【偽旗戦争の20年】 | キセキを紡ぐ Rut of hope

キセキを紡ぐ Rut of hope

毎日が創作生活
仕事で作ったモノ 趣味で作ったモノ その工程とか
光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

何を信じたらいーの?
Σ(゚Д゚)
 
ちゅーことで
チヒロサトさんのFacebookより転載 させていただきます。
いつもありがとうございます。
↓↓↓
 
 
【偽旗戦争の20年】
 
3月20日は、20年前にイラク戦争が始まった日だというので、ロシアの外務省報道官のマリア・ザハロワが、イラク戦争の戦争犯罪について語った動画が拡散されていた。これはまったく「デクラス」と言えるようなもので、イラク戦争が米英による偽旗戦争であったことや、軍事介入の目的に合わない市街への爆撃、市民の虐殺やインフラの破壊などが行われたこと、さらには、政権が入れ換えられたあとに、イラクの古美術品が略奪されたことまで語っていた。
 
ロシアはこれまでも、アメリカの戦争犯罪について批判してきたけれど、ウクライナの戦争犯罪について、プーチン大統領に言いがかりそのもののような逮捕状が国際刑事裁判所から出されたあとでは、もう何の遠慮もないといった風だった。これ以上、外交関係が壊れようもないのだから、もはや言葉を飾る必要などないのだろう。
 
20年前にアメリカがバグダッドを空爆し始めたときは、ちょうど2年前に911が起きて、アラブの人間というのは物騒な人々なのだというような思い込みができていたから、これもしかたのないことなのかと思った。だけど、あれから20年が経って、いろいろなことを見てきたあとで、改めてイラク戦争のことを見てみると、この20年間アメリカがどういう手法で戦争をしかけてきたのかが、透けるように見えてくる。そして、あれからすべてのことが、今のウクライナの状況に繋がっていることもだ。
 
イラク戦争は、イラクが大量殺人兵器を持っているという理由で、2003年3月20日にアメリカ軍が首都バグダッドを空爆して始まった。しかし、イラクは1991年から国連の特別委員会が武器監査をしていて、一度も大量殺人兵器が見つかったことはなかったのだ。ところが、2003年の2月の国連の安全保障理事会で、アメリカ外相のコリン・パウエルが、ガラスの小瓶に入った白いものを見せ、これがイラクで見つかった化学兵器だと言った。バグダッドの大統領宮殿に秘密の化学兵器製造所があるという情報が、秘密の情報機関から入ったというような話だった。
 
大量殺人兵器が見つかったということになって、国連安全保障理事会の議決なしに、アメリカはイラクに侵攻することになったのだ。国連安全保障理事会では、理事国が拒否すれば、他国への軍事介入はできないことになっているから、その手続きを民主的に踏むならば、戦争などまず起こらないはずなのだ。だけど、その数ヶ月前の2002年11月に、国連安全保障理事会でイラクに大量殺人兵器の廃棄を要求する決議が可決されていた。そこでイラクが大量殺人兵器を隠していたということが判明したので、その決議により、アメリカは侵攻してもいいと解釈した。
 
それを考えると、その11月の国連決議というのも、実はすでにイラク空爆を行なうつもりでいて、それを可能にする下地作りだったのじゃないかと思えてくる。大量破壊兵器を廃棄させるというだけなら、反対する理由もない。それで、その決議を理由に、大量破壊兵器を隠していることがわかったから、侵攻してもいいという話にしてしまったわけだ。
 
兵器だという白い粉と秘密の情報機関からの情報だ。それだけをもとに、アメリカはイラクに侵攻したのだ。ロシアとヨーロッパを繋ぐガスパイプライン、ノルド・ストリームの爆破も、ヨットに残った白い粉と秘密の情報機関からの情報だけで、ウクライナのグループの犯行だという話になった。まるきり筋は通っていないけれど、そんなことはアメリカにとってはどうでもいいらしい。
 
