J.A.レート著『コミューンをめぐる漫画戦争』(その2) | matsui michiakiのブログ

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横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

J.A.レート著『コミューンをめぐる漫画戦争』(その2)

 

 一群の漫画はすでに消滅した制度の成員を風刺の対象とする。アドル(Hadol)の「帝国動物園La Ménagerie impérial」と題するシリーズの表紙絵は32枚の絵で構成されるが、p.109 過去20年間にフランスを貪り食った動物を暴きだすために、カーテンを開けようとする共和国を示している。曰く。「反芻動物、両棲動物、食肉動物、他の浪費動物」の類別を表わす。反対派から帝政に鞍替えし、自由主義政府の首相となったオリヴィエは忌まわしい蛇として描かれたが、口から出るフォーク状の舌をもち、札束を巻く胴体をもつ蛇の姿である。また、帝政と仲直りしジャーナリストを撃つことで著名となったピエール・ボナパルトは、口から食み出る鯖を齧りつつ、前足の蹄に2丁のピストルをもち、赤いベルトに短剣を差す野性熊として描かれている。ひどく嫌われた警視総監ピエトリ(Piétri)は蠅(mouche)という語と、警察のまわし者という意味のmouchardとが似ているところから蠅として描かれている。彼が工場に配置した似非労働者は「白色仕事着」として知られるようになった。同じような調子で漫画家フォスタンは宮廷人とその大臣たちを、フランスを意味する樹木をほとんど丸裸にしてしまうイモムシの巣と描いたが、フォスタンは明らかにその巣がやがて繁ってくることに期待をかける。ル・プティは皇帝とその取巻き連を9月4日の政変時にガラクタとして一掃されるありさまを描いている。

 不幸にして、共和政の宣言はフランスの諸問題を一掃しなかった。戦争は継続され、プロイセン軍はジリジリと前進し、p.110 ついにパリを包囲してしまう。幾人かの画家は戦争と攻囲の局面をユーモラスに描写する。或る匿名の風刺画は、ナポレオン三世がアマゾン女兵部隊を観閲に臨む様子を描いたが、事実はどうかというと、この珍しい部隊は皇帝が(プロイセンに)収監されてのちになって召集されたのであって、しかも男子兵と砲台を防護するための一種の婦人補助部隊として非公式に召集されたものであった。「地下室の中のパリ」と題するシリーズもの漫画においてモロクは籠城下の首都における生活を取りあげ、それをコミカルに描く。或る作品では消防夫がパリ市民に穏やかなニュースもたらす。

 

 「旦那、安心しなさい。たとえ御宅が焼かれ、少なくともあなたの奥さんが救出されるようなことがあっても、私どもは彼女を旦那の許に安全にお届けしますから。

 あゝ神様、助けてくださいまし。このような災難を2つとも同時にお授けくださるとは、何の因果でありましょうか?」

 

 しかし、戦争の主だった結果は、国防政府が国民を裏切り、特に首都の民を裏切るという確信から生まれた悲哀である。抑うつ状態におかれた愛国心は3月18日蜂起ののち爆発的な力を発揮する。フォスタンらは外務大臣ジュール・ファーヴル(Jules Favre)を描くのに、プロイセン鉄兜を被り、十字架で飾られた婦人用コートを着用し、パリを象徴する婦人に向かって銃剣を手に突進する様を描く。この同じ漫画家は、フランスを救出する作戦計画を温めでいると普段から自慢していたp.112トロシュ(J. Trochu)総督がうやうやしくドイツ皇帝の足を舐め、他方でスズメバチが総督のヒビの入った頭にプラン(作戦計画)という語を排出している様子を描く。そして、同じ画家はファーヴル、ガルニエ=パジェス(Garnier-Pagès)、トロシュ、フェリー(J.Ferry)、ティエールらが市壁越しにビスマルクの手中にパリの鍵を渡している様子を描く。これは多くのパリ市民の裏切られた感情を代弁している。

