「地獄の警備員」で29歳の松重豊を見た後に、62歳の松重豊を見ようということで、アマプラにupされたばかりの本作を視聴した。

 

ボン・ジュノに監督を依頼したらスケジュールを理由に断られ、脚本も野木亜希子に頼もうとしたのをキャンセルし、監督・脚本を松重自身が担当したというから、この作品への情熱が見て取れる(脚本は、孤独のグルメシリーズ、めしばな刑事タチバナなどの田口佳宏も参加)。

 

松重豊の情熱がいっぱいに詰まった本作は、ドラマシリーズを長く愛するファンにとっても、初めて見る人にとってもしっかり楽しめる上質なエンタテインメント作品となっている。

 

昔の恋人の娘・千秋(杏)を訪ねてパリに出向くと、千秋の祖父・松尾一郎(北見三省)から、子供の頃に母親に作ってもらった「いっちゃん汁」をもう一度食べたい、どうやって作るのか調べてほしいと頼まれる。

そして五郎の過酷な食の探訪の旅が始まる。

 

ここから中盤まではコメディタッチのロードムービーとして、孤独のグルメの世界観、お約束は外さず(この辺りは松重豊本人が監督・脚本を担当したおかげか)進み、ファンとしても納得の面白さである。

遭難してたどり着いた謎の島の謎の施設に暮らす志穂(内田有紀)との出会いは、このあとの物語の伏線となる。この島で五郎はヒントとなる食材の入手に成功する。

その後の韓国でのイミグレ審査官とのやり取りなどは、本当に面白い。

韓国のイミグレ審査官役のユ・ジェミョン。

ユの演じた人のいいオジサンを見て、こういうオジサンいるよな、、と韓国時代を思い出した。

ファンテ(スケトウダラ)のへジャンクも懐かしい。

 

そして「いっちゃん汁」の材料の可能性がある食材を携えて東京に戻った五郎が行った先は、志穂から頼まれた、別れた夫(オダギリジョー)が経営するラーメン店「さんせりて」だった。

そこで知り合った「さんせりて」のラーメンのファンだという中川(磯村勇斗)と共に、集めた食材を使ってラーメンのスープを作ってほしいと懇願する。

このやり取りが、最終的には志穂の夢を叶えることとなり、また一郎の求めた「いっちゃん汁」を再現することになる。

 

松重豊監督のセンスが光るのは、ここで2つの見どころを作ったことだ。

一つは、中川が実はTVプロデューサーで、「さんせりて」を劇中劇ともいえる「孤高のグルメ」に出演させるというエピソード。

「善福寺六郎」というキャラを、遠藤憲一が演じており、思わずクスっときてしまう。

(遠藤憲一と松重豊といえば、2008年の「不毛地帯」での共演を思い出す)

 

それからもう一つは、最後まで五郎さんはさんせりて店主に、遠い島で暮らす奥さんのことは話さないこと。余韻を残したハードボイルドさが井之頭五郎の真骨頂であることを一番知っているのは、松重さん本人だからだろう。潔すぎて感動すら覚える。

 

みんなが思っていた、「孤独のグルメ」って映画にできるの?という疑問は、松重豊はじめスタッフの作品を愛する情熱で、見事に嬉しい方に裏切ってくれた。

このドラマの奥深さを思い知らされた一品で、お勧めの作品だ。

黒沢清の初期の作品がアマプラでupされていたので、早速観てみた。

 

公開された1992年といえばバブル崩壊後。

予算の無い中、30代そこそこの若い黒沢清がどんな苦労でこの映画を作ったかは、神の身ならぬMATTにはわかりようもないが、この頃から黒沢映画の幹はできていたのだな、ということは理解できた。

 

ストーリーがあるかと聞かれると、う~ん、、、、。

物語性よりもただただ恐怖を描いたと言えばそうだ。

でも黒沢映画の醍醐味である、ヒタヒタと忍び寄ってくる得体の知れぬ恐怖は、しっかりと感じることができた。

 

その恐怖が何かというと、過去に殺人を犯したが精神鑑定結果無罪になり、警備員となって主人公の会社に配属される富士丸という元力士。

この富士丸を、若き日のゴローさん松重豊が演じている。ゴローさん松重豊は、ただただ低い声でぼそぼそ呟き、ただただこん棒持って人を叩き殺すだけなので、演技というものでもなさそう。

全体的にこの作品、低予算のためかやたらとセリフが聞き取りづらい。

日本映画全般がそうであるように、セリフを聞こうと音量上げたら「ばばば~~~ん!!!」と、効果音が鳴り響き、びっくり。

なんとかしてほしい。

 

