前から観ようと思っていたが、見ごたえある作品だった。

 

終わってからwikiを見たら、監督は石川慶と知る。

「愚行録」「イノセント・デイズ」でも妻夫木聡と組んでいて、そのほかにも「Arc アーク」のような難解な作品も撮ってしまう、実力ある監督さん。

最新作「遠い山なみの光」が先日公開された。

 

MATTが観る作品の妻夫木聡はいつも情けない役か、ずるくて悪い奴ばかりだった。

いや、正確に言うと人間的に弱い男の役、と言うべきだろうか。

本作品で弁護士の城戸を演じる妻夫木聡は、在日三世ということを心のどこかで負い目を感じながら生きている、理性的だが本当は弱い男だ。

 

戸籍の交換で身分を変えて生きる人のドラマは、これまでもあった。

本作品も、人生における様々な事情や心の傷を隠すかのように、本来の自分を捨てて誰かの名前を借りてひっそりと生きていく男たちが描かれる。

 

誰もが自分らしく生きたいと思うのだが、世の中には自分が嫌で仕方なくなり、誰か知らない人間になって生きたいという者もいる。

宮崎の田舎町で起こった不可解な事件、それはある男が全然知らない誰かの名前を名乗って生きていたのが、死後判明するというものだった。

城戸はかつて依頼を受けたことのある理枝(安藤サクラ)の元を訪れて、配偶者だった谷口大祐(窪田正孝)という男が、実はまったくの別人(のちに、強盗殺人で死刑になった男の息子で原誠という人物であるとわかる)であったことを知らされ、調査を頼まれる。

 

調査を進めていき、真相に近づいていく城戸だが、その過程でだんだん戸籍を交換して生きていく男たちの気持ちに寄り添うようになっていく。

 

それは城戸の出自に理由があった。

妻の香織(真木よう子)の両親(モロ師岡、池上季実子)から、在日であることを暗に揶揄されたり、戸籍交換の仲介者の男(柄本明)から在日であることを指摘されたりと、自らのアイデンティティを、心無く踏みにじられる。

きっと、普段から深いコンプレックスを持って生きているはずだ。

 

そんな城戸だからこそ、谷口を名乗っていた原誠や彼と戸籍を交換した本物の谷口(仲野太賀)らの気持ちが痛いほどわかるのだろう。

 

物語の途中に死刑囚の描いた絵の展覧会のシーンがある。

展覧会での講演の中で、死刑囚は人間として生まれ変わることができるか、というテーマが取り上げられていた。

本当に改心して生まれ変わることもあるかもしれないが、普通の人間は簡単にはできないだろう。だとすると、強制的に自分という存在を変えるしかない。

そうやって生きざるを得ないほど、追い詰められているとしたら・・・・

 

事件の調査報告を終えた城戸は里枝に伝える。「原誠が里枝たちと過ごした3年9カ月は、幸せだったはず」と。

それは自分に納得させるかのような物言いだった。

 

家族との幸せな生活を送っていた城戸は、ある日、妻の携帯に知らない男からのメッセージが届くのを見て、浮気を確信する。

ラストシーンのバーで隣に座った男(矢柴俊博)に身の上話をする城戸。

しかし彼が語っているのは、谷口になりすました原誠の人生そのものだった。

彼自身も、本当に幸せな人生を求めて自分を捨てたかったのかもしれない。

 

役者陣はここまでの登場人物だけでも豪華なのだが、共演に清野菜名、眞島秀和、小藪千豊、でんでん、水間ロンらが出演。

また「ふてほど」に出演し存在感を見せた坂元愛登と、同じく「ふてほど」でブレイクし、今や押しも押されぬ人気の河合優実がちょい役で出ている。

 

妖怪じみた存在を演じたら柄本明以外は考えられないし、陰を背負って生きる窪田正孝、弱い人間を演じたらNo1の妻夫木聡、普通の人が本当に上手い安藤サクラ、若くても色気のある清野菜名、わずかの出番ながら光る演技の河合優実、味わい深いでんでんなど、いい役者と名監督が揃って名作となった。

最近、TVで放映中のドラマよりも、配信で過去の隠れた名作を探すほうが面白い作品に出合えることが多い。

「チェイス」「鈴木先生」と当たりくじを引いたように、面白い作品を観てきたが、このドラマも最高に楽しめた。

 