 すでに、図絵による宣伝をやろうとする人々が使った技法の凡そは明らかとなっている。これらの画家は最も頻繁に固定的なパーソナリティ ― 彼らの意見では彼らの敵対勢力を具現する ― を好んで攻撃した。このことはパーソナリティを通し特有のかたちで物事を判断する民衆心理に強く響いた。こうしてティエールは裏切りと反動の権化となる。当時の風刺画の半数以上がこの行政長官を揶揄し攻撃する。ティエールはいろいろ不快な役まわりにおいてたち現れる。つまり、共和政を攻撃する自称強姦犯として、棺傍で共和政に爪を立てる葬儀屋として、あるいは共和政を、オルレアン家の象徴の西洋梨に化けさせる魔術師として、共和政をよろめかせるため、共和政のための踵を作る靴職人として、共和政の心臓を狙う的当て遊びに興じる射的の所有者として、パリ伯爵ドマール公〔訳注:ブルボン家の王太子〕を育てる乳母として描かれる。漫画家ロザンボー(Rosambeau)はティエールを1871年の青髭男(残忍無情にして次々と6人の妻を殺害した)として描く。コルソー(Corseaux)は数多くの王位継承候補者のバランスを図ろうとする体操指南として示した。ド・フロンダス(De Frondas)はティエールの人物像を敗戦派の国王とみて、p.113  ヴァンドーム円柱上のナポレオン大帝に取って代わるだろうと提案した。ティエールは胸のまわりに縛りつけられたガリアの鶏とともに、片手にルイ=フィリップ王を意味する西洋梨を、もう片方の手に王政の象徴の傘を持つ人物として表わされる。1805年のナポレオン戦争のレリーフに代わって、一連のティエールの「英雄的」所行、すなわち、 1834年のトランスノナン街の虐殺、パリの降伏、ごく直近におけるヌイイとクールヴォアの無差別攻撃などが記される。

 コミューン派に同情的な画家はヴェルサイユ政府の閣僚を事実上の犯人と扱い、彼らの顔つきは下品に捻じ曲げられた形に描かれたのとは対照的に、コミューンの指導者たちは高潔にして気高く、勇気ある人物として描かれる。コミューンの崩壊後となると、マネー(Money)は、多数の画家がコミューンへの追従行為でもって元々の才能を堕落させてしまったと嘆く。彼は言う。「大衆のなかのエリートたちの性格の空虚さと、その使命の崇高さを疑うことはできない。さらに、彼らは彼らのためにフェティシズムにいたる敬愛を、亡命者または被抑圧者に向かっては残忍であり、時の人に対してはなお追従と熱狂的礼賛を惜しみなく与えた。」マネーはおべっか使いとみなす幾つかの例を挙げたが、たとえば、肖像画集の「パリ・コミューン」と題する賛辞集がそれにあたる。p.115 また、コミューン派の指導者を称える個人的な作品もあった。たとえば、モロクの聡明なフル―ランス(Fleurens)― コミューン議会の議員であり、第20大隊の隊長であった ― をヴェルサイユ政府の閣僚たちを足蹴にして踏み倒す人物像として描いた。

 それにもかかわらず、左派に属する漫画家たちはさまざまなグループを示す固定的なパーソナリティを使用しただけでなく、揶揄的な人物像を駆使した。つまり、彼らの言語はこうである。フランス人はフランスを、共和政とコミューンは女性として描かれるのが通例だが、これらの女性は柔和な婦人ではなく、むしろその敵手とがっちりわたりあう能力をもつ逞しい乙女であった。伝統的な大砲とは反対に、これらの悍ましい婦人はしばしばその顔に厳しい決心を刻み込む表情を漂わせ、パリ郊外に現れる単なる女性として描かれる。ピロテル作の「チビ」では、聳え立つような大女が赤いガウンを半身に着用し、自由の帽子を被り、ティエール、トロシュ、その他のちっぽけなこびとたちを見下ろしつつ革命のモノサシで彼らの伸長を測定する。モロクの作品では、ファーヴルが蝋燭を持ち、ちっぽけなティエールが共和政を犯そうとするが、筋骨逞しい女性は独力で身を守る術を心得ているかのように見える。一方、アレクシ(Alexis)が描く図絵では、パリを指し示す巨大な女が、プロイセン兵の兜を被りながら、正規軍とともに進軍中のティエールとファーヴルに対してコミューンを要求する都市の権利を主張する。p.116 画家コルソー(Corseaux)はコミューンを描くのに、ムカムカするような一群の昆虫として示されるヴェルサイユ派の指導者たちを追い払う女兵士の形をとる。

 コミューン派の画家たちは革命の象徴の兵器庫を活用した。それらのうちの幾つかは1789年の大革命にまで遡及するが、それ以外はもっと近い起源をもつ。国民衛兵に献呈されたポスターは大部分の伝統的な印章や象徴を示す。すなわち、自由のボンネット、庶民の武器としての鉾、人民側に立つ大砲、共和主義的統一を示すところの、束ねた棒の中心に斧を入れて縛った権威標章などがその例である。ヒドラとして描かれた反革命はしばしば登場するシンボルだが、ブリュタール(Brutal)はフランス国王候補者をそれぞれの頭に乗せることで当世風のいで立ちに改めた。天空から降りる正義の雷光として描写される革命はかつてのジャコバン党の構図であったが、これがピロテルの解釈となると今や、稲妻は「社会共和国La République sociale」となる。さらに目新しいことといえば、コミューンを赤い箒として示していることである。この箒によってファーヴルやティエールらヴェルサイユ政府の他の閣僚たちが掃き捨てられる様子が描かれる。この作品でド・フロンダスは「これで最後としよう」という見出しを付ける。また、目新しいことは、コミューンと社会革命を昇りつつある太陽として描くことである。この太陽は世界中を照らしわたり、ファーヴルやティエールらの反動政治家を狼狽させる。レヴィ(Lévy)の風刺画を参照されたい。

