6月21日付 FT.com 購読者用ページ <http://news.ft.com/cms/s/6034dcce-e27a-11d9-84c5-00000e2511c8.html
>
たまには毛色の違った話を。
それにしても、日本企業の中でイギリス人が出世することをイギリスの新聞が特集するようになったのだから、何はともあれ時代も変わったものだ。それだけソニーという企業のイメージが良いのかもしれない。
mattは電化製品のブランドに関心が無いし、映画をほとんど見ないし、ゲームをやらないし、音楽を聴かない。音楽CDは2枚しか持っていない。そのうち1枚は通販での買い物におまけで付いてきたものだ。映像や画像をPCで編集する気などさらさら無い。だから、世間で言われるソニーの良さについては実感が無い。
使っているPCはノート型のVAIOだが、それは、ノートPCを買いにアキバのLaOXに行ったら、店頭に並んでいた機材で一番軽かったのがVAIOだったからだ。今のVAIOは2台目のVAIOだが、それも違うメーカーのだと操作が多少違うので、それを嫌って続けてVAIOを買ったに過ぎない。何とも消極的なソニーユーザーだ。
さて、ハワード・ストリンガー卿は"Project Nippon"のテーマを9つ掲げているようだ。
・家庭用電子機器(AV機器等)事業の損失を解消する
・経営(意思決定)の階層を減らし、官僚主義を一掃する
・ソフトウェア開発における(社内の?)協力を進める
・成長分野への研究開発に再び焦点を当てる
・"Project USA"で成功したコスト削減策を日本でも適用する
・社内の士気を再び高める
・サプライチェーンを再検討する
・工場の閉鎖を検討する
・5カ年成長計画を設定する
そうか。工場の閉鎖ね。どの分野のどの工場を閉鎖するか、今後注目しよう。それがわかったとき、ソニーがこれから「何を捨てるつもりか」はっきりわかるだろう。
映画とゲームと金融は、どうやら捨てる気は無いのかな?
金曜日の終値からは明らかにドル高に窓を開けて寄り付いた。値動きが激しくなるのだろうか。
「ど突き合い」が来るのはまだまだこれからかも知れない。直感で言うと、@1.1760-1.2460 は「ど突き合い」領域?
6月17日付FT.com購読者用ページ <http://news.ft.com/cms/s/7de9aeea-df21-11d9-84f8-00000e2511c8.html
>
6月16日付FT.com購読者用ページ <http://news.ft.com/cms/s/93258fbc-de8c-11d9-92cd-00000e2511c8.html
>
中共政権国有銀行が香港で上場。
Bank of America が中国建設銀行の株式の9%を30億ドルで取得するそうだ。香港に上場する株式の売り出し価額総額は50億ドルだそうだから、「香港に上場されるH株のうちの9%」ではなさそうだ。中国国内企業たる中国建設銀行本体の発行済み株式全体の9%なら、結構な食い込み様だ。
交通銀行(Bank of Communications)は19億ドルで売り出し。元々からHSBCが19.9%保有していると記事に書いてある。
来年と再来年には、中国銀行と中国工商銀行が香港で上場すると記事に書いてある。そーいえば、中国銀行の香港現地法人は香港で上場しているはずだ。数年前N村から買い勧誘のダイレクトメールを送ってきたのを覚えている。と、いうことは、本家本元の中国銀行が上場するということか?
とりあえず大陸に資金を集めるイベントはまだまだありそうだ。
今週の取引: none
現在のポジション: EUR/USD 平均@1.2509
昨日の市況: EUR/USD @1.2288前後 | USD/JPY @108.60前後
5月13日に @1.2637 でEURを売ってから1ヶ月以上経過した。
@1.2460前後を突破するときの激しい往来を思い起こす。あの価格帯は重要だった。買い続けるのをあのレベルで諦めた人がたくさんいるだろう。
@1.1760-1.2000には重要な価格帯が複数見える。去年4~8月の下値testで作られてしまっている。ここからは、中長期の順張り屋にとっては我慢のしどころだと思う。
Stop を下げた。
日曜日午前11時45分から、テレビ朝日(東京近辺では10ch)系列で、「トップに聞く(だったと思う)」という短い番組をやっている。昨日たまたま見た。
信越化学工業の金川社長がインタビューを受けていた。
興味深いことに、「カントリーリスクのある国には進出しない方針だ。だから、中東と中国には出ない」と言う。
彼は正しいと思う。金を払っても避けられないリスクは、民間企業には負担し切れない。化学メーカーは装置産業だから、一旦進出すると簡単には撤退できない。戦争や内乱の危険性の高い地域に進出するのに慎重になるのは当然だ。
金川社長は、中国の歴史を調べたのだろうか?