「舟を編む」の三浦しをんの原作で、これまで2011年に「まほろ駅前多田便利軒」、2014年「まほろ駅前狂騒曲」と映画化されている。ドラマ版は2013年に放映された。

 

多田を演じる瑛太と、行天を演じる松田龍平の二人が架空の街・まほろ市で便利屋を営み、街の住人たちの様々な依頼にゆる~く「全力」で取り組む姿が、人情あふれる物語で展開される。

原作の面白さはもちろんだが、大根仁による脚本・演出が絶妙だ。

同じ年に大根は「リバースエッジ 大川端探偵社」も担当している。

2話の「麗しのカラオケモデル、探します」は、大川端探偵社の伝説の?回、桃の木まりんちゃんの話に似ている。原作にないドラマオリジナルで、大根仁が脚本ということで、さもありなん、である。

 

瑛太と松田龍平が演じる個性的な二人の存在が、この作品の最大の魅力であることは間違いない。マジメでかっこつけの多田と、何を考えているかまったくわからないが、時折ぼそっとつぶやくひとことと行動が正鵠を突いている行天。

お互いいがみ合っているように見えても、自分にはないものを持つ相方をリスペクトしている。

 

憎めない人たちに振り回されながら、金に困り、それでも自らの信条を曲げずに生き抜く。暴力や争いごとは避ける。

松田龍平の父・松田優作が演じた「探偵物語」の工藤俊作を思い出す。

 

「探偵物語」がそうだったように、二人を取り巻く人々も愛すべき人たちだ。

渡邊真紀子、三浦誠巳、大森南朋、松尾スズキらが、脇をがっちり固める。

各話のゲストも多彩。

 

第1話  永澤俊矢、宇梶剛士、 坂井真紀
 幼い娘役に、スカイキャッスルで好演していた新井美羽が。

第2話  風祭ゆき、篠原友希子、野間口徹、大河内浩

 桃の木まりんちゃんのお話とクリソツ。。。

第3話 川村ゆきえ

 三浦誠巳演じる刑事を助けるために、行天の仕掛けた一言がいかしている。

 

第4話 大方斐紗子、 正名僕蔵、 麿赤兒

 このお話に出てくるヌードの蝋人形が妙にエロくて。。。。

第5話  新井浩文、宮下順子
 劇中ドラマに安藤サクラが出ているが、なんとまだ若い広瀬アリスがちょい役で出ている。

 翌年、同じテレ東の「玉川区役所 OF THE DEAD」で魅力的な役に大抜擢。

第6話 臼田あさ美

 シングルマザーの生き方を、臼田あさ美が痛快に演じて〇

 

第7話 渋川清彦、岸部一徳

 このお話に出てくる拳銃が、最終話で非常に重要な役割を持つことに。


第8話 黒木華、高部あい

 黒木華はこの頃からきらりと光る演技をしていたのが、よくわかる。

第9話 信太昌之、宇野祥平、前野朋哉
第9 - 10話  刈谷友衣子、 山本舞香、高良健吾

 山本舞香が出ているが、この頃は刈谷友衣子の方が格上だったようだ。

 彼女、とても綺麗な華のある子なのだが、翌年には体調不良を理由に引退している。

 何があったのかとても気になる。

 

刈谷友衣子。

共演した山本舞香は順調に活躍している。

彼女も光るものがあったのに、、、

第11 - 最終話 真木よう子、赤堀雅秋

 真木よう子と瑛太といえば、同時期に放映された「最高の離婚」で共演していた。

 もっとも真木よう子のお相手は綾野剛で、瑛太のお相手は尾野真千子だったが。

 

最終話では、キッチンのオーナーで未亡人の亜沙子(真木よう子)のために、瑛太自らが定義していた便利屋を卒業することになる。

ヤバい奴らを相手に行天とともに立ち向かい、文字通りボロボロになるが便利屋としての道は外さなかった。ちょっとやり過ぎてしまったが、それも許されるだろう。

 

松田優作の「探偵物語」、オダギリジョーの「リバースエッジ 大川端探偵社」「僕の手を売ります」など、社会的には決して日の当たる存在ではないが、自分の正しいと思う道を貫き通す。そんな生き方に誰しも憧れるから、こういうお話は飽きが来ない。

またいつか、多田や行天のような男たちのドラマができるのを期待したい。

 

