「余分は所詮余分」 | キセキを紡ぐ Rut of hope

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光の粒を食べて生きていけたら素晴らしい

体力バカで猪突猛進中

自宅用の燻製が残りわずかになってしまった。 

今度の休みに肉を買いに行こうかな。

で、翌週仕込もうかな。


スモークチップが勿体ないからと、いつもよりたくさん作ろうとするとたいてい失敗して焦がしてしまう。

結果、いつもの量しか出来ないの。

(;´∀`)


そんな風に出来てるんだろうなぁ。






「余分は所詮余分」


思い起こせば一年前、醤油麹の製麹(せいぎく)で最大の失敗をした。

参加者13人、一人一升分を醸すので13升の予定だったが、何故が20升醸すことにした。


初日の夜中から嫌な予感がした。予感というか臭いがややおかしいのに気づく。


それは二日目に確実になる。色と触った感覚がいつもと違う。参加者も気づき始めてはいたが、初回のことで確信がない様子。

僕の内心は穏やかでは無かったが、いかんせんこのまま進めるしかない。


そして迎えた最終日。醤油麹は雑菌に侵されているを目の当たりにする。

雑菌に侵されたところは破棄するしかない。慎重に取り除いてゆき、醤油になりそうなところだけ残す。

かなりたくさんの麹を破棄して重さを軽量すると、なんとピッタリ13升分。余分に作った7升分が破棄になる。


不思議なものだ、余分は結局余分なのである。

人生勝負に出る時、ビジネスであろうとプライベートであろうと、遊びであろうと、余分な部分を持っても、そこは結局無駄になる。


自分が今やろうとしていること、やりたいことに集中するためには、バックアップは考えてはならない。

不安だから、あれもやろうこれもやろうと考えると、目指すものから遠ざかる。

自分軸がブレてくるからだろう。


さて、それから一年近くが経ち、同じメンバーでリベンジ製麹に挑む。

二度目となると段取りはいい。無駄がない。慎重にもなるし、成功への想いも強くなる。

でありながら、根を詰めずに心に余裕もある。

そして見事な醤油麹が出来上がった。しかも歴代で最も良い麹の出来となった。


思わず歓喜の声が上がる参加者たち。

僕はと言えば、これが普通なんだけどなぁと少し冷めつつも反省する(笑)。


何にしても、失敗があるからこそ技術や知識は向上する。それは間違いない。

失敗の原因を推測し、同じ轍を踏まないように思考を巡らせる。それが本来の生命体の機能である。

今の世の中は、その常識が当てはまらないようであるが。

あれだけ311で政府へ不信感を募らせたのに、未だに政府を信頼する人たちで溢れかえっているのだから。