どうして昭和の時代のサラリーマンの専業主婦を国民年金に強制加入させなかったのか?(再投稿) | 年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座

年金アドバイザーが教える!楽しく学ぶ公的年金講座

知れば知るほど奥深い年金制度!
僕も日々勉強ですが、一人でも多くの方に年金の事を知って欲しいと思います。
年金は…正確に書くように努めてはいますが、少しでも年金の事を知っていただければ幸いであります。
一緒に年金について考えてみませんか?

こんばんは!
年金アドバイザーのhirokiです。
 
今日の記事は以前ブログで発行した記事の再投稿です。
少しアレンジはしてます^^
 
・まぐまぐ大賞2021語学資格部門2位と知識ノウハウ部門3位のダブルで頂きました(6年連続受賞)
本当にありがとうございました^^
https://www.mag2.com/events/mag2year/2021
 
 
ーーーーーーーーーーーーーーーー
 
国民年金は昭和34年にできましたが、昭和36年4月から20歳以上で60歳未満の人が厚生年金にも共済年金にも加入していない人が強制的に加入するものになりました。
 
 
その国民年金は昭和61年4月からどんな業種であろうが20歳以上で60歳未満は国民年金に加入するという形になりました(昼間学生は平成3年4月から)。
 
 
これにより、どんな人でも自分名義で将来は基礎年金を受け取るという形になったんです。
 
 
昭和61年4月からその基礎年金制度ができたんですが、それまではサラリーマンや公務員の専業主婦の人や学生は国民年金には強制加入ではありませんでした。
つまり加入してもしなくてもいいという任意の加入だったんですね。
 
 
まあ学生は保険料を納める能力が高くないという事で任意で構いませんって理由ですが、サラリーマンや公務員の専業主婦はなぜ強制加入にしなかったのか。
 
 
厚生年金っていうのは自分だけの保障をするものではなく、世帯ひっくるめて保障する年金だったからです。
 
 
だから、厚生年金には配偶者加給年金(今年度は389,800円)が付いたり、また、夫が死亡しても遺族厚生年金として妻の生活保障が行われる。
つまり、世帯の面倒を見る年金だったからわざわざ専業主婦の人を国民年金に強制加入させる必要は無いだろうという事で任意加入とされました。
 
image
 
しかしこのままだと離婚した時には妻は将来は何の年金も出ない事になりますよね。
また、年金に加入してないから万が一障害を負った時に障害年金の請求が不可になってしまう。 
 
よって、昭和61年4月からそういう専業主婦も強制的に国民年金に加入させて、将来は自分の名義で年金が受け取れるようになりました。
この人達は国民年金第3号被保険者と呼ばれます。
今は800万人くらい。
 
 
だから、本来なら夫の厚生年金に配偶者加給年金を終身付ける必要は無くなり、妻が65歳になれば妻自身名義で老齢基礎年金(満額777,800円)が受け取れるから配偶者加給年金は妻が65歳以上になった時は消滅させることにした。
 
 
なお、国民年金に強制加入させるといっても自ら保険料を納めてもらうわけではなく、厚生年金から拠出金という形でその妻の基礎年金の費用を賄っています。
簡単に言うと、厚生年金保険料の中に専業主婦の国民年金保険料の分が含まれてるような形です。
といっても、夫一人分の厚生年金保険料支払えば済む事。
 
 
保険料支払わなくても将来は基礎年金に反映してもらえるから、国民年金第3号被保険者は不公平だ!廃止しろ!o(`ω´ )oプンスコ!っていう声は現代は強いですが、そもそもこの基礎年金制度ができた昭和61年4月の時は女性の年金権が確立されたっていう事で非常に評価されたんです。
昭和61年4月というのは男女雇用機会均等法が施行された時でもありますよね。
 
 
しかし、夫が会社勤めで専業主婦家庭よりも夫婦共働き家庭の数が多くなった平成9年頃から、特に働く女性から専業主婦は不公平だ!との批判が強くなりいろいろ問題になってるわけですね。
別に専業主婦が優遇されてるわけじゃないんですが、保険料払わなくていいからズルいって見られ続けてきました。
 
健康保険だってサラリーマンの扶養に入ったりすると被扶養者は個別に健康保険料は支払わなくても、
病院で3割で治療が受けれるのに健康保険はそういう批判は特にありません。
 
年金はダメで健康保険はよいっていうのもよくわからないところがあります。
金銭的に目に見えるから目くじら立てられてるのだろうか。
 
 
 
働きに出る女性が多くなったのは、やはり生活が便利になり始めたからです。
 
 
そもそも昭和のまだ高度経済成長に入りだした昭和30年代あたりですね、女性が家庭に入ってしまうと家事育児で忙しすぎて、働きに出るなんてことは考えられない時代でした。
 
 
だって、その辺りの時代って洗濯機すら無かったから手で洗濯するしかなかったわけですよ。
今じゃイクメンが美徳のような時代になってきましたが、以前のニュースでチラッと目にしたんですが80歳以上の男性の約8割が子育てはしたことは無く、家庭の事は妻に任せっきりだったという記事がありました^^;
そういう時代だったという事ですね。
 
