【嵐山の封印のこと】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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 【嵐山の封印のこと】

 

インナーチャイルドの解放をやっていると、私たちの意識が、一見何の関係もないような古い記憶を持っていて、潜在意識でそれに反応していることがあるのがよくわかる。住んでいる土地に染みついている古い記憶に反応していることもあるし、遥か昔の祖先の記憶に反応していることもある。

 

もちろん、こうしたことははっきりと確かめられるようなことではないけれど、しかし、そうした古い記憶に反応していると考えると、ようやく何が起きていたのかがわかるということがある。そして、それを手がかりにして解いていくと、それまで何をどうやっても解けなかった封印が、するりと解けてしまったりもする。

 

父親が子供のときに再婚してから、まるでお伽噺の継子いじめそのもののような、今どきあり得ないようないじめ方をされて育ったという人のインナーチャイルドの解放セッションをワークショップでやっていたときに、父方の先祖が関東武士の家系だったという事実が出てきた。承久の乱の頃に戦で手柄を立てて、三重の農地をもらい、半農生活をしていたということだった。

 

リーディングしてみると、父方の家族が、子供に対してまるきり人間的な感情を持っていないようなイメージが見えてきた。それで、どうしてそんなことになっているのかと見ていくと、遠い祖先の記憶が現れてきたのだ。

 

関東武士というのは、もともとは縄文の狩人のような人たちだったのだろう。自然とともに生活していたけれど、強いのを見込まれて戦に駆り出されたのだ。ところで、戦で戦うとは、つまりは上から言われるままに、人を殺すことだ。

 

ともかくも手柄を立てて田舎の土地をもらって半農生活を始めても、この人たちは、農民に対する強い差別意識みたいなものがあって、普通の農民をバカにしているように思えた。それどころか、憎んでさえいるようだった。山奥の隠れ里に住んでいた落ち武者みたいな人たちも、後の時代に百姓一揆を弾圧するのに駆り出されたりしたという話を思い出した。田舎の農村に暮らしていても、普通の農民との間には、越えられない境があって、たがいに差別したり軽蔑したり憎み合ったりしていたようなのだ。

 

上から命令されるままに、人を殺したり傷つけたりして、それで特権を得ている人たちは、「それはそういうものだから」と、罪の意識を抑圧していくのだと思う。それが世の中というもので、それが人生というものだから、それでいいのだと受け入れていく。しかし、罪の意識を抑圧していると、まさにその罪の意識を現実化するようなことになるのだ。心が閉じて、自分の得になることしか考えなくなるから、人に嫌われて、家族関係も悪くなる。それで、何回も離婚したり、相手に怨まれたり、ということになる。そんな家庭で、子供がまともに育つはずがない。

 

こういう下級武士たちも、もともとは縄文の狩人たちだったりしたのだろう。戦いと支配の時代にならなければ、上からの命令で人を斬ったりすることもなく、家族を大事にして幸せに暮らしていただろう。それならば、その時代まで戻っていって、ずっと縄文時代のまま、先祖代々幸せに暮らしていたことにしてしまったらどうだろうということになった。

 

ところで、過去をどう変えればいいのかと考えていたときに、何故だか京都の西の方に何か封印があるというイメージが出てきた。それで、地図を見てみると、西側には嵐山があり、どうもそのあたりが重苦しい感じなのだ。彼女は京都の真ん中辺に住んでいるけれど、家族は京都とは関係がない。しかし、何か同じような封印があるために、引き寄せ合って京都に住むことになっているのかもしれない。彼女は、京都は気が重いから嫌なのだけれど、何故だかどうしても京都から出られないのだと言っていた。

 

嵐山のエネルギーにアクセスしてみると、竹林の中に隠れ住んでいる人たちのイメージが現れた。京都は、大和朝廷が日本中あちこちの縄文の聖地を破壊して、鉱山を奪っていたので、縄文民族の怨みの念が魑魅魍魎のようになって、都を荒らしていた時代がある。そのために、陰陽師や真言密教で四方八方を封じ込めてあり、それによって京都市内の気が淀んでいるようなところがある。嵐山にも、何か暗い歴史があるようだ。

 

このところ、セッションをやっていて、京都のあちこちを開けることになることが続いていた。何故だか京都絡みの話が多かったのだ。東山を開けたときには、琵琶湖へいたる山の中で、縄文民族が磐座を封じ込められて、戦った男たちが無残に殺されている記憶が出てきた。北側を開けたときは、与えられた型にはまったことをしていないと、虐待されて殺されるみたいな意識が現れてきた。かつて、縄文の人々が、大和朝廷のやり方に従わされて、彼らのやり方で生きることが厳しく弾圧されたことがあったのだ。それで今でも京都の人は、しきたり通りにやらない人たちに対して、過剰に軽蔑するような態度になるのかもしれない。

 

