Change the world
あの日。
日本の全てが変わってしまったと云っても過言ではない一年前の3月11日。
ブラックデーが近いこともあり、震災当時の画像や映像を多く目にするようになってきた。
私が見たもの。
遺体があった証の赤い布。
矢印の書かれた車。
”捜索済み”と貼られたつぶれた車。
見たことのある食器。
あるはずの無い場所に転がる墓石。
積み上げられた車。
祖父の家の庭にひしゃげた消防車。
焦げた匂い。
冷たい体育館の冗談みたいな数の遺体。
びっくりするほど大きな自衛隊の車のタイヤ。
湯気とおばさんたち。
子供を亡くした母達の狂気に満ちた悲しみ。
もともとどこか悪いところがあった人たちには計り知れないストレスで、結果、亡くなった人も大勢いた。
でも、震災で亡くなった人たちが順番待ちをする中、そういった人たちはちゃんと火葬されていた。
一体、どういう思いで見ていたらいいの?
どこかのアラフォー独身女が
『神様は乗り越えられる試練しか与えない』
と アンタの人生にはその言葉ひたすら前向きでむしろそれがないと生きていけんのだろ的なバカ発言をかましていたけれど
乗り越えられずに死を選んだ人たちが沢山いた。
そういう人達は”震災関連死”として、特に順番を待つことなくちゃんとお弔いされていた。
それもまた、複雑な思いで見ていた。
せっかく助かっても、水を飲んでしまっていて
あの黒い水は恐ろしく有害で、そのあとすぐ死んでしまった。
”津波肺”という医療用語を初めて知った。
知らないでよかったかもしれない単語。
避難所に服やら持って行くと、中学生?高校生?が小さな子供と遊んでいた。
みんな偉いなぁと声をかけると、
「子供達とお絵かきをすると、みんな黒のクレヨンばっかり使うんです」
と 目を赤くして遠くを見ていた。
経験しなくても良かったかもしれないあの日。
それぞれひとりひとりがなくしたものは計り知れない。
哀しみや悔しさや自責の念。
それでも、明日が来るなら?
明日またみんな会える保障が無いのなら?
いまを精一杯、そんな軽い安っぽい言葉では片付けられないのだけれど
一生懸命、生きるしかないのだ。
そしてバイバイの時は笑顔で。
遺体の見つからない叔父の葬式をすませた。
300人以上が駆けつけてくれた。
叔母に怒られるほど声を上げて泣いた。
空っぽの骨壷に 何を供養してるのか分からず
認知症の悪化した祖父に父親より先に逝くなんて親不孝ねと話しかけて
笑顔で葬式を終えた祖父の姿に より一層やるせなさがつもり
誰を責めればいいのか
誰も悪くないのに
300人いてもひとりがいないとこんなに悲しいものなのかと
何がいけなかったのか必死で考えていた。
私が云いたいのは、
復興復興と簡単にみんな言うけれど
声の届かない永田町しかり
みんながみんなそんなに簡単には立ち上がれないし
協力や助け合いや思いやり等の素敵な事は本当にたくさん、
でもそれ以上に悲しい事や怒れる事があった。
真実を知って欲しい。
あの日、
2万人以上が亡くなった前代未聞の災害
では無く、
ひとりが亡くなった2万件の事件
なのだという事を。
Ring
被災した人たちがブログなどを書き始めるのにはこれくらいの時間が必要なのかもしれない。
これほどの人間が亡くなってしまうなんて、一体誰が想像していただろう。
あんなに沢山の人が死んで、私の親戚達だけは全員無事!なんてことは有り得ないのだ。
本家は流された。
親が離婚して宮城の本家に全てがあったので、幼少期の写真も一枚も無くなった。
友人も、唯一盃を交わせる叔父もいなくなった。
良いニュースも悪いニュースも飛び交っている。
私にとっては原発どころではなかった。
助け合ったり励ましあったり色々うれしい涙も流せる中で
でも実は
避難所はまるで地獄だとみんな泣いていたし
みんなずぶ濡れ間一髪で助かっていたし
知り合いも顔なじみももう居ない
宮城に住んだことがあるし、好きな街だし、お魚もおいしいし、独身時代の本家に帰る正月には鹿島巫女神社に必ず行ったし
すべて嘘みたいな光景だ。
何もない。
それ程土地勘があるわけではないから、まずどこにいるのかさっぱり分からないで瓦礫の中に立っている。
焦げた幼稚園バスの中にはお人形さんのような遺体が真っ黒になってそこにあった。
叔父を必死で探すのに、あんなに沢山の遺体を産まれて初めて見た。
あまりに沢山だから、遺体の隙間を頭を下げて通らせてもらう。
知らない顔も知ってる顔ももう分からないほど。
お棺がたくさん、ブルーシートの上にもたくさん、趣味の悪い映画などではなく、現実だと思うと吐き気が止まらなかった。
こちらに帰ってくると益々夢みたいだ。
都内は空いていて、今日はお天気も良いし、
遠い遠いべつのどこかで起こった戦争のようだ。
老いも若きも上を向いて生きていかなければならない。
失望落胆は計り知れない。
都内は頑張ろうムードだけれど、
私はもうすこしうなだれていようと思う。


