J.A. レート著「コミュ―ンをめぐる漫画戦争」(その3) | matsui michiakiのブログ

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横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

 風刺画家は多くのコミュナールの反宗教的傾向を明瞭に表わす。当時最も反宗教的だったモロクは「簡単な改革案」と題する絵を通して、その進歩的社会態度のゆえに清掃員、蝙蝠、蚊、蛇、ヒキガエル、そしてそれらに従う爬虫類などのゴタマゼの一団をコミューンがやっつける場面を描いた。彼によるもう一つの絵では、好色な聖職者が尼僧の一団(そのうち幾人かは妊娠している)を査閲し、彼女らは主の祝福で「満ちている」― フランス語でいう二重の意味で洒落を用いつつ ― と述べることにより安心させるさまを描く。ピロテルは放蕩三昧の僧侶をスケッチしつつ「神の姿に似せてつくられたもの」と銘打った。画家デュパンダンは教皇をp.124 道楽好き、笏杖に腰かける小悪魔と描いたが、これは明らかにカトリックの新聞『リュニヴェール』の主幹ヴイヨー(Veuillot)を攻撃したものである。

 

 私のヴイヨー様、何かニュースがありますか

 神父よ、非常に悪い知らせです。共和派のごろつきども、われわれがかつて奪ったものをすべて奪い返したのです

 

 左翼の画家はヴェルサイユの国民議会の多数派を後進的な痴呆として描く。ド・フロンダスの風刺画では、右派の代議士が聖書台に『ル・ペイLe Pay』のコピーをもつロバとして描かれ、それが議会に対しナポレオンのクーデタを支持し、メキシコ遠征を支え、1870年の戦争を準備したという自慢話をする。ピロテルは痴呆帽を被った白痴男がヴェルサイユ派の多数の閣僚を乗せた荷車をシャラントンの精神病院へ押していく様子を描いた。それは、彼らをそこに送るのが最も似つかわしいと暗示した。アラール・カンブレ(Allard-Cambray)はティエール、ファーヴル、トロシュおよび他の政府指導者らを国民議会の階段際の一団の道化師として描いた。

 キリスト教会と同じく革命派はその運動への精神的支持を喚起し、大衆の模範的行動を呼びかけるためにしばしば殉教を用いた。かくて、恐怖政治下のジャコバン派はルペルティエ(Lepelletier)、シャリエ(Chalier)、マラー(Marat)の肖像を使った。p.126 束の間の政権、血の粛清の時期においてコミュナールは殉死スタイルを多く用いた。たとえば、画家バール(Bar)は憲兵デマレ(Desmarets)によりシャトゥー(Chatou)で暗殺されたフルーランス(Fleurens)を英雄視した。フルーランスは長きに亘って帝政に反対し、国際的な革命運動に参画し、英雄的な最期を遂げたために急遽共和派の聖人となった。しかし、コミュナールの弾圧後は大多数の殉教者はふつうのコミュナール、特に連盟兵の壁で死んだ犠牲者となった。彼らの死はマネーの絵に代表されるように、図絵で記念されただけにとどまらず、彫刻、レリーフ、病臥のかたちをとり、それらすべてコミューンの神話に寄与した。ピロテルは「1871年6月」と題するヴィクトル・ユゴーの詩の挿画として青年の処刑の場面をスケッチした。〔詩の箇所は省略〕

p.127   左翼画家にとってヴェルサイユ軍のパリ奪回は流血の弾圧を伴った。ド・フロンダスは偽りの和平の象徴として月桂冠の枝を手に持ち、血のプールに横たわる遺体を乗り越えようとするヴィノワ(Vinoy)将軍を描いたが、そのキャプションには「彼はプロイセン軍に対するよりはパリ市民に対してずっと獰猛であった」と記されている。画家クランクは炎上するパリを背景にして立ち現れる冷酷残忍な野蛮人を描く。皮肉を込めたこのキャプションは、田舎出身の兵士が文明世界の首都に平穏と安全をもたらしつつあると告げる。また、小ガイヤール(Gaillard fils)作の版画は、殺戮と破壊を振り撒く軍隊を描く。p.128 前面の兵士が婦人を突き刺しているのは意味深い。厭わしい蝙蝠の形をして短剣を手にする女性の頭上に反革命の兵士が襲いかかる。同様のシェーマをとり扱った作品にピロテルのスケッチがあるが、それは運動による共和政の救出、労働への尊敬、無神論を説き、そして、人民が嫌悪する記念物を永遠に破壊することを宣した旗のもとで致命傷を負って倒れるコミューンを象徴する。象徴的な太陽がなおまだパリの上空に輝きつつ、V.ユゴーの名句「遺骸が倒れるも思想は死せず」の文字が浮き出る。