京都の北側には、鞍馬山があり、谷をはさんで西側には、貴船山がある。鞍馬ばかりが注目されているけれど、実は鞍馬山と貴船山は陰陽の関係になっているように思えた。北側を開けてみたら、貴船のあたりが急に軽くなったようで、貴船山がいきなり現れたかのように、存在感を増した。おそらく、女性性が封じ込められていたのだ。違いを越えて受け入れ合い、横並びの調和の関係を作り出すのが女性性で、それがまさに縄文文化が大和朝廷と大きく違うところだ。そのために、日本中いたるところで、縄文の女性性の方の聖地が、まるで存在していないかのような扱いを受けている。

 

嵐山には、竹林の中で竹を使って何でも作りながら、豊かに暮らしている人たちがいたのだろう。竹があれば、生活に必要なものは何でもできる。京都は、竹垣や竹細工でも有名だ。茶道で使う茶杓も茶筅も、すべて竹細工で作られている。そんなところに、何かのわけがあって隠れ住んでいた人たちがいたのかもしれない。支配に従ったために、自ら罪を犯すことになって、身を隠しながら、山賊のようなことをして生きていた人たちも、京都のまわりにはいたのだ。

 

それで、この2000年ほどの歴史を丸ごと変えてしまって、縄文のままずっと来ていたことにして、嵐山の人たちも罪を犯すこともなく、平和に暮らしていたように書き換えてしまうことにした。すると、嵐山のあたりに熱いくらいのエネルギーを感じ始めた。この熱さ。これは、人間がありのままで認め合えるという熱さなのだろう。それがまさに京都で封じ込められていたものだった。ありのままであってはいけない、人間的な感情を持ってはいけない、型通りに振る舞っていなくてはいけない、という封じ込めが、京都を重苦しくさせていたのだ。

 

すると、竹林の仙人なのか縄文の鬼さんたちなのか、陽気で創造的な人たちが現れて、竹林で楽しげに型破りな生活をしている姿が見えてきた。それでどうやら嵐山の封じ込めは解けたようだった。京都に住んでいる彼女も、京都に来て初めて深く息が吸えると言っていた。重苦しかった空気が軽くなったと。

 

彼女は、後ろから斬られる感覚がすることがよくあったというのだけれど、それは先祖が後ろから斬ったり斬られたりするような体験をしていたかららしい。人を後ろから斬るようなことをすれば、そういう斬られ方をすることにもなる。そこには、上からの命令で良心を売ってしまった人間の悲しさがある。

 

それで私は、「もう罪は償われたから、解放されてもいいよ。本当はやりたくないことをやらされただけなんだよね?」と先祖に言ってみたらいいんじゃないかと言ったのだけれど、彼女はそれだけじゃなくて、「たとえ強要されても、人に悪いことをしてはいけないよ」と文句も言いたいと言った。

 

日本人は、皆がやっているからと、自分で考えないでまわりに合わせてしまうところがあるけれど、それはあるいは、こうした先祖の記憶が集合意識の中に入っているからなのかもしれない。命令されたり、強要されたり、そうでないと生きていけないからと、悪いこと、人間として絶対にしてはいけないことを、良心に蓋をしてやってきた人々の記憶がある。この4年ほど、皆がやっているからと、犯罪になるようなことでも思考停止状態でやってしまう人たちが、どれだけ多いのかを思い知らされた。それは、生きていくためには、悪いことでも命じられたままにやらなければならなかった遥か昔の先祖の記憶から来ていたのかもしれない。

 

だから、日本中、世界中の先祖たちに、私たちは「たとえ強要されても、人に悪いことをしてはいけないよ」と言うべきなのかもしれない。そのときはそれでよくても、あとで子孫が虐待されるような目に遭うのだからと。ところで、そう言ってみると、日本中、世界中の先祖たちが、まさにそれを言って欲しかったと熱い涙を流しているように思えた。

 

私たちは、そのときによければいいと思って行動しているようなところがあるけれど、良心に蓋をしてしまったら、自分の魂からも離れてしまい、軸を失ってしまうのだ。そしてその記憶は、代々と受け継がれていく。だけど、もしそのことを知っていたら、良心に従って行動してさえいれば、あらゆる力と繋がって、生きいけることもわかるはずだ。

 

数千年続いた支配の時代から、多極的な調和の時代に変わろうとしている今、まさにこのことを私たちは学ぼうとしているのかもしれない。それこそは、三次元的に制限された意識から、多次元的な意識へとシフトしていくことだと言える。目の前のことだけじゃなくて、連綿と連なる子々孫々の連続的な流れが見えてくるとき、私たちはその流れに支えられて生きていることも、また見えてくるからだ。

 

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画像は、

京都の衛星画像。赤が嵐山。

 
 

セッションの翌日の嵐山の竹林。

 

 
    

 

  

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表紙と挿絵を描かせていただきました↓↓

 

 

 

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