若き日のゴローさん松重豊。

「腹が、減った・・・」とは言いません。

 

主演の成島秋子に久野真紀子。この女優さん、その後あまり売れなかったようで名前を聞かない。

美人かというと、角度によってはそう見える不思議なお顔で、どちらかというと同僚の女性を演じた由良宣子という女優さんの方が美人だ。

そもそもこの作品でもホラーのヒロインなのに、犯人の富士丸(ゴローさん松重豊)から狙われる割には全然活躍しないし、最後は当時のトレンディドラマといえばこの人、長谷川ショパンこと長谷川初範が勇猛果敢に?富士丸と闘って勝利するのだ。

 

海外では1979年に「エイリアン」でシガニー・ウィーバーがエイリアンと最後まで死闘を繰り広げる宇宙飛行士を演じ、女性が活躍する未來を大胆に描いたのとはエライ違い。

作品中でも成島さんは、大杉漣演じる上司からセクハラ、パワハラ受けまくりだがじっと耐え忍ぶ。

令和の今なら大杉漣さんは、あっという間に離島送りだ。

昔の大杉漣は、こんな怪しい役が多い。2006年の園子温監督の「エクステ」での怪演が記憶に残る。

 

97分の作品だがラスト30分以外は、黒沢清ファンでなければ辛い時間だろう。

暗い絵にボソボソしゃべる人たちしか出てこないからだ。富士丸もあまり動かない。

ラスト30分は怒涛の展開になるので、まあまあ楽しめるか。

でも結局富士丸が何者だったのかよくわからないまま自殺してしまい、そのまま終わりというトンデモな展開。

まあ、でもよいのです。そういう映画なのだと思って観る作品なのです。

 

成島の職場は絵画を買い付ける仕事をしているので、バブルの頃に流行った海外の有名画家の作品などが出てくる。

途中、富士丸が人を殺すシーンで壁にかかってあったリトグラフは、フランシスコ・デ・ゴヤの「わが子を食らうサトゥルヌス」。

有名な絵画だが、黒沢清らしい演出で実に効果的な使われ方だった。

黒い影を多用した映像も、この5年後に撮られた名作「CURE」にもつながってくるもので、黒沢ファンとしては興味深い。

 

ゴローさん松重豊はじめ、役者さんも当たり前だが皆若い。

諏訪太郎、内藤剛(すぐ殺される)、洞口依子、緒方幹太(緒形拳の息子)らが脇を固める。

 

これは正直、黒沢清ファン以外は観てもちっとも面白くないだろうと思う。

そういう意味ではカルト的作品ともいえるだろう。

正直を言うと、、、

 

TBSのドラマはそれなりに楽しめるし、民放地上波の中では最も質が高いと思うのだが、でも「感動した」とか「もう一回見たい」というドラマは、あまりない。

 

脚本:大石静、主演:阿部サダヲ/松たか子 というと、まず間違いないと思ってもいい。

阿部・松の二人は「スイッチ」でとても息の合った演技を見せていたので、このドラマも大いに期待していた。

全9話のストーリーは主演の2人の演技力と、脇を固める俳優陣のレベルの高さ、大石静の大御所らしい安定感ある脚本で十分楽しめるのだが、残念ながらそこまでだ。

 

「北の国から」の再放送を先日見終えた。また別途ブログにあげるが、30年前の地上波ドラマは作り手の熱い想いがそれこそ重苦しいくらいに伝わってくるし、やりたいことがすべて表現されていたからこそ、作品としての完成度も高かったと感じた。

なんでも許される時代、もあったとは思う。

 

せっかくいい脚本、いい役者をそろえても今の時代、地上波放送局ではこれが限界なのだろうか。

でも3年前に関テレが制作した「エルピス-希望、あるいは災い-」のように、地方局の可能性はまだあると思う。そこに期待か。

 

裕福な一家、鈴木家の一人娘ネルラ(松たか子)と、一流弁護士の原田幸太郎(阿部サダヲ)が、病院で運命的な出会いをし、結婚するところから物語は動き出す。

 

あくまで勝手な思い込みに基づく理論だが、富裕層の家族というのは2種類ある。

表向きは幸せな一族を装いながらも、その実は家族崩壊を起こしている家族。

もう一つは、一般市民には理解しえないほどの「血の結束」によって、気持ち悪いほどの親密さを見せる家族。

鈴木家は、まさに後者である。

ネルラと結婚し、鈴木家が住むマンションに同居することになった幸太郎は、その気持ち悪さを目の当たりにする。そしてこの一家には、ある秘密があった。

 

