ようやく許せたかなと思うこと | キセキを紡ぐ Rut of hope

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光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

24歳で急死した時、悲しくて悲しくて、
家から出るのも嫌だった。
ご近所さんに会ってしまうと、笑わないといけないから。
笑えるわけないやん、って引きこもっていた。
当時3歳のむすめも、家に引き籠もらせてしまった。

会社の事務員さんが、「亡くなったのは悲しいことだけど、保険金が入るから良いこともあるよ」と言われたのがショックで、長いこと引っかかって許せなかった。

年配の方々亡くなった時は、私も平気でそんなことを言っていたかもな。
さすがに遺族には言わないけど(;´∀`)

慰める言葉が見つからなかったので、つい言ってしまったんだろうな。
と、思えるまでだいぶ時間がかかってしまった。

なかなかしつこいな私。
(´-﹏-`;)



ちゅーことで
斉藤一治さんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
↓↓↓

 舎利子の最愛の子が病いをえて亡くなってしまったのです。 
悲しみに打ちひしがれ、神仏を恨み、ご飯も食べられず 
毎日、涙を流していました。

そんなある日、ある人が舎利子を訪ね、言いました 
それはそれは偉いお坊さんがいます、釈迦と言います 
釈迦はどんな悲しみ、悩みでも癒すことができる人です。 
一度釈迦を訪ね、悲しみを癒す方法を教えて貰ったらどうですか?と。 

舎利子は、とぼとぼ涙を流しながら、釈迦のところに行った。 
ところが、長い行列ができている。
皆、釈迦に悩みや悲しみを 訴えるために並んでいた。

こんなに沢山の人が悩み並んでいるのか、と感じた。 
ようやく舎利子の番がきて釈迦に会うことができた。 

釈迦は「そうか悲しかろう、その悲しみを癒すに方法を教えようケシの実を食べれば癒される」と。 

インドではケシの実なんか、どの家にもある。 
ケシの実を食べて、悲しみが直る筈はない。 
何だ、偉いと言われる釈迦が何を言うのかと、舎利子は、がっかりした。 

そして釈迦は更に「自分の家にあるケシの実ではなく 
他人の家のケシを貰って食べるのだ」と。 
それも「肉親を失ったことのない家のケシを貰うのだ」と、 
言った。 

暫くはケシの実なんか貰いに行かなかった。 
何日も辛い悲しみが続いた。 
暫くして、それでも「試してみようか」と思い。 
ケシの実をもらいに歩いた。 

しかしどの家にもケシの実はあったが、貰うことは出来なかった。 
それは、どの家でも、愛する肉親を失わない家は無かったからだ。 

そこで舎利子はハッ!と氣が付いた。 
私だけではないのだ、どんな人でも、どの家庭でも悲しみを 
味わっている、悲しみの経験のない人はいないのだ、と。 

まもなく舎利子はお釈迦様に弟子入りをした。 
そして、多くの人に手を差し伸べ、多くの人を癒した。 
それを使命として働いた。 
そして、釈迦の高弟の1人になった。

悲しみは人間を成長させる糧となります。 
前進への糧とするのです。
 
 
 
転載ここまで・・・
 
 
 
告知です。
オーガニックマルシェに出店します。
↓↓↓
 
 
今回は前回と対角の、駅前側道路の角にお店を出します。
 
 
応援チケットです。
抽選で出店者さんから集めた商品の詰め合わせが当たります。
ハッキリ言って競争率低い、、たぶん
私は前回無農薬米を1キロいただきました。
そして、なんか提供します。
 


オーガニックマルシェ延(えん)からお誘いをいただきました。
出店か委託販売で参加します。

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近くの方も他県の方も遊びに来て下さいねー