 右派の画家たちはヴェルサイユ軍のパリ入場の前からパリに居残って活動を展開していたが、いわゆる「解放」の余波を受けて彼らは辛辣な画家に訴えるプロパガンダを次々と発表する。そのことによって、コミューン政府は無責任であり、無政府的だったことを殊のほか暴きだそうとした。版画家テオ(Théo)は、「ギュギュッスの世紀Le Siècle de Gugusse」― ギュギュッスは道化漫才の笑われ役のこと ― と題する辛辣表現の版画においてコミューンのメンバーについて、ギョロ眼、もじゃもじゃ髪、冷ややかな笑いを浮かべ、野卑な口をもつ野蛮人として描いた。公安委員会の特別会議として描かれた中央舞台では、p.130 彼らメンバーはすべて空き瓶の間に寝そべる。コミューンを風刺した滑稽なシリーズ作品を描いたシェレル(Shérer)もまた、市役所でどんちゃん騒ぎをする政府を描いている。ネラク(Nérac)は新政府を3羽の家鴨 ― 家鴨は人間をかつぐという意味をもつ ― に擬えることによってコミュナールのあいだの分裂状態を暗示した。国民衛兵中央委員会を示す左側の家鴨の首、インターナショナルを暗示する中央に位置する首、コミューンを示す右側の首という具合に。

 コミューンに敵対的な漫画家もまた、コミューンを暴君政治と描こうとつとめた。5月半ばに出た風刺画においてベルタールはリゴー(Rigault)の23種の反対派の新聞の発禁処分を非難した。国家検事総長、「栗」― 栗と同様に新聞を意味する ― を自由の樹から切り落とし包椅子に腰かける。右手ではドレクリューズがその場面を見下ろし、グルッセ(Grousset) が(Rigault)を激励する。左手には2人の人物が彼に拍手を送り、『人民の叫びLe Cri du peuple』紙 ― コミューン下で出た最も口汚い新聞 ― の主幹ヴァーレスの「デュシェーヌ爺さん」の再現を希望する。ピヤ(Pyat)は市役所で新聞発禁を承認した張本人の一人だが、後に『復讐』紙でそれを批判し、むかっ腹を立てた。コミューンの弾圧後に現れたポスターはさらに辛辣な批判をおこない、その運動は「恐怖政治」を永続化させたと宣した。炎上する建物、放火部隊の出てくる場面で縁取られた絵画の背景はコミューン諸法令から成る。中央部に、フランスの勝利を宣する人物の傍らに松明をもつコミューンが臨終を迎える間も、踏みつけられた「人権宣言」を踏みにじっているさまを描写する。

 左派陣営の画家が、生産者に対してコミューン政府が気遣いを礼賛しているのと対照的に、右派の画家たちは所有権の侵害を強調する。画家シャム(Cham)は「コミューンの愚挙Les folie de la Commune」というシリーズ風刺画で黒焦げになった廃墟の前に立つ男が「コミューンを呼べ、コミューンは家賃問題を解決したのではないか!」と叫んでいる絵でもって、彼の極端な立場を表明した。前出シェレルは家賃を支払わずの引っ越しを正当化すべく、地主の前で対家主の法令文を散らつかす間借り人を描く。インターナショナルを窮乏生活に味方する新社会主義教会に擬え、コミューンの諸事件に対し幾つかの当てつけを含むとんでもない内容のポスターで画かジョブ(Job)は十戒の第1条を引用する。

 

 汝、家賃を支払うべからず

 また、手形を支払うべからず

 

 そして、コミューン期における数多の諸活動を風刺する小さな挿絵で風刺画家ショケ(Chauquet)は富者から盗奪あるいは非難するコミュナールを風刺する。或るクラブで演説家の一人は「すべての間借り人よ、所有者はもう要らない!」と宣言した。

p.135   とりわけ反動的版画家はコミューンの破壊を強調した。「コミューンによって焼かれたパリ、不具者にされたパリ、炎上したパリ、パリの破壊、パリの廃墟、パリの惨状、パリとその廃墟、パリの火災」というような見出しで始まる夥しい数のシリーズが世に発表された。コミューンの申告された愚行を描写したシリーズにおいてシャムは黒焦げの廃墟を見て、なぜコミュナールは街を焼いてしまったのか訝しく嘆じる若者を描いている。同じシリーズの他の風刺画はマラーに鼓吹された放火犯を描き、こうしてコミューンの破壊性をフランス大革命の過激主義に結びつけた。この同じ画家は正規軍が出現したとき、廃墟から走り出る野蛮人に語らせる。「嫌な奴! 奴らはおまえらにおまえの社会理論を思いきり誇示する暇を与えんぞ」、と。