それは15年前の、ネルラの元婚約者・布施夕人(玉置玲央)の不審死。

捜査の結果は事故死とされたが、当時から婚約者のネルラが疑われていて、15年前のこの事件を警視庁捜査一課の刑事・黒川(杉野遥亮)が再捜査を始めたことで、ネルラ、幸太郎そして鈴木家は運命の大きな波に飲み込まれていく。

 

中盤から終盤にかけての緊迫感はまずまずなのだが、終盤からラストにかけてはそうなんだ。。。。という盛り上がりの薄さで、そこがとても残念。

民放ドラマでは、ここまでなのだろうか。

 

阿部サダヲ、松たか子という役者をそろえたら、もうちょっと盛り上げてほしかった。

途中からはこの二人の演技だけを一生懸命観ていた気がする。

そこだけは、本当に素晴らしかった。

 

鈴木家は、段田安則、岡部たかし、板垣李光人。

そのほか、金田哲、小松和重、堀内敬子、馬場徹、戸塚純貴、小雪、野呂佳代、赤間麻里子、野間口徹(メガネレスの、悪い役の野間口くん)、山内圭哉、片桐仁、小手伸也らに加え、佐々木蔵之介がちょい役で出演している。

 

ドラマを観始め、ブログに書くようになってはや4年。

毎シーズン、数多ある中からどれを見ようか選ぶのに苦慮しているが、そろそろ数を絞り込んでも良いかなと思う。

自分の本当に見たいドラマだけ見る、、、、

次の秋ドラマはそうしてみるかな。

 

最後に、主題歌の    Oasis「Don’t Look Back In Anger」は良い選曲でした。

テレビ大阪/BSテレ東制作の「それでも俺は、妻としたい」は最高だった。

 

 

 

足立紳は今度はテレ朝で、自らの夫婦関係や家族の赤裸々な真実をさらけ出すことにしたらしい。

MEGUMIと風間俊介は、中村アン(朝山朝子)と小澤征悦(朝山賢太)に代わったが、息子の晴太はなんと同じ子役の嶋田鉄太が演じている。この子、自閉スペクトラム症の役を実に自然におもしろおかしく、かつ丁寧に演じていてすごい。違う局のドラマで同じ役をやるなんて、なかなかない。

そして今回初登場、長女の蝶子に 渡邉心結。母親同様、常にイライラして思春期真っただ中のJKを演じているが、なかなか味のある演技をしている。娘の高校生の頃を思い出してしまった。

 

「それでも、俺は妻としたい」の二人は、マジ切れドSのMEGUMIと、本当にこの人仕事しているの?と言うくらい売れなくて情けない風間俊介の掛け合いが最高だった。

一方、本ドラマはモデルの足立伸が「ブギウギ」で売れた後のエピソードなので、夫はそれなりに仕事をしている男として描かれている。

中村アンはキレ方が上品で、汚い言葉で罵ったりもするけれど、どこか相手を突き放さない優しさを感じるキレ方。MEGUMIと比べてどちらがいいとかではなく、相手の夫役とのバランスもあるので、これはこれでいい。

 

その夫役の小澤征悦は、風間俊介とはまた違った情けなさを醸し出している。

風間版は、いつも「ヤルこと」しか考えていないナヨナヨっぷりだったが、小澤版は煮詰めて煮詰めて男のダメな部分をドリップしたかのような、優柔不断で自己中、かつ自分のこと大好きなダメ男として描かれている。

でも男性目線で見ると男って、所詮こんなもんだよな、、、となぜか安心してしまう。

その点では風間版も同じ所感だったかもしれない。

 

自分たち家族をモデルにした映画を作るために、毎エピソード奮闘していく朝山家。

映画製作のために奔走する夫婦間のいざこざや、子供たちとの生活の一部始終が、いちいち心に刺さる。

それは、ドラマ用に仕立てられた美しいお話ではなく、どこにでも転がっているような、ごく普通のきれいではない日常だったりする。

古くからの友人で朝山家が立ち上げた事務所の所属俳優である、なかちゃんこと中野(松尾諭)が突然亡くなり、朝山夫妻が世話になった子供たちを葬式に誘う最終話のシーン。

どれだけ説得しても、結局二人は来なかった。子供ってそういうものだ。

ある程度の年齢になり、自分の世界ができてくると大人とは違う時間に生きるようになる。

そういったところのリアリティも、このドラマの魅力だ。

 

中村アン演じる朝子はとても魅力的な大人である。

最終話で自分のことを語るシーンは、どうしようもない夫との関係性においても、自らを冷静に分析して前向きにとらえようとする素敵な女性だ。

足立紳は、仕事でも人生でも本当にいいパートナーと出会えたということだろう。

 

