F. ジュブロー「コルベール研究」(7) | matsui michiakiのブログ

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横浜市立大学名誉教授
専門は19世紀フランス社会経済史です

第2章のつづき

 

第9節 商業に関する諸制度で統一をもたらすための努力

1.1673年の商業法

2.破産者に対する刑罰

3.度量衡の統一を達成するための試み

4.特別税の改正

 

1.1673年の商業法

 もし正義が国民の第一の必要としてあるのであれば、正義はこのことを通して同じく国王の義務ともなる。国王がためらいながらもその成就を監視しなければならないのは一つではない。正義を管理するのは国王の名においてであり、たとえ国王の選んだ執政官によるものでも全体の責任をもつのは国王である。その仕事は困難で重要であると見なされている。p.306 しかし、立法という一定の条件があれば、いつになく仕事を容易にすることができる。そして、これらの条件の間においてまず筆頭に位置するのが統一である。もし正義が場所によって異なれば、つまり、同じことだが、正義のあちら側では厳しさが倍増しているのと対照的にこちら側で弱まっていれば、公平さの変異性を尊重するというよりはむしろ気紛れさを見落とすことになる。あらゆる場所で平等でないものを正当だと信じることはできない。・・・ これは習俗の真理と同じく、法律家が「何ぴとも法律無視をやめることができない」という格率を承諾させるに等しい。真実はこの作り事からかなりかけ離れている。しかし、法律が均一であるとき、真実は難なく承服される。均一性のないところでは無知が心配、不信、反感に行き着くのは避けられない。ニーヴェルネ州の習俗のもとで特権を与えられた運送業者はその同じ特権をオーヴェルニュ州では失うことになる。・・・ このような二者択一は輸送における無限の運賃騰貴ないしは下落を決定づける格付け状態を招くことになり、しばしば半分の道のりでもこうした変異に従って倍額を支払うことにもなりかねない。p.307

無知はなおまだいっそう奇妙な事実をもつ。すなわち、人々が無視する法律の気紛れはさらなる障碍として変異を与える法律を吹き込む懼れを己につけ加える。・・・ 遠隔地での訴訟はつねに危険である。しかし、原理が知られているとき、人はそれを容易に受け入れるが、原理がわからないときはけっして訴訟を起こさない。商業は信用を生命とし、驚愕は商業を殺してしまう。このような危険に通じていたコルベールは習慣の多様性を維持している商人を大急ぎで恐怖から解放した。われわれは彼の業績の細部までは立ち入らない。(彼の偉績は)あらゆる産業制度を転覆し、商業に大いに反作用する革命に従って、商工業上の立法はほとんどなんらの損害を受けることなく、社会変革のあらゆる嵐にも倒れることなく横切るといった幸運をもって試みられた。1807年の法典は1673年の布告からその区分と分類をはじめとしてその表現までも借用している。すなわち、それは本質的な変化を蒙ることなく、言い換えれば、少なくとも多くのものを付加することのない新訂版といえる。テキストを照合してみると、起草者の誠実さが非難に予め備え、改竄することが不可能であるという無言の同意を与えたと言ってもかまわないが、剽窃の観は免れえない。

 

2.破産者に対する刑罰

 善意のなかに原理をもつあらゆる契約は厳罰にその保証をもたねばならない。p.308  民法のなかで人間に対する強制手段を慎む法律がなぜ商行為においては惜しむことなく自己主張を完遂するという理由がそこにある。信用が主要な役割を果たすところでは、安全性が迅速かつ暴力的な執行を求める。したがって、ある団体が意図をもて規則に違反しないときでも、その団体に依拠して強制的手段を攻撃する者は少なくとも無知によって規則に違反したことになる。つまり、彼らはあまりに頻繁に党派をかかえているにすぎず、理性をもっていないことを示しているにほかならない。人物の逮捕は人間の尊厳に逆行する。・・・ あらゆる原理に共通して満足するように問題を解決するためには、同じ攻撃でも商業をダメにすることなく法律の民事的拘束を拭い去る方法を模索しなければならない。歴史はコルベールに対し、現代の改革者の教訓とは異なった教訓を与えた。彼より前においては破産者に対しての刑罰の度合いは商業の繁栄ないしは衰退を左右した。つまり、刑罰の度合いが毅然たるものであれば、商業の衰退も同じくこの階梯を降りるにもかかわらず、繁栄は相も変わらずこの階梯を昇ってくるのである。

 刑罰のこのような変化は、小心翼々たる態度をもって商業の麻痺状態または活力を再生させる。1673年3月のコルベール布告中の第12条は、詐欺的破産者は特別に告訴され死刑に処されると命じている。他方、ルイ十三世が1629年1月に出した布告の第135条は単純に、詐欺的に破産を起した者は特別に処罰されると述べている。1609年5月、アンリ四世はもっと厳しかった。詐欺が発見されれば、容疑者は見せしめのために、公共の泥棒および詐欺師として死刑に処されると、同王は命じた。アンリ三世の波乱に満ちた政治のもとでは1579年のブロワ布告はその第205条において「特別かつ見せしめの処罰」という語句を使ったが、1560年のオルレアンでの布告ではロピタル(Lhopital)大法官の厳格な判例(第143条)は詐欺的破産者に死刑判決を下したとなっている。

p.309

3.度量衡の統一を達成するための試み

 この改革をフランス全土に拡大するところから得られる良き結果は測りしれない。じっさい、この問題が不安定であることほど商業にとって有害なことはない。この不安定さは多かれ少なかれ変化を助長し、詐欺手段を容易にし、取引関係において不信用をもたらす。不幸なことに、地方に蔓延っている偏見は経済的見地からみると、コルベールの賢明にして有用な計画にとって目につかない障碍となった。他の多くのことと同じく、ここにおいても1789年の革命につづくところの議会の最も好ましい改革者たちに対してコルベールの見解を実現させる栄誉を残しただけに終わった。憲法制定議会の手中にその問題解決が委ねられるにいたった。

・1790年8月22日~翌年5月8日  度量衡統一令

・1825年12月8日           完成

p.310

4.特別税の改正

 この問題に関してはすでにp.265で検討した。われわれはこれらの関税率について、ルイ十四世が財務長官に提示した統一を好む見地からこの関税表を再度検討してみよう。1664年より前においては商品の大部分を送達したり受け取ったりする商人がそれら商品に随行しないで済ますことはできなかった。というのは、1駅ごとに商品は税、通行料、検印を要求する幾つかの検問所を通らねばらなかったからだ。無関心かあるいは何の権限ももたない番頭ではこの責務を果たすことは不十分であり、実際上も困難であった。・・・ 税関の吏員はほとんどが検問所を設立した当人であり、税は予め定められた税率によるのではなく商品の価値にもとづいてかけられた。それが外ならない乱用そのもので不当な課税であることは自明である。それは1664年9月の勅令に伴って再評価 ― 5大税区に属する州に限定されたが ― によって廃止された。