夫は年功序列で給料が毎年上がるし、終身雇用で安定していたので、じゃあ妻のほうは家の事に専念しようか…という役割分担が出来ていたからですね。
 
そんな中だんだんいろんな事が便利になってきて、専業主婦の人たちは非常に家事の負担が軽減されていったわけです。
 
1970年代になるとそれがグレードアップして3Cって言葉が出てきてクーラー、カラーテレビ、カー(車)を持つことが家庭の夢になってきた。
 
マイホームなんかも、大抵の家庭は木造住宅ですからコンクリートの住宅に憧れるわけです。
当時だったら団地ですね。
経済が成長してきてマイホームを持ちますね。
そうすると、あれが買いたいこれが買いたいという家庭が増えてくる。
そうやって消費が伸びるから経済もどんどん伸びる。
 
経済はすごい伸びていきましたが、当時はその代償として公害というとんでもない問題が発生してしまったんですけどね。
 
今は日本は綺麗っていうイメージですが、大気は汚染されるは海や川は工場の汚水で魚が住めないような状態になっていった。
人間には、富山県のイタイイタイ病とか熊本や新潟の水俣病、三重県の四日市ぜんそくとか有名でしたが。
 
 
 
だから、子供に手がかからなくなってきたらちょっと働きに出ようかなという女性が増えてきた。
 
image
 
そんな中、国民年金というのは本来サラリーマンでも公務員でもない人である、自営業者とか零細企業等の年金に加入できてなかった人達が加入するものだったんです。
 
 
国民年金ができた昭和30年代とか昭和40年代の頃というのは、第一次産業である農業や漁業の人が就労者の40%くらいを占めていました。
 
 
ところがサービス業とかの第三次産業の割合が増えていき、国民年金に加入する人は減っていきました。
 
 
どういうことかというと、国民年金保険料支払う人が少なくなっていくという事です。
今じゃ第一次産業は4%にも満たりません。
 
 
そうなると国民年金の財政というものが危うくなっていきますよね。
実際危うくなっていったんですけどね。
 
 
雇用者は昭和30年は850万人くらいでしたが、昭和40年になると1800万人、昭和50年代になってくると2400万人、昭和60年過ぎくらいになると3000万人超えてきたんですね。
 
 
つまり国民年金じゃなくて厚生年金のほうに流れて行っちゃう。
 
 
国民年金の財政は危うかった。
 
 
しかし、その国民年金財政を支えたのは専業主婦のような任意加入の人たちだった。
 
 
国民年金の強制加入者は昭和50年頃の2000万人あたりから減る一方でしたが、任意加入者は増えていった。
 
 
任意加入者は国民年金ができた昭和36年4月時点では220万人でしたが、それが昭和50年代半ばあたりになってくると750万人くらいまで増えていった。
 
 
国民全員が国民年金に加入する基礎年金制度ができるまでは、そういう任意加入という不確実な立場だった人達が財政を支えていたんですねニコニコ
 
 
昭和61年4月になるまでは国民年金、厚生年金、共済組合は別々の制度でしたが、国民年金はその名の通り20歳以上60歳未満の人が全員加入する形で基礎の年金を持ち、その上に給与や賞与に比例して支給する厚生年金や共済年金になっていったわけです。
 
 
年金制度は一つの制度に統一すべき(一元化)だって事は、昭和50年頃からの課題でしたが、基礎年金制度の導入によって一元化の先駆けとなったんですね。
 
 

ーーーーーーーーーー

・事例と仕組みから学ぶ公的年金講座(月額770円税込み毎週水曜日20時にメルマガ発行)
まぐまぐ大賞2020・2021受賞。
途中で登録されてもその月の発行分はすべてお読みいただけます。

https://www.mag2.com/m/0001680886

 

 

 


4月27日の第239号は、「障害年金を貰っている最中に年金額が変化する時」

5月4日の第240号は「65歳前後で別物の年金になってしまった経緯と、厚生年金が大幅に増えたり減ったりして驚くケース」

5月11日の第241号は、「年金受給者の退職改定と、65歳以上の人が在職し続ける間の1年ごとの年金額変更」

5月18日の第242号は、「障害基礎年金受給者が老齢の年金受給を遅らせる場合と、繰下げを断念した時の新たな取り扱い」


4月6日の第236号は、「新しい減額率になった年金の繰上げ制度と、年金を早めに貰えるようにした歴史。」を発行しました。

4月13日の第237号は「4月から変わった加給年金の加算ルールとその事例」を発行しました。

4月20日の第238号は、「遺族年金が貰えない場合や貰えるパターンの事例」


ーーーーーーー

・有料メルマガ記事は現在200記事以上ありますが、バックナンバーは月単位で自由に購入可能です。
全て読み切り。
https://www.mag2.com/archives/0001680886/