ドラマ版は映画とは異なるパラレルワールドのような存在とのことなので、映画版も見てそれぞれの世界観を堪能してみたい。

ちょっと前からアマプラにあがっていたので、観たかった作品。

 

監督の長谷川和彦は寡作ながらその激しい生き方で、カルト的な人気を博している。

原爆を作って国を脅迫するという衝撃的な内容だが、そんなタブーを扱えたのも、長谷川自身が胎内被爆者であるという事実があったからだ。

 

戦後30年あまりのこの時代に、原爆、それも反原爆・核ではなく、原爆そのものを犯罪に使うというテーマを扱うこと自体、現代では考えられないのだが、物語の冒頭で主役の城戸誠(沢田研二)と、彼を追うことになる刑事・山下(菅原文太)が出会う事件は、伊藤雄之助演じる元日本兵が天皇に会ってモノ申したいという案件で、皇居に突入するシーンが出てきたり、これまたセンシティブな内容だ。

 

敢えてタブーに挑んだ以外でも、4年前に公開された「新幹線大爆破」もそうだったのだが、許可が降りないシーンはすべて無許可のゲリラ撮影、というのも時代を感じる。

コンプライアンスに縛られている現代ではありえない撮影方法で、画面からにじみ出る緊迫感はまさに時代の息吹が感じられる。

 

そのあたりの制作秘話や時代背景はWikipediaからも読み取れるが、一度当時の文献なども読んでみたい。日本映画界が活況を呈していたあのころの、映画人の情熱に触れてみたいからだ。

 

2時間半近いストーリーだが展開が早く、中だるみするところもないのであっという間に終わってしまう。

ジュリーこと沢田研二は色気があり、危険な香りが全身からにじみ出ているかのよう。

都会の片隅で孤独に生き、次第に妄想を膨らませてやがてとんでもないものを作ってしまう。

高度経済成長の日本がバブルに差し掛かる前のこの時代に、映画は後年城戸のようなタイプの犯罪者が出現してくるのを予言していたかのようだ。

 

原爆というセンシティブな題材を扱っているが、原爆はあくまで物語のいちファクターに過ぎない。城戸が内面に抱え込んでいる、モヤモヤとした言語化できない何かが、原爆という形になって表れたのだろうか。

自宅のアパートでひたすら原爆制作に没頭する城戸は、どこか活き活きとしている。

しかし、完成した後の城戸はまるで生きる気力を失くしてしまったかのようだ。

本当は彼は誰かと内に秘めるモヤモヤしたものを共有したかったのではないだろうか。

それが皇居の事件で出会い、危機をともに乗り越えた山下刑事だったのかもしれない。

 

城戸が爆弾魔と知らず執拗に追いかける山下だが、そんな彼から必死に逃れようとする城戸は、少なくとも生きようとしていた。

原爆制作過程で被爆してしまったことを知った時も、生への執着を見せていた。

しかしラストシーンで山下刑事と対峙し激しい格闘の末、ビルから落下、山下刑事は即死するが、城戸は奇跡的に助かる(このシーンは冷静に見たらかなり面白いのだが、、、、)。

山下の死を目の当たりにした城戸は、渋谷の街を原爆を抱えたまま、夢遊病者のように歩いていく。

 

唯一の自分の理解者(だと一方的に思っていた?)山下の死は、彼に死への扉の向こう側に行く決心をつけさせたのか。

物語はこのあと、ブラックアウトして原爆の爆発する音で終わる。

衝撃的なラストシーンだ。

 

その当時の時代の空気を色濃くフィルムに残す作品こそ、名作と呼べるのではないだろうか。だとすれば、「太陽を盗んだ男」は名作だろう。

だが、タブーに敢えて挑んでいた昭和の作品に比べ、現代の映画作品はそこまでの挑戦ができない環境に置かれている。

 

映画は昭和の頃の文化、人々の生き方、思想が良く見えるという点で後世へと引き継いでいくレガシーの価値がある。

果たして今の映画にそのような価値があるだろうか。

 

色々考えさせてくれ、なおかつエンタテインメントとしては最高に面白かった。

見るべき昭和の映画遺産としてお薦めの作品と言える。

2011年のドラマ。

ネットで隠れた名作として紹介されていて、いつか観たいと思っていたが、アマプラにupされて早速視聴。思っていた以上に面白く、アメリカ単身赴任時代であれば間違いなく一気見していただろう。

