【野草のペーストと自家製のパン】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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 【野草のペーストと自家製のパン】


イタリアのペストー・ジェノヴェーゼは、「ジェノヴァ風のペースト」という意味だけれど、これは松の実とバジルとニンニクをすりつぶして、オリーブオイルに漬けたものだ。こういうペーストは、松の実の代わりにいろんなナッツを使って作ることもできるし、バジルの代わりにその季節にある野草を使ってもいい。


野草の葉っぱが繁り出す季節になると、私にとっては、野草のペーストを作る時季が来たということになる。庭にいくらでも生えてくる西洋イラクサの若葉とイワミツバを半々くらいにして、ペーストにするのが、今のところ私は一番気に入っている。



イラクサはタンパク質が多くて、ペーストにするとこってりした感じになるし、イワミツバは三つ葉みたいな香りがある。ペーストにすると、ニンニクの味が勝つので、イワミツバの香りはほとんどわからなくなるんだけど、隠し味的にいい味を出してくれる。


松の実が採れる種類の松は、オーストリアには生えていないので、私はクルミかひまわりの種で作っている。最初にすり鉢にクルミの細かく切ったのを入れて、完全につぶれるまですり、それからニンニクのみじん切りを入れて、これも完全につぶれるまでする。


そこに、イラクサを一回湯がいたのとイワミツバを細かく刻んで入れて、塩と一緒によくよくする。これをオリーブオイルと合わせて、瓶に詰めて表面をスプーンで平らにしてから、オリーブオイルを表面がすっかりおおわれるまで注ぐ。一日くらいすると、味が馴染んでおいしくなっている。


野草のペーストは、ペストー・ジェノヴェーゼみたいにパスタと和えてもいいんだけど、私はそれよりもバターの代わりにパンにつけて食べていることが多い。


ここのところずっとパンを焼いていなかったんだけど、近所の人がイタリア式のサワードウを自作したのを分けてくれたので、久しぶりにパンを焼いてみた。



一時期は、私もサワードウを自作してパンを焼いていたんだけど、2年前にウクライナの紛争にロシアが軍事介入して以来、発酵ものをやるような精神的余裕がなくなってしまった。自分で発酵させて継いでいくのは、時間はそれほどかからないけれど、いつも気にかけていられる余裕がないとダメなのだ。それでせっかく起こしたサワードウも放っぽらかしになり、ふくらまなくなってしまった。それでパンを焼くのはやめていた。


それからはパンの代わりに、オートミールとかキビとかコーンミールとかを食べていたんだけど、こういうものは要するに穀物に水を入れて煮ただけのものなので、よほど手間をかけずにできる。それに比べると、パンというのは、実に手がかかった食べ物だということがわかる。


パンを焼くには、うちでは小麦粉を挽くところから始まる。小型の手動の粉挽き機で挽いているので、パン一個分の小麦粉を挽くのに、半時間くらいかかる。この小麦粉を、サワードウを継ぐのに要る分だけふるいにかけて白小麦粉を作り、残りにサワードウと水、それに塩少し入れてよくこねて、ふきんをかけて温かいところに置いて、発酵させるのだ。


小麦粉を手挽きにするのは、自分で挽けば、いつでも挽きたてが食べられると思ったからなんだけど、この頃は店で紙袋に入って売っている小麦粉が、洗剤のにおいがついて食べられなくなってしまったから、自分で挽くしかなくなった。


小麦は、信頼できるオーガニックショップにネットで注文して、プラスチックの袋に入っているのをまとめ買いしている。プラスチック袋入りのはプラスチックのにおいがつくから好きじゃなかったんだけど、紙だとどこかで洗剤のにおいがついたらアウトなので、プラスチック袋の方がまだ安全なのだ。


実におかしな時代になったものだと思うけれど、こういう理不尽な環境にあって、自作することで対抗するのは、これはこれで貴重な体験かもしれないと思う。


小麦粉も、自分で手で挽くとなると、ほんの10グラムでも、とても貴重な品物に思えてくる。だから、少しもこぼさないように、大事に作っている。容れものについた粉も、洗って下水に流してしまうのが忍びなくて、洗った水を庭の植物にやっている。


うちの薪ストーブにオーブンがついているので、いつもそれで焼いていたんだけど、少し大きくてなかなか温度が上がらないので、試しにフライパンに蓋をして熱くしてから焼いてみたら、これが意外とうまく焼けた。全体がつぶれないくらいにかたまったら、一回引っくり返して焼き上げた。


焼きあがってから、本当は一日くらい熟成させておくのがいいんだけど、まだ暖かいくらいのときに食べるのも最高だ。焼きたてはまだ皮が固くて中が柔らかいので、きれいに切れないんだけど、このまだ暖かいところにオリーブオイルだけつけて食べたりすると、純粋にパンの味を味わえる感じがする。手で挽いたばかりの小麦粉で焼いたパンは、小麦そのものの味が味わえる。


それで、焼きたてのところを、オリーブオイルや野草のペースト、それに庭のルコラとかを添えて食べたりすると、たったこれだけのものが、この上ないご馳走のようだ。パンは買ってきたら、一番手もかからないような簡単な食事だけれど、自分で手をかけて作ったら、それだけで特別な食事になるし、実際、ちょっと他では味わえないような、特別な食べ物になる。


何でも店で買えるのが豊かさだと言われてきたけれど、何でも店で買えるようになる前は、何でも家で自作していたわけで、それはある意味、とても豊かな生活だったのだと思う。それこそは、自立した生活というものだったし、生活することそのものに、人生の意味と言えるような重みと味わいがあったのだと思う。


お金のかからない生活になればなるほど、生活そのものの豊かさは増していく。それは、お金がかからなくなる分だけ、自立した生活になるからなのだろう。何でも自分で作れるということは、すべての素材と有機的な繋がりがあるということで、生活の豊かさとは、まさにそうした有機的な繋がりから来るのだ。それは、お金の計算で成り立っていた生活とは比べようもないくらいに、世界に深みと広がりができるようなことだと言える。

    


 

  

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