シリアでも、毒ガス兵器が使われているという話でアサド政権が非難された。イランでは、政府が女性のデモを抑圧するために女子生徒たちに毒ガスを使ったという話が世界中で報道された。中国がウイグル人を強制収容所に入れて虐待しているという話も、秘密の情報機関からの情報にすぎなかった。こうしたことは、不法な軍事侵攻を正当化するために、アメリカがいつもやってきた手法なのだ。
 
アメリカのスコット・リッターは、1998年まで国連の大量破壊兵器特別委員会(UNSCOM)でイラクの武器監査主任を務めていて、イラクには大量破壊兵器はないのを知っていた。1997年にUNSCOMの会長がリチャード・バトラーに変わったとき、スコット・リッターは会長に喚ばれて、ラマダンが始まる前にイラクへの爆撃を開始したいから、いつまでにイラクで何らかの紛争を起こしてきてくれと言われたそうだ。そのことに疑問を持ち、彼は1998年に監査員をやめた。
 
すると、2003年の2月になって、コリン・パウエルが化学兵器の証拠だという白い粉を見せて、バクダッドの大統領宮に化学兵器があると言ったのだ。これについては、のちにコリン・パウエルは、あれは嘘だったと告白している。彼が情報を得たという秘密情報員は、デタラメを言っただけだったというのだ。実際、イラクに侵攻しても、大量破壊兵器は見つからなかった。それなのに、アメリカは2011年までイラクから軍を撤退しなかったのだ。
 
ところで、コリン・パウエルがガラスの小瓶を見せて、これが大量破壊兵器の証拠だと言ったとき、そのちょうど5日前に、当時のアメリカ大統領ブッシュ・ジュニアとイギリス大統領トニー・ブレアが秘密の会談を行なっていた。これもまた聞いたような話だ。ノルド・ストリーム爆破事件のことでは、ドイツ首相がワシントンに飛んでアメリカ大統領と密談を交わしてきたら、とつぜんアメリカとドイツのメディアで、ノルド・ストリームはウクライナのグループが爆破したという話が報道されたのだ。イギリスとアメリカは、イラク戦争での主戦力だったのだから、示し合わせてイラクに侵攻する口実をこしらえたのだろうということは想像できる。
 
根拠のない話でも何でもいいのだ。口裏を合わせてそういうことにしてしまい、侵攻する理由をでっち上げてしまう。それで大統領を処刑してしまい、政権を倒して、好きなだけ略奪しているわけなのだ。あとで嘘だったとわかったとしても、国連も国際刑事裁判所も追究しないことになっているらしい。国連機関の会長が、アメリカが爆撃できるように紛争を起こしてこいと言ったりするくらいなのだから、国連がどういうことになっているのかは想像がつく。
 
コリン・パウエルは、イラクが炭疽菌を化学兵器として大量に持っていると言っていたのだけれど、炭疽菌といったら、2001年にアメリカで、炭疽菌が入った手紙が何人かの政治家やテレビ局のところに送られるという事件があった。ちょうど911があって、アメリカがアフガンに侵攻した頃のことだ。その手紙には、イスラム教徒がジハードとして行なっているかのような言葉が書いてあった。それで、アルカイダだろうとかイラクだろうとか言われていたのだ。テレビ局と政治家といったら、パンデミックでもウクライナでも、真実を言おうとすると脅しがかかったり、謎の急死を遂げる人もいたりしたから、この炭疽菌事件も、あるいは口封じの脅しだったのかもしれない。911の自爆テロというのも、見る人が見たら、偽旗なことくらい、容易にわかってしまう。それで脅しのために炭疽菌を送りつけたりして、それをイスラム過激派がやったかのように見せかけていたのかもしれない。それが、2003年になって、あの炭疽菌はイラクから来た、という話になったわけなのだ。
 
911は大掛かりな偽旗だったけれど、あの後ブッシュ政権は、テロへの対応が速やかにできるようにというようなことで、政府が必要と判断した場合、議会の承認を得なくても、戦争ができるように法改正してしまったのだ。その後、アメリカ政府が、ガラス瓶に入った白い粉と秘密情報だけを根拠にしてイラク侵攻ができてしまったのは、そのためだ。それ以来、シリアでもリビアでもセルビアでも、いたるところでアメリカ政府は、出どころがはっきりしない秘密情報から、NATOを出動させて、政権を入れ換え、都市を破壊し、市民を殺害してきた。それを考えると、まさにこのために、911のような大掛かりなテロを演出する必要があったのだということが見えてくる。多くの人々がパニックに陥って、自由に戦争をする権利を政府に与えてしまうような、インパクトの強いできごとが必要だったのだ。
 