先週から揉み合いが続いていたが、昨晩EUR/USDは@1.2100台前半まで落ちて来た。
今週の売買: none
現在のポジション: EUR/USD 平均@1.2509 売り
今週末の市況: EUR/USD @1.2120前後 | USD/JPY @108.60前後 (6月11日 05:50 JST)
6月8日付FT.com購読者用ページ <http://news.ft.com/cms/s/963decb6-d852-11d9-8fa7-00000e2511c8.html
>
長江の水を、水不足の深刻な華北に引く土木工事が実施中だ。何しろ黄河の下流は何年間も水が枯れている。
この記事で初めて知ったのだが、長江から水を引く水路が黄河の下を通る箇所があるそうだ。これは驚きだが、考えてみれば、サイフォンさえ造ればできてしまうことだ。
もっとも、このプロジェクトが完成して長江の水が華北に供給されても、華北の農民には恩恵は無いという。有料なので、貧しい農民は買えないという。と、いうことは都市生活用・産業用の水ということか。
5月30日の「胡と漢(17)」の⑤について。
以下は、実を言うと、基本的に司馬遼太郎の受け売りだ(註1)。
匈奴、柔然、突厥、契丹、蒙古などは、純粋に遊牧のみをして暮らす人々が中核を成している(このほかに狩猟も行う)。「純粋遊牧騎馬民」と呼ぶことにしよう。
女真とその後身「満洲」は、牧畜を主として営みながらも、ある程度粗放な農業をしている。また狩猟も行うし、漁労(註2)も行う。「半農半牧騎馬民」と呼ぶことにしよう。
「純粋遊牧騎馬民」よりも「半農半牧騎馬民」の方が、歴史を結果から見ると明らかに農耕社会になじんでいる。
匈奴の一部、南匈奴は確かに農耕社会に入り込み、最終的には数百年かけて農耕社会に溶け込み同化した。が、匈奴全体の歴史を見ると、基本的に農耕文明からに溶け込むような人達ではない。
匈奴が強大であった時期には、漢を圧迫はした。しかし「農耕地域を直接占領して農耕社会の君主を兼ねる」という行動には出なかった。
匈奴が東西に分裂し、その東側がさらに南北に分裂し、その南側だけが華北に移住した。それでも、彼らが同化するには数百年を要した。
突厥も匈奴と同様、最初から農耕社会を直接占領することには関心が無かった。軍事的な優位を元に、農耕社会の政権を服従させることができれば(そして貢物を得られれば)十分だったわけだ。それ以上のことをすると、遊牧民の生活様式が壊れかねない。
契丹は華北のごく一部を直接占領支配したが、農耕社会に同化することは無く、遊牧生活を変えたりはしなかった。
蒙古はもう少し進歩し、農耕社会を直接占領した。が、農耕社会に同化することは無く、自分たちのidentityを保ち続け、遊牧生活のライフスタイルを農耕社会の中においてさえ維持し続けた(註3)。明に華北から追い出されても、蒙古という集団は残り、今日まで続いた。
純粋遊牧騎馬民は、「遊牧」という生活様式に自信を持ち、頑として変えようとしなかった人達だ。
半農半牧騎馬民の女真/満洲は異なって見える。女真の金は華北を直接占領支配し、華北内部に首都を移動させた。すると、漢人社会の文化に数十年のうちに染まってしまった(註4)。
満洲の清はChina proper 全体を支配し、百数十年のうちに固有の言葉満洲語を失い(註5)、ほとんど同化して今日に至っている。
この差が何に由来するのかを解明した学説が存在するわけではないのではっきりしたことはまだ言えない。mattは(そして司馬遼も)元々から持っていた生活様式が大きく影響しているのではないかと考えている。元から農耕を曲がりなりにもやっていた場合、シナ風の生活様式はすばらしいものであり、かつ受け入れやすいものとして目に映ったのに相違ない。
上記の諸集団を見ると、マンチュリアから起こった集団は半農半牧騎馬民である可能性が高いのかもしれないとも思っている。今のところ憶測に過ぎないが。(註6)
鮮卑、夫余(フヨ)、高句麗はいずれもマンチュリア(鮮卑はモンゴル高原との境目付近)から勃興した集団だ。ひょっとしたら半農半牧だったのかもしれない。が、今のところはっきりしたことはmattには言えない。後日何らかの説を見かけることがあったらご紹介しよう。
さて、長々と「胡と漢」を書いてきた。ひとまずここでお休みとしたい。いつ再開するかはまだ決めていないが、いずれお知らせする。多分7月下旬かそれより後になるだろう。次回からは、「後唐:安史の乱~元(蒙古)の北遷(755年~1360年)」を綴るつもりだ。
- - - - - - - - - - - - -
註1: 司馬遼太郎の対談集や随筆に書いてある。
