3月8日 | 八木毅のブログ/Takeshi Yagi's Blog/Electric Garden
  今日は、お世話になったスクリプターの宮越千代さんの通夜だった。私は「ウルトラマンコスモス/星の恋人・ムサシの空」で組まさせていただいた。当時、まだまだ新人監督だった私は、宮越さんからいろんなことを教わった。撮影中も、編集時も。あの時は最後の編集が今ひとつ納得いかず、尺調の時、やり直して、朝までかかってしまった。宮越さんと、編集の大橋さんは嫌な顔一つせず、監督が気に入らないなら直した方が良いと言って、いろいろとアイディアも出してくださり、とても良いで気になったことを覚えている。作品第一の方だった。しかも宮越さんには助監督の頃からお世話になっている。豪快で繊細で優しい方だった。まだまだ72歳という若さ。ご病気だとは知りませんでした。とても残念です。

  そして先週は、やはり大恩がある原田監督も亡くなられた。原田さんとはティガで助監督だった頃からのお付き合い。昨年「ウルトラ8兄弟」撮影時も日活のステージに遊びにきてくださった。気にかけていただいていた。バームクーヘンの差し入れまでいただいた。その時はお元気で、年明けから「審理」を撮るという話をされていた。一段落したら呑みに行きましょうねと話していて、楽しみにしていたのに、まさか、こんなに早く行ってしまうなんて。信じられません。

  たくさんの思い出があるけれど、原田さんは美味しいものが大好きだったから、思い出すのは食べたこと、呑んだこと。私が助監督だった頃のことが多いです。いつもニコニコ楽しそうに笑われていました。ダイナの長野ロケで連れて行ってもらった桜鍋や、ガイアの千葉ロケの帰りに食べた鯨のカルパッチョ、仕上げの時に喜多見の美土里寿司で食べたお寿司とか、いろいろと。どれもこれもみんな美味しかったです。

  実相寺監督の葬儀の後に府中で呑んだのが一緒に行った最後です。あの時に、フリーになろうか迷っていた私に原田さんは、どうせフリーになるならば早い方が良いよとアドバイスしてくださりました。原田さんはブースカのような優しい容貌で、やはり豪快でありながら、本当はとても繊細な方だった。私は、たくさんあるなかでも、特に「冬の国のものがたり」が好きでした。

  お世話になった大好きな方々がいなくなることは辛いことです。お二人が天国でもお幸せであってほしいと思います。原田監督、宮越さん、本当にありがとうございました。