 左派と同じく、右派もコミューンを戦う女性に象徴化したが、彼女は正義を実現するどころか、悍ましい破壊者として描いた。右派にとって神話化した「放火女」はコミューンの象徴的女戦士の引き立て役となった。画家デュボワ(Dubois)の意地悪漫画の場合も同じく、コミューンの象徴は自由の帽子あるいは平等の天秤秤ではなくて、石油缶あるいは松明であった。これらの象徴はくり返し現れた。たとえば、ジラール(Girard)の下卑た眼をもつ放火犯で、そのキャプションには皮肉を込めて「世界に光明で照らす解放女性」と書かれていた。

 しかし、右派に属する画家が風刺の対象としたのは、正確にはいわゆる放火女ではない。画家たちはコミューン期において女性が果たした全体的役割と社会的平等を風刺したのである。『滑稽評論Revue comique』においてシャムはバリケード上の女性を非難する。「社会を破壊せよ」とある正装婦人がパイプ煙草を吹かす女性に面と向かって叫ぶ。『娯楽新聞』でロビダは水筒をもつ女性を描いたが、そのキャプションには画家クールベによって示されるようなコミューン期の無茶苦茶な活動を創造的に描くことによってジローは、今や討論クラブとなった社会で説教を垂れ、妾制度を不道徳な婚姻制度、すなわち女性の男性化、およびその正反対に取って代わることを主張する女市長を描いた。

p.138   コミューン期の婦人の役割について周到で綿密な研究をおこなったサセックス大学のウジェーヌ・シャルカインド(Eugene Schulkind)教授は、急進的女性は社会全体の秩序にとって脅威であったことを意図しつつ、彼女らが男性支配よりもむしろ社会的悪弊と見なすものを攻撃対象としたことを述べている。たとえば、コミューンの諸事件を回顧したシリーズものの作品のある場面でシェレルは某婦人クラブにおいて象徴的に赤い衣装をまとい、籠の中に子供ならぬ犬を入れた演説者がすべての男子を激怒しながら非難する場面を描いている。曰く。

 

 女子市民よ、男はろくでなしであり、私の夫は死ぬほど悲しい目に遭わせたというのに、まだ絞首刑にされていない。

 女子市民よ、すべての男に死を

 そうだそうだ、万歳

 私は夫を祖国のために生贄に差しだします。皆さんもこれに倣いなさい!

 そうだそうだ…

 

 右派の画家たちはコミューンの72日間を怠惰、泥酔、無秩序の時代として描くことにつとめた。『挿画年代記La Chronique illustrée』 において画家ベロケ(Belloquet)はコミューンを自由のボンネット、コミュナールの制服を着用し、全部が全部飲めや唄えやのどんちゃん騒ぎをする猿の謝肉祭然と描写した。p.140 シャムは着こなしのよい紳士がその顎鬚と長髪が叛徒であることを示す身なりの悪い男に向かっている風刺画を描いた。

 

 おい君! 仕事に戻る気はないのかね

 いつも同じ制度だと、人民を疲れさせるんだよ

 

 5月の諸事件を風刺した『鈴Le Grelot』の裏面に現れたある種の滑稽漫画の場面にダルジュー(Darjou)は夜間労働を拒否するべく昼間働いている街灯点火人を示した。これはパン屋の夜業禁止法案を可決したコミューン法令を愚弄している。画家シュケ(Chouquet)によるもう一つの風刺画は、飲み友達のために空席をつくるべく自分の部署の責任者の逮捕を申し出るコミュナールを描く。シェレは街中の日常茶飯事の小競り合いや、堡塁におけるだらしない飲酒、いたずらっ子の誘導(inducation)を求める母親により分裂させられた階級を描いた。

 その敵手たる左派の画家たちと同じく、反コミュナールの漫画家たちは彼らが反対する勢力を人格化する個人を風刺しようとした。たとえば、「コミューンの大馬ども」と題するシリーズにおいてテオは松明を燃やすドレクリューズをp.141 コミューンの破壊性の象徴とした。ネラクはフォンテーヌの名を洒落て公有財産の指揮官を、両方の口から出る血を免除する泉水として描き、またもや固定的な人格を象徴とした。ヴェルサイユ軍のパリ入城ののち、右派に身を転じたクランクはフランケルを、彼の背中に石油とスタンプ判を捺し、ドイツの二重スパイを意味するプロイセン兜を彼に被せることによってひとつのシンボルとした。とはいえ、右派はティエールが反動政治を人格化されたように、コミューンを代表する単一の人格をもたなかった。その訳は、叛乱派には特に傑出した頭目がいなかったことによる。