この20年間、世界のいたるところで多くの戦争が起こり、たえずどこかが爆撃されて、難民があふれていった。いたるところで政権が入れ換えられて、国がアメリカの属国のようになっていった。そして、NATOは拡大し続け、ウクライナまでやってきて、今の状況になったのだ。
 
ロシアのプーチン大統領は、2000年に大統領になったので、この20年の戦争をすべて経験していたことになる。ソ連が崩壊してからプーチンが首席に就くまで、ロシアは西側資本に食い物にされて、経済は崩壊し、政治は腐敗し切っていた。それをプーチンが、腐敗を一掃して建て直してしまったのだ。彼が大統領になった翌年に、911が起きて、アメリカがアラブと東欧を支配し始めたのは、あるいは、何とかしてロシアを弱体化させて、かつてのように腐敗させようとしていたからなのかもしれない。それが今、ウクライナへの軍事介入が始まってから、ロシアはNATO諸国以外の国と協力関係を結ぶことで、アメリカに支配されないネットワークをこしらえてしまった。もういくら経済制裁をかけようが、軍事攻撃しようが、ロシアを従わせることはできない。
 
それを思えば、この20年は、アメリカによる偽旗戦争の20年であった一方で、ロシアによる解放の20年だったと言えるのかもしれない。2001年の9月25日、ちょうど911があった二週間後に、プーチンはドイツの議会で有名なスピーチを行なっていた。そこで彼は、ヨーロッパはNATOに従うのでなく、ロシアと協力関係を結んだら、ともに栄えていけるはずだということを提案していたのだ。911の本当の原因は、何よりも国と国との互いの信頼関係がなかったからなのだ、と彼は言っている。NATOがどうこういうのじゃなくて、国と国とで話し合って、協力していく道を探していくべきなんじゃないかと。
 
ロシアの諜報としてずっと仕事をしてきて、彼はアメリカがどういう派遣の力を使って他の国の政治を動かしているかも、よく知っていたのかもしれない。NATOに加盟するとは、国の主権をアメリカに渡してしまうようなもので、するともうその国はアメリカの意向に反して他の国と話し合い、協力し合うようなことはできなくなる。互いの信頼関係で協力していくということが、できなくなってしまうわけなのだ。ほとんどの国が、アメリカの顔色を見ないでは、ロシアと協力関係を結ぶことができない。
 
多くの国々は、ロシアが独裁的で自由のない国、貧しい国だと思っていたから、ロシアよりアメリカと協力関係を結んだ方がいいと思っていたのだと思う。ヨーロッパは、プーチンの提案をまったく聞き入れなかった。だけどこの20年間、プーチンの考えはまったく変わっていないと思う。彼は、何かのブロックに属するというのじゃなくて、主権を持った国同士で信頼関係を築き、協力し合っていったらいいと言い続けていたのだ。
 
そして今、ヨーロッパがEUで丸ごとアメリカの支配下に入ってしまったようなことになっていて、ロシアはともかくも主権を保とうとしている国々と、協力関係を広げていっている。それは、言うならばアメリカ覇権主義からの解放の領域を広げていくことなのだ。イラクやウクライナの例を見ても、アメリカはいくら忠誠を尽くしても、不要になったら情け容赦もなく切り捨てるような国だというのはわかる。そういう主従関係ではなく、どこの傘下に入るというのじゃなくて、主権を持つ国同士が、対等な協力関係を結ぶこと。互いに率直に話し合って理解し合い、協力していける道を見つけることだ。
 
 
 
 
転載ここまで・・・
 
 
 
告知です。
オーガニックマルシェに出店します。
↓↓↓
 
 
今回は前回と対角の、駅前側道路の角にお店を出します。
 
 
近くの方も他県の方も遊びに来て下さいねー