昼休み部に行ってきた。
食べたのは、
高菜チャーハンを頼んだら、高菜忘れたから普通のチャーハンで良い?って聞かれたから、キムチ以外ならなんでもOKと言ったら海老とか入ってて美味しかったしポテサラがオマケについてきた。
(∩´∀`)∩ワーイ
店主マイクさんは、シェなのか不調らしくて、呼吸が苦しいらしい。
西洋ワサビが良さそうなので、先日頂いた苗を分けることにしたよ。
お店でも使えるしね。
薬を使わないで治したいね。
つくしちゃんがシェ対策のレメディも持ってきてた。
私の小指用にと、打撲のレメディも分けてもらったよ。
ちゅーことで、
岡本よりたかさんのFacebookより転載させていただきます。
いつもありがとうございます。
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「発酵」
贅沢な時間
全て無農薬無肥料の自家製素材。45時間かけてじっくりとお米を醸し、ゆったりと流れる時間を楽しみながら、樽職人が使ったサワラと竹タガで使った木樽に仕込む味噌。
暮らしを自給するための最初の一歩でもある。
人の暮らしは発酵によって支えられている。
味噌、醤油、味醂、お酢、お酒、漬物、梅干し、お茶、干物、納豆、チーズ。
亜麻布の糸を取り出すのも発酵であり、藍染も蓼藍葉を発酵させる。古くは木材の柿渋液染も発酵であり、土壁すらも発酵だった。
もっと言うなら、排泄物や残渣で作る肥料も、土壌の中の有機物の分解も、もちろん腸内も発酵である。
古き良き日本は、発酵とは切り離せない暮らしだったと言える。
それが、今や発酵は疎かになってきた。発酵はさせるが、簡易的なものばかりだ。発酵によって作られる味も深みも化学的なもので補完される。
発酵は人々の健康の維持にも役に立ってきたが、その考えも失われつつあるのだろう。
そう言えば、20数年前、自然農を学びたくて尋ねた老人は、僕に発酵の技術を教えてくれた。その理由は今なら分かる。
人は、発酵を知らずに暮らしを語ることはできないからだろう。
発酵など面倒くさいと思う人もいるのかもしれない。時短を良しとする今の風潮が、もしかすると人々の健康を奪っているのではないかとすら思う。
米糀作りは実に簡単である。誰でもできる。特別な道具も要らない。
米を蒸し、種麹を振って温めるだけだ。どんな発酵であれ、菌が求める温度と湿度を保てば失敗することはない。
誰かがやってくれるのを待つのではなく、自らが進んで行う。
忙しすぎる現代人は、いつも他人のために時間を使っているのだから、時には自分のために時間を使って欲しい。
暮らしを彩るために、ゆとりある暮らしを手に入れるために、発酵にのめり込んでみてはどうだろうか。