5月30日の「胡と漢(17)」の③と④について。
騎馬部隊と歩兵部隊の戦術能力の差を示す事件がある。それほど有名な事件ではないが、ご紹介しておこう。
12世紀初頭に、現在のマンチュリアとモンゴル高原を支配していた遼帝国(契丹)が倒された。マンチュリア北東部から勃興した女真族の「金」と中原政権の「北宋」とが結託し挟み撃ちにした。
金と宋との間で国境画定条約締結のため、金側から宋へ使節団が派遣された。その使節団17騎が本国に帰国するため(現在の河北省内を)北上中に宋の在地の部隊が金の使節団を襲撃した。宋側は歩兵2000名の部隊である。
金側の17騎はただちに部隊を3手に分けて戦場を縦横に走り回って宋の歩兵部隊を撹乱、敗走させた。金側の損失はゼロだった。
17対2000でも勝負になるわけだ。
モンゴル高原全体を支配した諸政権は数万騎の騎馬戦力を保有した。場合によっては更に桁が上がったこともあったろう。単純計算すると数百万の歩兵でないと対抗できないことになる。シナの歴代の政権が騎馬民の動向に神経を使ったのも当然だ。
遊牧民の優位性はこれだけではない。長距離の兵站には全然有利なのだ。
遊牧民は1人の戦士が数頭の馬を率いて戦場に赴く。最初から替え馬が用意されている。農耕社会では馬の頭数に余裕が無い。替え馬が少ないから騎馬部隊の機動能力が向上しにくい。
騎馬民の側は食事が乳製品で十分だ。戦闘行動中は馬の乳を飲めばいい。最悪、馬の血を飲んだりする。便利なことに食べ物と飲み物を兼ねている。馬は単なる輸送手段以上の存在だ。
一方、農耕社会の軍隊は、穀物・油糧・燃料・塩・衣類などを車に載せて運ばなければならない。乾燥した草原・砂漠ではこの差は大きい。乾燥地だと、農耕社会の軍隊は水も車に載せて運ばねばならないだろう。
こんなにハンディキャップを負っていたら、「長距離の機動戦」でも「大陸を横断するような超長距離」でも、全然農耕社会側は敵わない。
騎馬民にも弱点がある。高温多湿な気候の場所では、その能力を十分に発揮できない。
馬はどちらかというと冷涼な気候に向いている(註)。また、遊牧民の側(人間の方)も、彼らが育った場所が比較的涼しく乾燥した気候の土地なので、高温多湿な気候が得意ではない。
シナの歴史上、南北の政権が対立する局面がときどき見られる。これは決して不思議なことではない。4月19日(火)の投稿「南船北馬」で書いたが、「秦嶺淮河線」が北の政権と南の政権との境目になることがしばしばある。
この線は「陝西省南部の秦嶺山脈と江蘇省・安徽省・河南省を貫く淮河とを結ぶ線」で、年間降水量750mmの線とほぼ一致する。南の稲作地帯と北の麦作・粟作地帯との境界線でもある。遊牧騎馬民の活躍できる南限がこの線になった例がしばしばある。
南に行けば行くほど高温多湿になっていくし、河川が多くなって陸上交通が遮断されやすくなる。騎馬部隊の得意な機動戦に持ち込めなくなっていく。南下するほど船が重要になるのだ。
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註: 競走馬の産地が北海道に偏っている理由の一つは、北海道の冷涼な気候だろう。(もう一つは、広い草地を確保できることだろう)