まきしま日記~イルカは空想家~ -32ページ目

まきしま日記~イルカは空想家~

ちゃんと自分にお疲れさま。

識者たちは我々に問いかける、果たして人類はいつ滅亡するのだろうか。数万年後だろうか、数千年後だろうか。かの天才ホーキング博士は、人類は100年以内に滅ぶと言う。

 

実際、100万年後の人類の姿を想像することは不可能である。例えば太古の原始人が、スマホやAIの登場を予測していたら怖過ぎるだろう。しかしだからと言って、滅亡すると結論付けてしまうのはいささか短絡的ではないだろうか。想像出来ないことと存続出来ないことは、全くの別問題だと思うのだ。

最近は専らABEMAで銀魂を観ている。俺は原作漫画は未読なのだが、銀魂の魅力は何と言ってもシリアス回とギャグ回のギャップであろう。週替わりで繰り出されるバトルとボケのダブルパンチに、週刊少年ジャンプ読者の少年たちは大いに目を輝かせ、夢中でページを追ったことだろう。

 

さてジャンプ作品の中で、ワンピースと並んで最高傑作に挙げられるのがドラゴンボールだ。実際にドラゴンボールは、バトル漫画としては銀魂より一枚も二枚も上手だろう。しかし作者の鳥山明氏自身は、あまりドラゴンボールが好きではなかったと言われている。そして悟飯ハイスクール編や過去作のDr.スランプなどを見るに、氏が本当に描きたかったのはドタバタコメディなのだろう。もしもドラゴンボールが銀魂のようにあれたなら、適度にギャグ展開を挟みながら進行することが出来たなら、もっと長く連載が続いていたのかも知れない。そう思うと、俺などは一抹の寂しさを感じてしまうのである。

最近はネットオセロにハマっている。本当はネット将棋をやりたいのだが、少々ルールをかじった程度の俺の実力では、誰と当たっても全く歯が立たないのだ。

 

将棋は例えばオセロや五目並べと比べた時、圧倒的にガチ勢が多いと言えよう。そこでネット将棋を、勝利数に応じた段位制にしてはどうだろうか。そして低段者専用の対戦ルームを、ぜひ俺のために設けて欲しいのである。

先日ABEMAでハイキュー!!を観ていて、ふと思ったのだ。なぜバレーボールにはローテーションがあるのだろうか。

 

ローテーションを採用しないことによって生じるメリットは2つ挙げられる。第一に、チームを前衛と後衛に分けることで、より身長の低い選手が試合に出場しやすくなることだ。第二に、各ポジション毎に役割を特化させることで、より個性的な選手が誕生しやすくなることだ。それらを打ち消して尚余りあるほどのメリットが、ローテーションを採用することによって生じるとは俺には考えられないのだが、皆さんはどう思われるか。

思想と思考ほど似て非なるものはない。思想は思考を妨げるという意味では、両者は対極にあるとさえ言えるだろう。

 

古今東西、人々は様々な思想に突き動かされて来た。それは宗教や民族主義、国家イデオロギーなどだ。そして往々にして言えるのは、それらの思想に深く傾倒している人ほど自らの思考を放棄しているということである。確かに思考という行為は非常に苦しいものであり、その責務を他者に委ねることが出来れば生きるのは楽であろう。しかし思考の伴わない思想の行使は、例えるならば目を瞑って車を運転するようなものであり、結局のところ壮絶な悲劇しか生み出さない愚行だと、俺などは思うのだ。