*

✱社号標✱

一の鳥居から2,3分で到着。

画像ではわかりませんが、光って見えました。

車を降りてすぐ

「ここ凄い・・・」と感じましたよ。

これより参拝させていただきますペコリ

 

古い鳥居が置かれています。

 

言葉では表現し辛いのですが

とても氣のいい場所でした。

ここは下り宮といってもいいのかな?

滑らないように気を付けながら階段をおります歩く

いっぱい深呼吸

気持ちいぃはあと

✱手水舎✱

誰か来たのかな?

水が出っぱなしでした。

✱拝殿✱

神紋は「右三つ巴」。

まず、こちらの拝殿でお参りをします。

 

◆御祭神

嫗嶽大明神(うばたけだいみょうじん)

 

嫗嶽大明神=健男霜凝日子神は、

大分県と宮崎県にまたがる標高1756メートルの祖母山の山頂

健男霜凝日子神社(たけおしもこりひこじんじゃ)の上宮に鎮座し、天候の守護神として崇敬されています。

 

健男霜凝日子神社(上宮、下宮)、神原地区の神幸所、

そして穴森神社の三社一宮で構成されています。
穴森神社の古名は池神社

✱拝殿内✱

拝殿裏に御神体が祀られています。

御神体の近くまで行ってみますルンルン

✱夫婦杉✱

御神体に向かう右手の御神木

大蛇伝説の地ということで注連縄が蛇に見えたワタクシ

 

江戸時代初期に岡藩三代藩主、中川久清の命により池に穴を開けて水が抜かれ、
元禄16年(1703)には池底の洞窟から大蛇の骨が発見されたと伝えられています。

また源平合戦での緒方三郎惟栄(これよし)の活躍が書かれた「平家物語 緒環(おだまき)」の章には、

惟栄が「怖ろしき者の末裔」であると紹介され、

嫗嶽大明神(うばだけだいみょうじん)(大蛇)と華御本姫(はなのおもとひめ)との神婚伝説(神と人との婚姻話)が記され、

大蛇が住んでいた岩窟が穴森神社であるとされています。

✱本殿✱

階段をおりると正面に小さな石祠(本殿)が鎮座しており

右側に御神体の洞窟があります。

本殿側から拝殿を振り返ったところ

 

御神体の上空は木々に囲まれ清々しいです。

 

✱御神体の洞窟✱

嫗嶽大明神の化身である大蛇の棲み処だったといわれています。

 

むかしむかし、

豊後国の山里(豊後大野市清川町宇田枝とされている)

美しい娘(華御本姫)が住んでいました。
いつの頃からか、娘の元に素性の知れぬ男が夜な夜な通ってくるようになり、

やがて、娘が身ごもったため母が不審に思い娘に問い尋ねると、

娘は、「男の来るときは私の目にも見えるが、帰るときは何も見えない」と話しました。
母は娘に男が帰るとき針で「緒環」(糸巻き)を通して、

そっと男の襟に刺しなさいと教え、娘は教えどおり、
男の襟に針を刺し、何も知らずに帰った男のあとをたどると、

日向国(宮崎県)の境にそびえる嫗嶽(祖母山)の麓に
ある大きな岩屋の中に糸が続いていました。

岩屋の奥では、異様な唸る声がしていたので、

娘は「一度お姿をお見せください」と言うと、

奥から「わしは人間ではない、見ない方がよいだろう」と返事がありました。
それでも娘は「見たい」と重ねて求めると、声の主が奥から初めて姿を見せました。
それは嫗嶽の主と思われる巨大な大蛇で、針が喉笛に突き刺さっていました。
大蛇は「お前の腹の子は男の子であり、弓矢打物を取らせば九州二島に並ぶ者はあるまい」

と告げました。
間もなく娘は、大蛇の予言どおり男子を出産し、

母方の祖父大太夫は、自分の名に因み大太と名づけました。
大太は夏冬にも手足にあかがり(あかぎれ)ができたので、アカガリ大太と呼ばれました。
緒方三郎惟栄は、このアカガリ大太の五代の孫であり、

このように恐ろしいものの末裔とし、九州の武士たちはみな惟栄に従いました。

 

手足があかぎれだったという説がリアルです。

 

30分間200円で照明がつくようになっていましたが

一人では怖くて入れませんでした。

いつかリベンジしますハート

 

また、こちらの洞窟は宇田姫神社の洞窟と繋がっているとの説があります。

私は記事を書きながら知ったので伺っていませんが

セットで行かれたらいいかもしれません。

 

 

✱生目社・淡島社鳥居✱

 

✱七福神の像✱

新しいです。

✱生目社・淡島社✱

こちらの雰囲気も好き

穴森神社はお気に入りの神社の一つとなりました。

お導きいただきありがとうございましたはーと

 

※御朱印をいただいた方の情報は見当たりませんでした

 

よろしければ応援クリックお願いしますありがちなキラキラ

にほんブログ村 歴史ブログ 史跡・神社仏閣へ
にほんブログ村

カボス 豊後の国の神々も喜びます カボス