M. ジョンストン著「コミューンとマルクスのプロレタリアート独裁」(その3) | matsui michiakiのブログ

matsui michiakiのブログ

横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

M. ジョンストン著「コミューンとマルクスのプロレタリアート独裁と党の役割概念」(その3)

Monty Johnstone, The Commune and Marx’s Conception of the Dictatorship of the Proletariat and the Role of the Party

 

コミューンがマルクス理論に付加したもの

 マルクスがプロレタリアートの独裁を「一つの社会描写、政治権力の階級的性格に関する言説」として理解したかどうか、あるいはそれに付加して政治権力そのものの描写であったかどうかについては今まで数多く論議されてきた。私自身による読み方は、その概念より何よりもまず最初にマルクスのいわゆる資本主義法則といった「ブルジョア独裁」に直接的に対置される社会の社会主義的改良に利害関係をもつ労働階級のルールである。しかし、パリ・コミューンの経験ののち、マルクスは階級のない、国家のない社会のための基礎を築く機能と調和させたいと彼が考える国家形態の一般的徴候をつけ加えた。これは彼のコミューン描写に示されている。すなわち、「人民大衆それ自身 ― 弾圧のために組織された力=彼らの社会解放の政治形態ではなく、また、人為的な力の形態でもなく、彼らの敵による弾圧のために武力行使する社会の形態でもなく、p.209  彼ら自身の力を構成しつつあることによって防御し抑制する力としてでもなく、本来の活力ある社会によって国家権力を再吸収すること」それがコミューンの実相だという。[訳注]この箇所は解りにくい表現だが、マルクスが言いたいのは旧タイプの国家を丸ごと新タイプ(労働者のための)国家として再生できると考えていることだ。マルクスの本心は旧タイプの国家はいったん破壊しなければならないところにある。

  資本主義国家の「官僚的・軍事的装置」を他者の手に移譲することよりも、それをうち壊すことが予備的な前提となる、とマルクスは書いた。これは「大陸におけるすべての国民の革命にとって予備的条件でもある」、と。このような考え方は『共産党宣言』には見られない。マルクスよれば、『共産党宣言』はすでに「細かい点では古くさくなって」いたのだ。したがって、彼らは1872年のドイツ語版への序文に「内乱」のための生命、すなわち「労働者階級はできあいの国家装置を利用したりそれ自身の目的のために行使したりすることはできない」を挿入した。マルクスとエンゲルスの考えによれば、この点は「コミューンによって証明された」のだ。マルクスの批判は、この論議が『共産党宣言』の意見と両立しないというフランツ・メーリンクの見解を引用するとき、批判家たちはつねに彼の偉大な伝記に次の宣言を付加することを忘れている。すなわち、「マルクスとエンゲルスは両者とも、当然のことながら矛盾に気づいており、1872年版の序文の場を借りて2人は意見を修正した。」そうすることにより、彼らは自分らが理論を既存のドグマとしてではなく、新たな経験の先において創造的に発展させられる科学的仮設と見なしていたことを示す。

 19世紀末、エドワード・ベルンシュタインはマルクスとエンゲルスの1871~72年の公式を、労働者階級を養い、民主主義の方向に国家を改変するために向けられた国家におけるあらゆる改良のために闘う漸進主義の見通しをもつものと解釈した。レーニンが利用しなかった『フランスの内乱』の第二草稿を読めば、このような改良民主主義的解釈がマルクス=エンゲルスの意図するところとはまったく異なるという主張について、国家と革命のレーニンが完全に正しかったことを明らかにする。この第二草稿は最終版草稿とその多くの公式においてすでに極めて類似したものとなっているが、マルクスは次のように書いている。

 「プロレタリアートは … 既存の国会政体を利用したり、このできあいの力を己自身の目的のために使ったりするとは必ずしもできない。政治権力の掌握のための第一の条件は労働の装置を改良し、それを破壊することである。」

 L.J.マクファーレン(Macfarlane)博士が書いたように、マルクスが攻撃するのは、国家が資本主義社会において果たす階級的目的と、それが取る形態の両方に対してである。マルクスは労働者の資本主義国家の位階制構造を引き継ぎたいとは思わなかった。この資本主義国家の執権は『全ブルジョワジーの共同の事業を操縦するための委員会』にすぎないからだ。「彼らの隷属化の政治的道具を、彼らの解放の政治的道具として役立てることはできない」とマルクスは言うのである。