 

MATTと同世代の武富健治の原作。昭和の学園ものに通じる熱い何かがストーリーには見え隠れするものの、赤裸々に描かれる教師の抱える悩みや生徒にまつわる様々な課題が、上手く織り込まれている。

また、古沢良太の脚本や河合勇人監督らによって、一流のエンタテインメントとしても見どころあり。

 

長谷川博己の連ドラデビュー作であり、このあと「デート」や「家政婦のミタ」でブレイクしていく。生徒たち一人一人の人格を尊重し、その一方で弱さも惜しみなくさらけ出すという魅力的な鈴木先生というキャラクターを、計算し尽くされた演技でまさに才能が爆発している。

 

生徒役も学園モノあるあるで、今きら星のごとく活躍している俳優たちが、まだ初々しい演技で活躍しているのも見どころ。

北村匠海、土屋太鳳、小野花梨、三浦透子、松岡茉優らが、さすがの演技でドラマを引っ張っていた。

土屋太鳳はキーとなる小川蘇美を演じており、小野花梨や三浦透子は生徒たちの中ではセリフもたくさんあり、彼女らが主人公の回もある。

北村匠海は彼一人が目立つ回はほとんどなし。

松岡茉優に至ってはほとんど端役扱いで、セリフも少ない。

しかし二人とも、時折見せる演技は光りまくっていた。

一方で、いい演技をしている子役たちも多数いたが、その後それほど活躍していないような現実を見て、厳しい世界なのだなとも思う。

 

鈴木先生の恋人・麻美には臼田あさ美。当時26歳。

今でも美しく、演技派女優の筆頭だがとても可愛いのよね。。。。素敵です。

臼田あさ美。

そういえば、「御上先生」にも出ておられました・・・

 

教師陣もなかなかのキャスト。NHKに並んでテレ東ドラマはこういうところが心憎い。

校長の斉木しげるをはじめとして、 山口智充、田畑智子、 赤堀雅秋、山中聡、でんでん、富田靖子、歌川椎子、戸田昌宏と、曲者ぞろい。

特に、ドラマ後半でどんどん暴走していく富田靖子演じる足子先生はもはやホラーで、デビューのころの富田靖子を知る世代としては、斉藤由貴のホラーぶりとともに時の流れというか人格の熟成?を感じざるを得ない。

 

ドラマはいきなり1話から突っ走っていく。

まだ中学2年の教え子と、小学4年生の女の子との色恋沙汰という衝撃的な事件。

さすがテレ東の夜10時枠。この頃から攻めている。

全10話で描かれる事件は、どこかに男女の色恋とセックスが絡んでくる。

中学生というのは心と体のバランスが一番不安定な世代なので、これは当然であろう。

 

そんな難しい年ごろの生徒たちに鈴木先生が向ける情熱は、多少歪んでいるかもしれない。

理想の教室・生徒を作るための壮大な実験として、以前から目をつけていた小川蘇美という優等生の美少女を、クラス編成でGETするなどやりたい放題なのだが、それもこれも理想のクラス作りと生徒たちの成長を願ってのこと。

 

だが、その小川に心を奪われてしまうという妄想に苦しめられることになり、その葛藤を長谷川博己は彼独特の内面描写で、生々しく演じている。

いい年をした大人の教師が、中学2年の女子生徒に対して妄想するなど、現代に放送したらかなり気まずいことになっていただろう。まさに今世間を騒がしている問題は、このドラマ以上に酷いことになっているからだ。

 

それはさておき、生徒たちとの間に様々な事件が勃発するが、鈴木先生は決して生徒たちに説教をしたり、正しい道はこれだとばかりに導いたりはしない。

彼が行うのは生徒たちと向き合い共に悩み、それぞれの個性を引き出して、互いの意見をぶつけさせ化学反応を起こすべく、全神経を集中し、自らの持つあらゆる知見を総動員して答えを導き出していく。

 

その過程での生徒たちの心や考えの変化、人格の成長だったり、鈴木先生自身の生徒たちに対する眼差しの進化がとても瑞々しい。

これこそが、このドラマの醍醐味であり見どころだ。

 

そして、恋人の麻美とのできちゃった婚が生徒たちの動揺を呼び、鈴木先生の弾劾裁判へと発展していくが、ここでの生徒たちによるディベートはまさに最終回にふさわしい内容である。

