「自己肯定感」 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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岡本よりたかさんのFacebookより転載させていただきます。

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「自己肯定感」

 

ある人から、母に愛されなかったという話を聞いた。

愛されていないと感じてしまった子どもは、どうすれば愛されるのか、分からなくなる。

 

そして、他人の視線をとても気にするようになってしまう。

愛されないのは自分の行いのせいだと勘違いするから、自分の気持ちを誰にも吐露することができず、長く一人悩む。

 

そんな時、自分で自分を愛することができれば良いのだが、愛とは何かが分からず、迷路を彷徨う。

いわゆる自己肯定感の喪失である。

 

実は、僕の姉がそうだったのではないかと感じる時が、時々ある。

末っ子の僕は両親が目をかけてくれた。それが当たり前だと思っていた。

だが、ある時、押入れのドアの裏側のメモを見てしまった。

「康子にもっと優しくする」

父の文字で、そう書いてあった。

 

それを見た時から、僕の行動は変わった。両親からできるだけ離れ、そして高校を卒業する間も無く、両親の元を離れて行った。

その分、姉が愛されるのではないかと思ったからである。

 

自己肯定感。

 

簡単なようで簡単な話ではない。

そんな僕でさえ、自己肯定感は喪失していた。どうすれば自分を愛せるのか。

僕が自己肯定感を感じるまでに、長い長い時間がかかった。

 

答えは簡単だった。

生きるために必要なものを、自分の手で生み出すことである。そして、自分で作り出したものに囲まれて暮らすことである。

 

さらに他人に対する肯定感を持つこと。つまり、「できない事を増やす」ことである。

誰かに頼る。頼るためのスキルを身につける。これが必要である。

 

だから、自分では作れないものは、自分の好きな人、憧れる人、尊敬できる人が作り出したもので固める。

あるいは身の回り品を、自分がとても気に入った手作りのもので固める。

 

できないことは、知り合いにお願いし、深く感謝すること。

だけど、自分ができることを増やし、そのスキルで誰かを助けること。インプットしたものをアウトプットする。

それだけに集中して生きて行けばいいのである。

 

そうすれば、自己肯定感が高まり、他人への肯定感も高まる。

"自分で自分を愛する"と言う言葉は素敵ではあるが、実際にどうすればいいのかは、悩む本人には分からない。

それよりも手仕事をしてみよう。

なんでもいい。どんなことでもいい。神から、いや両親からいただいたこの手を使って、自分の好きなものを生み出してみよう。

それだけで充分だと、僕は思う。

 

自己肯定感を得るために。

 

 

 

  

 

 

 

 

  

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表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

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