 したがって、古い官僚制国家の構造は「真に民主主義制度」に取って代わられねばならず、p.210 その制度は「人民それ自身のために働く『人民』を反映するものである。これは以下のことを意味する。すなわち、「誤って人民を代表すべく3~6年に1度ずつ企てられる」普通選挙というものは人民に対してあらゆるレベルの行政に対するコントロール権へと拡大しなければならない。「コミューンは議会政体としてではなく、執行的・立法的政体を同時にもたなくてはならない」とマルクスは書いた。「警察は中央政府の代理人でありつづける代わりに、その政治的属性を解除されると同時にコミューンの代理人としての責任を帯びることになるが、その場合、いつでも解任できる代理人に代えられなければならない。コミューンのメンバーは以降、公共サービスの提供は労働者賃金に倣ってなされねばならなくなった。」コミューンの最初の法令は常備軍を、武装した人民に代替させることであり、この武装人民は国民衛兵を含み、その大多数は労働者であった。マルクスはコミューンが直面したあらゆる反官僚制的施策を強調する。「公僕、行政官、判事の残りと同様に、選挙で選出され責任を有し、任免可能にする必要がある」とマルクスは書いた。エンゲルスが1891年版序文で指摘しているように、労働階級にとっては「その代議士や官吏のすべては例外なしに、いついかなる場合でもリコールに服すと宣言することによって、彼らをこれらに従わせるのは刻下の急務となった。」行政的であろうと、政治的であろうと、また、軍事的であろうと、あらゆる公共的機能は「訓練済みのカーストの隠された属性の代わりに、真の労働者的な機能」につくり代える必要があった。コミューンは「国家機密、国家のもつ自負というあらゆるごまかし」を除去すべき道を示した。コミューンは「絶対無謬性」を主張したのではなく、「その振る舞いとそれの言説を発表し」、そして「公表されたすべての欠点を授けたのである。」

 

弾圧策

 これら反権威主義の規定は、その敵に対する弱点と隣り合わせの追及の手加減さのゆえに、マルクスのコミューン批判と矛盾するものではない。マルクスの見るところでは、ティエールがパリ市民に戦争を仕かけたこと ― 市民があまりに几帳面だったために、その戦闘に際し彼らは必要な主導権を執るのをためらった ― を確認するのにパリ市民が失敗したことからすべての悲劇が始まる。特にティエールの軍隊が3月18日にモンマルトルの大砲を没収する試みに失敗した後退却したのちに、(パリ側が)ヴェルサイユに向け直ちに進軍すべきであった、とマルクスは述べているのだ。このような攻勢に打って出るのではなく、「彼らは … コミューン選挙によって貴重な時間を失ってしまった。」コミューン選挙に反対することが問題ではない。なぜなら、すでにわれわれが見てきたように、マルクスは(コミューンのような)民主主義政府が1形態となりうることを十分に提示したのだが、注意を差し迫った軍事的課題から逸らしてしまう、p.211 こうした選挙の不適切なタイミングを批判したのであるから。この当然の帰結として中央委員会は「あまりにも早く新たに選出されたコミューンに譲渡した中央委員会のその完全な権威は、パリを外部から砲撃せんと狙っている敵軍隊を抑圧し、内部で武装デモを組織する(政府)支持者を抑圧するのに必要なまさにその瞬間に奪われてしまったのだ。マルクスの批判は戦時的緊急性の考察によって導かれている。

 ヴェルサイユ軍がパリ郊外を攻撃しはじめ、市中を砲撃するようになってから2週後、パリに敵対的な新聞をコミューンが発刊禁止に踏みきったのを容認したのも、専らこの根拠によるものだった。マルクスは続ける。

 「パリ外部におけるヴェルサイユの野蛮な行為、そして、内部的腐敗と陰謀の試みによってまったくの平時におけるあらゆる上品さとか、自由主義の上辺とかを保持することによってコミューンは恥知らずにも、己に寄せられた信頼を裏切るべきであったか。」

 マルクスは「暴力行為 … から自由なパリのプロレタリア革命は3月18日からヴェルサイユ軍の入城まで続いたこと」を強調した。

 マルクスにとって、プロレタリアート独裁が威圧と抑制の手段に訴える準備をおこなわなければならなかったとすれば、それは人民の大多数のために、それの積極的な階級敵の少数派と対峙するためであった。しかし、コミューンは人民多数派から委任を受けても、内乱という条件下でのみそれが可能であった。

 このような大衆民主主義「組織」と、ごく少数のエリートによるそれとの間の相違はエンゲルスによって1870年の論文によって明確にされた。「ブランキ派コミュナール亡命者綱領」がこれである。この論文でエンゲルスは「全革命的階級つまりプロレタリアートの … 独裁」の概念を少数の革命派の一撃としてあらゆる革命のブランキの概念と対照させた。ブランキ主義の概念の結論として出てくるのは、「攻撃を実行し、彼ら自身1ないし2、3人の独裁下に組織されたごく少数の人々の … 独裁の」成功につづく特性であった。