註2: 純粋に遊牧だけする騎馬民は、獣や鳥を対象に狩猟することはあっても、魚をとることはしない。もっとも、現在のモンゴル人(外モンゴルの)は川で魚釣りをするそうだ。
註3: 契丹と蒙古はシナ中原社会の中で彼ら自身の生活様式/彼らの集団的identityを維持し続けた。どうやって維持したかについては、後日755年以降の歴史について書く際に説明したい。このことは、次回以降の重要なテーマの一つとなるだろうと思っている。
註4: 金と清の皇帝には、書などに優れるシナ風の文化人が輩出している。こういったシナ文人風君主は、匈奴からも突厥からも契丹(遼)からも蒙古(元)からも出なかった。農耕社会に対する距離の置き方の違いがこういうところに現れていると思う。契丹や蒙古のように、シナ中原を直接支配していながら同化されなかったことは、純粋遊牧騎馬民の農耕文明に対するある種「拒絶」を表しているのではないか、とすら思えてくる。
註5: このブログ上で前述したが、新疆ウイグル自治区の天山山脈の中に、錫伯(シボ)族と呼ばれる満洲語の方言を話す少数民族が現在でも居住している。北京、マンチュリア、内蒙古には満洲人の血を引く人々が相当数(おそらく1千万単位で)現在でもいるのだが、言語的には漢人にほぼ同化しているとのこと。
註6: モンゴル高原と比べると、マンチュリアは降水量が多くかつ夏場の気温が高い。だからモンゴル高原と異なり、マンチュリアでは農業が可能だ。現在では穀倉地帯になっている。
5月30日の「胡と漢(17)」の③と④について。
騎馬部隊と歩兵部隊の戦術能力の差を示す事件がある。それほど有名な事件ではないが、ご紹介しておこう。
12世紀初頭に、現在のマンチュリアとモンゴル高原を支配していた遼帝国(契丹)が倒された。マンチュリア北東部から勃興した女真族の「金」と中原政権の「北宋」とが結託し挟み撃ちにした。
金と宋との間で国境画定条約締結のため、金側から宋へ使節団が派遣された。その使節団17騎が本国に帰国するため(現在の河北省内を)北上中に宋の在地の部隊が金の使節団を襲撃した。宋側は歩兵2000名の部隊である。
金側の17騎はただちに部隊を3手に分けて戦場を縦横に走り回って宋の歩兵部隊を撹乱、敗走させた。金側の損失はゼロだった。
17対2000でも勝負になるわけだ。
モンゴル高原全体を支配した諸政権は数万騎の騎馬戦力を保有した。場合によっては更に桁が上がったこともあったろう。単純計算すると数百万の歩兵でないと対抗できないことになる。シナの歴代の政権が騎馬民の動向に神経を使ったのも当然だ。
遊牧民の優位性はこれだけではない。長距離の兵站には全然有利なのだ。
遊牧民は1人の戦士が数頭の馬を率いて戦場に赴く。最初から替え馬が用意されている。農耕社会では馬の頭数に余裕が無い。替え馬が少ないから騎馬部隊の機動能力が向上しにくい。
騎馬民の側は食事が乳製品で十分だ。戦闘行動中は馬の乳を飲めばいい。最悪、馬の血を飲んだりする。便利なことに食べ物と飲み物を兼ねている。馬は単なる輸送手段以上の存在だ。
一方、農耕社会の軍隊は、穀物・油糧・燃料・塩・衣類などを車に載せて運ばなければならない。乾燥した草原・砂漠ではこの差は大きい。乾燥地だと、農耕社会の軍隊は水も車に載せて運ばねばならないだろう。
こんなにハンディキャップを負っていたら、「長距離の機動戦」でも「大陸を横断するような超長距離」でも、全然農耕社会側は敵わない。
騎馬民にも弱点がある。高温多湿な気候の場所では、その能力を十分に発揮できない。
馬はどちらかというと冷涼な気候に向いている(註)。また、遊牧民の側(人間の方)も、彼らが育った場所が比較的涼しく乾燥した気候の土地なので、高温多湿な気候が得意ではない。
シナの歴史上、南北の政権が対立する局面がときどき見られる。これは決して不思議なことではない。4月19日(火)の投稿「南船北馬」で書いたが、「秦嶺淮河線」が北の政権と南の政権との境目になることがしばしばある。
この線は「陝西省南部の秦嶺山脈と江蘇省・安徽省・河南省を貫く淮河とを結ぶ線」で、年間降水量750mmの線とほぼ一致する。南の稲作地帯と北の麦作・粟作地帯との境界線でもある。遊牧騎馬民の活躍できる南限がこの線になった例がしばしばある。
南に行けば行くほど高温多湿になっていくし、河川が多くなって陸上交通が遮断されやすくなる。騎馬部隊の得意な機動戦に持ち込めなくなっていく。南下するほど船が重要になるのだ。
- - - - - - - - - - - - -
註: 競走馬の産地が北海道に偏っている理由の一つは、北海道の冷涼な気候だろう。(もう一つは、広い草地を確保できることだろう)