今日は朝から工場仕事。
温度計を見たら33.3度だった。
オモロー
新製品開発に新作デザインもカウントされますか?
と聞いたら、それは違うでしょーと言われジョボーン
と一瞬なったんだけど、ふと見えた一輪挿しの姿を伝え、問題点を話し、トントンと試作の流れになったよ。
(∩´∀`)∩ワーイ
それが掃除の時間に入ったので、元苦手さんからブーブー文句を言われたけれど、
私今日は7時45分から草取り花壇のお手入れしていたから、文句を言われる筋合いはないのでした。
なので堂々としております。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20220809/10/matsujyundx/9b/ab/j/o0607108015158118658.jpg?caw=800)
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関係ないけど屋久島で撮ったヤツ。
何度も見てもゴイスー
【調和の心】(自分や世間一般の常識に把われるな‼️)
先に感想・・・下の調和の心を読んでいると反省しきり😢なのです!
やはり私も政府やマスメディア、そして枠沈を推進している人たち、何も考えずにマスクをしている人たちを攻撃していました。
やるのなら、明るく堂々とすべきなのです。
どうすれば、相手を批判、非難、評価せず、自分の信じる道を突き進んで行けるのか?
考えてみようと思います。
調和の心
いつの世でも自分はあまり人に尺しもせずに、やたらに人の悪口をいい、会社や社会や政府などの悪口をいいつづけている人がいますが、これ程気の毒な人はおりません。
不平不満が多ければ多い程、その人は自らの徳を減らしているのでありまして、宇宙の法則を踏み外している人なのであります。
前に申しましたが、大宇宙の法則は、常に大調和に向ってゆくのでありまして、不平不満や、自他を責め裁き、蔑視したりすることは、大調和に逆行することなのです。
政府の政策が間違っているとしても、やたらに不平不満の想いで、政府の悪口をいったとしても、傷つくのは自分自身なのです。
政府の政策を正すことは結構なのですから、虚心坦懐に、 明るく堂々とおやりになったらよいのです。
すべて、自他を傷つけ損うことなく、自己の信ずる道を突き進んでゆくべきなのであります。
自分でやれば、とても出来そうもないことでも、人が出来ないと、責め裁く、という人もいますが、つまらぬ心の人です。
人間にとって最も大事なのは、 調和の心です。
大宇宙の法則が大調和に向っていると同様に、人間の心も常に調和していることがよいのでありまして、 調和を促進させる想いを善心、 調和を乱す想いを悪心と思って、善心を出すよう、善心を出すように、祈っていることが大事です。
私が常に申しておりますように、 悪心が出たら、 これは過去世の想いの消えてゆく姿と思って、いつまでもその悪心に把われていないで、 その嫌な想いともども、 世界平和の祈りの中に、入れきってしまうことを勉強して下さい。
その繰り返しによって、あなたの心は光明燦然たるものになってくるのです。
善悪の問題では面白い話があります。
そして、善悪の感覚が日本人あたりとはまるで違っていて、或る白人が、 ワイシャツをとられて訴えたところ、裁判所の判決が実に愉快なのです。
どういう裁判が下されたかといいますと、 「あなたはたくさんワイシャツを持っている。 こちらは一つも持っていない。だから多く持っているあなたが、持っていないものに一枚あげても、たいした問題じゃあない。あげなさい」というのです。
これでとった人は罪にもならず、 これにて一件落着という、遠山裁きそこのけの判決が下された、ということなのです。
実に共産主義そのものの在り方で、人の物をとるという、私どもがみれば悪と思われる行為も、
水に流されてしまって、多く持っている人が、持たぬ人に分け与えぬほうが悪のようになってきて
しまいます。
もっとも日本人の私の知人にもそれに似た人がいて、借りた金を催促に来た人に向って、 「私は今貧乏そのものなのに、お金持ちのあなたが、なんで無い私からお金を取ろうとするのか」と息巻いて、お金を貸したほうがあたふたと帰ってしまった、という話もあります。
しかしこの人はお金が出来た時たくさん利息をつけて貸主に返済していますので、 コンゴの話とは少し違います。
こんな話をきいていると、善悪の基準をどこに置いてよいかわからなくなってきます。その人その人の良心と智慧や知識によって、その善悪を感じる意識が異なってくることは事実なので、 一概にその場の成り行きだけで善悪を定めることはできません。
私はそうした善悪にはあまり把われぬことを人々に教えております。
そうした枝葉末節的な善悪を問題にするより、もっと根本的な善悪の問題のほうが大事なのです。
あまり小さな善悪にこだわ っていますと、人間がこせこせした狭いつまらぬ人間になってしまって、広い大きな働きのできぬ人間になってしまいます。
『人類の未来』五井昌久(著)