 コミューンに関するマルクスの著作において、彼が一つの政党制度ないしは何らかの種類の政治構造の独占を歓迎するような矛盾はまったく見当たらない。つまり、「個人崇拝」への形跡はまったくないのである。それとは逆に、そこに表われているのは、「あらゆる従前の政治形態を強制的に抑圧的であったのに対し、完全に膨張的政治形態」としてのコミューンの複合的観念である。」第一草稿においてマルクスは『ロンドンデイリーニューズ』紙の記事1文を抜粋している。同紙の記事は、コミューンが相互に嫉妬しあい、いずれも他者に対して優越する支配力をもたない等質のアトムの集合」である事実を慨嘆した。最後の部分(下線部)はマルクスによって下線が施され、「ブルジョアは … 政治的偶像と『偉人』を極端に欲するものだ」と注釈を施した。

p.212

マルクス思想に合致しない政体?

 広く議論されてきたように、『フランスの内乱』でマルクスが発展させた考え方 ― 特に中央集権的官僚制的国家機構の権力の破壊を強調するが ― は彼の思想と調和しない政体を構成する。私の意見によれば、このような期待はマルクスの著作の検討から摘出したのではないと思う。では逆に、1840年代初めから彼の生涯を通して官僚制に対する強固で、かつ継続的な闘争のテーマが一貫している。すでに1843年の『ヘーゲル国家論の批判』の中でマルクスは官僚制を「市民社会の国家的形式主義 … 現実の権力として自らを組織し、己自身の母体的内容となった国家における特殊な閉ざされた社会」と非難していた。その普遍的精神は「秘密」であり、内部に対しては階層性による官僚制によって支えられ、外部に対しては閉ざされた組合として維持されたるギルドである。ヘーゲルが愛好する君主制支配に反対し、マルクスは民主主義を力説する。民主制においては「憲法そのものが決断力として、そして、人民の自己決断としてあらわれる

。そうした決断は現実の基礎、現実の人および現実の人民において内在的のみならず、それの存在と現実性においても基礎を置く。」ブルジョア社会の「その政治行為におけるアトム化現象」は「諸個人を中に含む社会 … が国家から分離された市民社会であり、政治的国家はそれからの一つの抽象であるという事実から直接的に帰結する。

 9年後の1852年、『ルイ・ボナパルトのブリュメール18日』で、マルクスは「巨大な官僚制的・軍事的組織をもつ」フランス国家の執行権力を「網目のごとくフランス社会の全体と絡みつき、そのすべての毛穴を塞いでいる、ゾッとするような寄生的政体」として非難した。これまですべての革命は「それを打ち壊すのではなく、この装置を完全なものにしてきた。」

 マルクスはこれらの主題を取りあげ発展させたが、『フランスの内乱』においても非常に類似した用語をしばしば使いつつ、コミューンを「社会の上に高く舞い上がろうとする国家権力」をもつ第二帝政の「直接的な対照物」として示した。彼は書いている。コミューンが直面したのは、「これまで社会の自由な運動を喰らい、それを塞いできた国家寄生体により吸収されてきたあらゆる力を社会のために恢復してやる」ことだった。この最後の文言はバクーニンの戦友ジェームス・ギヨーム(James Guillaume)により引用され強調された。曰く。「これは素晴らしい下りだ。マルクスは彼自身の綱領を放棄してしまったかのうように思われる。」レーニンでさえ、彼の有名な『青いノート』に『フランスの内乱』についてのマルクスの注記を引用したが、彼はこう叫んだ。「『国家を寄生的なコブと呼ぶことによってマルクスは『ほとんど』国家の廃絶について語っている。』しかしながら、私の見るところでは、彼はまさにこうつけ加えた。「むろん、その問題は用語ではなくて内容である」、と。マルクスとエンゲルスからの引用を孤立的に検討するならば、用語上の矛盾を「発見する」のはいとも簡単である。p.213 この場合におけるコンテクストから明らかなことは、マルクスが破壊しようと望んだ国家権力とは、特殊的に「国民そのものから独立し、そして、それに優越する単位の具現物であることを要求する国家権力」だということだ。「社会の召使ではなく、主人」として機能するこの国家は「十分に成熟期を迎えたブルジョア社会」を「資本による労働の隷属のための手段」として役立った。コミューンはこのような国家の破壊と、新しいタイプの国家へのそれの交代を代表する。この新タイプの国家においては「旧政府の権力の単純に抑圧的な機関は切断され」、一方で「その合法的な諸機能は社会そのものに対しての卓越を奪い取るところの権威から捥ぎ取られ、社会の責任ある代理人のために回復されたものである。」