p.119   色彩はこれまでさまざまな体制のもとで象徴的な役割を果してきた。キリスト教徒にとって、時おり金色や黄色に取って代わられることはあったものの、白色は光、廉潔、歓喜、勝利を意味した。赤色は愛、火、熱情、血、殺戮を意味した。青色は天空、真実、一貫性、智慧を意味した。緑色は成長、生命、希望を示した。紫色は後悔を象徴する、コミュナールにとって赤色はいまや急進革命を意味するようになった。どうしてそうなったかは興味深いテーマである。1789年の秋、民衆の蜂起により混乱させられた憲法制定議会は戒厳令が暴徒弾圧を宣した目印として赤旗を掲揚することを命じた。大革命においては早くも赤旗は時おりこのような用途で使用された。1791年7月、ラファイエット(Lafayette)将軍は隷下の軍隊がシャン・ド・マルスに集まった親共和主義の群衆に向かって斉射命令を発令したときに赤旗を掲げた。その翌年、デモ隊は「宮廷の叛乱に対する人民の戒厳令」というスローガンと銘うたれた赤旗を使用した。翌年のフランスでも、また他国においても同じような事件が起きたとき、赤旗は旧秩序に対する急進的敵対の象徴として確立していくのに役立った。コミュナールにとって赤色は旗だけにとどまることなく、リボン、スカーフ、軍用ベルト、飾り帯、外套にまで及ぶようになった。赤色は穏健的共和派が用いる3色と対峙することになった。

 親コミューンの漫画家は漫画と未来に向けての何らかの見解を知らせる試みをおこなった。「歴史の1コマ」と題する作品中でマティス(Mathis)はコミューンを、1830年以降のフランスに続いて蜂起した革命の絶頂として描いた。各指導者は革命により先行され、革命に後を追われ、さらに隠喩的な婦人によって代表された。ルイ=フィリップはその積み重ねの最低辺に位置し、ナポレオン三世は彼がいかなる方法で共和政を圧殺したについて、象徴する短剣を手にして現われ、ティエールは自身が秘密の王党派であることを意味する西洋梨〔訳注:ティエールはかつてルイ=フィリップ王を戴く七月王政下の首班だったことがある。西洋梨はルイ=フィリップの面相が西洋梨に似ていたから〕を手放している姿で示される。ティエールはコミューンを象徴するす元気を回復した女性によって傍らに押しのけられんとする。デュパンダン(Dupendant)はその漫画によって運動の不滅性という彼の信条を伝えんと試みる。ここにおいて運動の不滅性は、その基盤を掘り崩さんとするヴェルサイユ政府のこびとの閣僚たちと並んで巨大な女性像として描かれる。また、ある匿名の画家はコミューンを1789年以来の3度目の大噴火に擬えたが、それは、山腹で示されるヨーロッパのさまざまな王政に降りかかる自由の噴火をもたらすものであった。僅かばかりの地方からの束の間の支援を別とすれば、コミューンは専らパリに局限されたのだが、そして、その位置が当初から不安定だったという事実にもかかわらず、画家たちはその蜂起を支え、ひとつの歴史的分岐点、不滅の運動、普遍的な意味づけの大変動であると表現した。

p.123   左翼に同情的な画家はコミューンを労働者階級の利害と結びつけようとした。前出レヴィは、コミューンを象徴する太陽を前にして金袋を持ったまま逃走しようとする欲張りを一方に配置し、或る労働者はこの太陽の照らす中を自信たっぷりな足取りで歩く姿を他方に配置した。クレッツ(Kretz)は家主たちを皮肉って、彼らの鼻を巨大に膨らませ、コミューンの家賃に対する彼らの憤激を表現する。「貧しい家主」と風刺的に題された作品において、この同じ画家は身なりのよい紳士が物乞いをしている様子を描いたが、この紳士はシルクハットを手に物乞いをし、彼の首からは、「自分は6人の子供をもち、家主である」という看板をぶら下げる。キャプションは次のように問う。「ああ、この道を行く皆さん、私のような運命をかつてご覧になりましたか?」