共演者も個性的な俳優陣で固められている。

さとうほなみ、宇野祥平、坂田聡、竹財輝之助、影山優佳、 梅舟惟永らに加え、劇中の映画製作で、朝山夫妻を演じる俳優役に、丸山智巳、河井青葉。

足立紳の家族をモデルにしたドラマの中で、更にその家族をモデルにした映画を撮っているというドロステ効果的な見せ方で、なかなか面白い。

 

また松尾諭が、悲哀をまとった売れない俳優役を演じているが、足立紳は以前NHKドラマで「拾われた男 Lost Man Found」の脚本を書いていて、そのドラマは松尾諭のエッセイが元になっている。その縁もあってこの作品で重要な役で出ていたのだろうか。

 

こうなると、今度はまた違う局で違う俳優陣でこの家族のドラマをやってくれないだろうか。その時も晴太役は、同じ子役で。

 

最後に、朝子の言うことは本当にまったくその通りで何も反論の余地はないのだが、男であるMATTはやはり、賢太の情けなさがよくわかる。特に子供に対してのスタンスというか接し方。あのもどかしさは見ていて共感しかなかった・・・・・笑

NetflixでやっとUPされたので、観てみた。

正直なところ、観る前は少々不安でいっぱいだった。

それは、ドラマの良い部分が薄れ、下手に映画らしい話にしてしまい、ドラマ版の世界観がぶち壊しになっていないだろうかという不安だ。

 

だがそれは杞憂であった。

2時間の映画は、まさにドラマのスタイルが2時間の尺の中に詰め込まれ、伊藤家の人々の何気ない日常と、人生を生きるための知恵が詰まったエピソードがいつものようにテンポよく描かれていて、ファンは安心して楽しめる内容だった。

 

吉田鋼太郎はじめ、MEGUMI、木南晴夏、佐久間由衣、武田玲奈の伊藤家の面々、浜野謙太、太田莉菜らをはじめとしたレギュラー陣も健在。

ゲストに宮世琉弥、野村周平、中尾明憲、浅川梨奈、六角精児、松下由樹らがキャスト。

 

傘を横に地面に平行に持ってぶんぶん振りながら歩く男、蕎麦屋の天抜きや、尻を出して寝るクセのある里香(佐久間)、尖がったブラのシイナさん(美香ちゃん、早くいいブラを教えてあげて・・・・)など、ドラマ版を見ていたら懐かしいと思えるエピソード、ネタもふんだんにちりばめられていて、嬉しい。

 

映画版はドラマ版よりも源太郎さんの圧がかなり強くなっている。

正直ウザいほどにハンサムなことばかり言うのだが、終盤のクライマックスで美香を助けるためにヤンチャな若者たちに大々的に説教をする時の源太郎さんは、まさに面目躍如ともいえる大活躍だった。

舞台役者の吉田鋼太郎の演技力に圧倒される名シーンだ。

 

それから伊藤家のオムライスの話も興味深い。

源太郎さんの自論は「オムライスの主役はチキンライスだ。卵は一個、薄い卵焼きでよい。卵たっぷりフワトロなど言語道断!!」。

実は最近、敬愛する土井善晴先生がTVでまったく同じことを言っていたのだ。

試しに土居先生のレシピでオムライスを作ってみたら、ほんとに美味しかった。

なんか、今までオムライスについては間違っていたことに気づかされた・・・・笑

 

しかし最も感動してウルっときたのは、千鶴お母さん(MEGUMI)の幼少期のエピソード。

お父さんよりも前に一番目に好きになった男の人の話を家族にするシーン。

子どもの頃、母親は食堂をやりながら女手一つで育ててくれた。

母親不在のある日、店に来た男性の注文に見様見真似で焼きそばを作ったが、その出来は酷いものだった。しかしそんな焼きそばを文句も言わず完食、お金を払う時にありがとう、と言って去って行ったその男性が、お母さんにとっての初恋の人だった。

何気ないお話だが、「おいハンサム‼」が大事にしているテーマを象徴するようなエピソードだった。

 

それは日本人が最近忘れてしまいつつある、他者を思いやる気持ち、感謝の気持ち、足るを知るということだ。

これはこのドラマが一貫して大切にしていてそれを劇中、事あるごとに源太郎さんが熱く語っている。

 

こんなことを書くと愛国主義者かと誤解されそうだが、今こそ日本人の持っている美しい精神、心をもっと一人ひとりが意識して生きるべきではないかと。

海外に出て生活したことがある人はわかるだろう。

日本人で良かった、と思える瞬間があるはずだ。

 

「おいハンサム‼」は、そんな言葉にすると少し恥ずかしい気持ちを代弁してくれる。

また続編を期待したい。

次回もぜひ、同じメンバーで!!