まきしま日記~イルカは空想家~ -4ページ目

まきしま日記~イルカは空想家~

ちゃんと自分にお疲れさま。

先日俺はYouTubeにて、ブルース・リーの動画を観ていた。そして無性にパンチングマシンが打ちたくなってしまったのだ。

 

学生時代、俺はゲーセンのパンチングマシンにハマっていた。当時はスコア230を叩いて周囲をざわつかせたものだ。そして恐らく今でもスコア150くらいなら出せるだろう。しかし40を過ぎたオッサンがヤンチャ盛りの若者に混ざってゲーセンでパンチングマシン、その光景は果たして如何なものか。この歳相応の羞恥心こそが、俺にとっては肉体の衰えよりも遥かに深刻に行動力の妨げとなるのである。願わくば、身も心も若くありたいものだ。

先日俺はABEMAにて、AIの遺電子というアニメを観た。これがまさに隠れた名作であったので、ここで紹介したい。

 

同作の最大の特徴は、AIとの共生社会を肯定も否定もせず前提として、倫理のあり方を問うている点だ。テクノロジーの発展と人間性の喪失、その是非は何十年も議論され結論の出ないまま、すでにそれは実現しようとしている。私たちは確定した未来を受け入れた上で、新たな思考課題を求めるべきではないか。

素人玄人を問わず、科学の識者を自負する者たちは言葉の隅々にまで科学的厳密性を徹底させ、また他者にもそれを強要する傾向がある。しかし時折それが話していて窮屈に感じるのだ。

 

例えば科学の識者は「猿から人に進化する」という表現を酷く嫌う。猿と人は共通の祖先から枝分かれした別の生物であり、現在の猿が人に進化することはないと言うのだ。しかし彼らは科学の厳密性を追い求めるあまり、日本語の寛容性を見失ってしまっているのではないか。言葉とはより柔軟にあるべきだろう。

5月になり、俺の43回目の誕生日が近づいてきた。しかし歳を取るごとに、だんだん生誕祭意欲が失せていくのだ。

 

例えばクリスマスや正月ともなれば、街や世間はお祝いムード一色になる。そのような日に食欲に負けてしまっても、それは仕方のないことだろう。しかし誕生日はただの平日だ。そんな日に暴食して体重を増やすのは何だか間抜けではないか。

先人は言った、大は小を兼ねると。しかし私たちは決して忘れてはならない、この世には小を兼ねない大もあることを。

 

先日無性にカルパッチョが食べたくなった俺は、つい勢い余って山盛りで作ってしまった。それは確かに美味かった、最初の一口二口、三口目までは。しかし頬張っても頬張っても一向に減らない生魚、だんだん気持ち悪くなってくる。気合と根性で完食、けどもう当分は見たくない。カルパッチョは前菜に適量で。