生徒役の俳優たちの演技力と演出、脚本のレベルが高く、これまで観てきた学園ドラマの中でもトップクラスの緊張感にあふれている。

それをしっかり受け止める長谷川博己の演技も素晴らしい。

 

かなりレベルが高く面白いドラマだったが、当時の視聴率はさんざんだったそう。

しかし原作もドラマも高い評価を得て、知る人ぞ知る作品となったのは至極当然。

まだ本作を知らない人がたくさんいるのだろう。

是非観ないと後悔する一品だ。ドラマシリーズの後に放映されたスペシャル、2年後に公開された映画もいつか観てみたい。

まだ福知山にいたころ、宇都宮に帰って来ては当時BSフジで再放送していた「北の国から」シリーズの録画を見るのが楽しみだった。

 

リアタイではまったく興味がなかったのに、50近くになって初めてちゃんと見て、心にしっかりと刺さった。それまではとんねるずのコントでしか見たことなかったのに、、、笑

 

ただ、ドラマ版の途中から見てしまったため、なぜ黒板親子が北海道に移住したのか、周囲の人たちとの関係性は?など、理解が半端なままだった。

この夏、フジTVは一連の不祥事で放映コンテンツが尽きたからか、ドラマ版の再放送が実現した。

 

TVドラマ史に残る名作ゆえ、書き始めるときりがない。

色々なメディアでも語り尽くされている。今更それ以上のことを書いても仕方ない。

倉本聰とスタッフ、出演者の後世に残るほどのメッセージ性の強いドラマを作ろうという熱い意思があふれんばかりの作品だった。

 

倉本聰は当初、純(吉岡秀隆)の成長期をイメージして脚本を書いたのだが、途中から蛍(中嶋朋子)の成長期になってしまったと語っていた。

その視点でもう一度見ると、なるほどと。

倉本さん曰く「北海道の女は強い」。

今の時代、ドラマ描写では考えられないくらい、蛍は過酷な少女時代を生きている。

大人の論理や身勝手に蹂躙、翻弄される姿は、今なら虐待と言われかねないものだ。

だが、蛍はそんな幼少期を過ごしても強く、たくましく生きていく。

それは、ドラマシリーズで出て来た数々のヒロインたちにも当てはまる。

 

先見の明ともいえる痛烈な物質社会への批判は、このドラマの一つの軸でもあるけれど、「北の国から」が後にも先にもない名作といえるのは、その躊躇ない人間描写と人間愛なのだと思う。

 

純は親の都合で辺鄙な田舎に連れてこられた悲劇の主人公のはずだが、決してその逆境に耐える美しい心の持ち主などではない。

偏狭で、自己チューで、THE子供という存在だ。

父親の黒板五郎(田中邦衛)も然り。

当初、高倉健がキャストされる予定だったというこの冴えない男は、かっこ悪くて卑屈で根っから考え方が貧乏くさい。

 

けれど、そのありのままの姿が視聴者の共感を呼ぶ。

抗うことのできない大自然の脅威の前に生きる人たちの姿に、付け焼刃のようなドラマチックな人間性は不要だ。そこにあるのはただ必死に生きようとしている一人の人間の姿のみ。

 

彼ら黒板家とともに、大自然で生きる生の人間を体現しているキャストでは、北村清吉役の大滝秀治と、笠松杵次役の大友柳太朗の二人のベテラン俳優の存在も大きい。

この二人の名優の存在は、その後のシリーズやドラマのテーマにも大きな影響を与えている。

 

バブル期~バブル崩壊後の日本への強烈なアンチテーゼだったり、一つの家族の成長を長期間にわたって追いかけたりと、このドラマの独自の世界観に評価が集まるが、このドラマの本当に素晴らしいところは、ただただ普通の人々が必死に生きているだけの世界を、これほど嫌みなく魅力的に、しかも長期にわたり描き切ったことにあると思う。

 

どこまでも人間臭く、愛すべき人たちの生きる姿を演じた役者たちと、それを支えたスタッフ。

そして情熱をもって制作に取り組んだ作り手たち。

もう二度とこんなドラマは生まれないだろう。

それこそ国宝にしてもいいくらい、とドラマ好きとして思ってしまう。

 

最近時、外国人投資家が富良野に注目して投資し、どんどん新しい宿泊施設が完成し、街が様変わりしていると聞いた。

確実に時は流れている。