動画ろんだん@松田政策研究所㉜~日本の歴史の真実を知る…先の大戦の総括&天皇の国史~ | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

今年の8月15日は終戦後ちょうど3四半世紀を経た終戦記念日でしたが、毎年、靖国神社参拝のたびに考えさせられるのは、先の大戦とはいったい何だったのか…。松田政策研究所チャンネルでは終戦記念日特集として、このテーマについて、開戦時の内閣総理大臣だった東條英機のひ孫に当たる東條英利氏、終戦時に北海道をソ連の侵攻から守った樋口季一郎・陸軍中将の孫に当たる樋口隆一氏、戦争を大東亜戦争として捉えた大局的な視点から歴史の総括を試みておられる家村和幸氏の3氏と対談し、戦後史観で書き換えられた歴史の真実に迫りました。

さらに、そもそも日本人はどのような由来の民族であり、天皇のもとに日本はどのような国柄の国として歴史を歩んできたのか。このテーマについて、自ら皇族の血を引き、最近「天皇の国史」という大著を出版された竹田恒泰氏、日本国の正史である日本書紀の研究を踏まえて、こんにちの日本のあり方を論じておられる久野潤氏と対談をいたしました。

以上に加え、上記のテーマに関する私の一人語りによる動画も併せて、以下、ご紹介いたします。

 

●戦後3四半世紀を経て

その前に、戦後75年の終戦記念日に靖国参拝をした私の思いを簡単に述べますと、「二度とこうした惨禍があってはならない、平和を祈念する」、「多数の英霊たちの犠牲の上に戦後の日本の平和と繁栄があることを忘れてはならない」…これが終戦記念日に表明される、お決まりの日本国民の思いですが、そこから一歩踏み出して、これからの日本への決意に思いを致すのが、戦後75年、3四半世紀を経ての靖国参拝なのではないか。

形の上では侵略戦争だったが、現実は、日本が戦争を起こすよう追い込まれたものだった…このことは、近年、さまざまな国際的な検証で明らかにされています。しかし、先の戦争を太平洋戦争ではなく、大東亜戦争として捉え直してみれば、もともとの日本の思いとは、19世紀的な植民地支配秩序から脱し、白人も有色人種も平等で、各民族、各国家が自立した対等の関係に立つ国際秩序を形成することにありました。

それは力による支配ではなく、利他の精神、協調と調和の精神をもって新たな文明を築こうとする志であって、今まさにポストコロナに向け世界が日本に期待するのはこれではないか。こうした「日本新秩序」を私たちが実現していってこそ、英霊たちの犠牲が報われ、先の大戦の歴史的な意味を日本が総括することになるのではないか…。そんな思いを私が抱いたのは、以下ご紹介する終戦記念日特集での3人の方々との対談を通じてでした。

高校生時代に私が読んだ本、E.H.カー「歴史とは何か」には、世界で生起してきた無数の事実のなかから、歴史の編者が属する時代の独自の視点から意味ある事実を構成し直すのが歴史である、ゆえに過去の歴史は時代とともに変わるという趣旨の下りがあります。このことを最も痛感させるのが、先の大戦に関する日本の歴史かもしれません。

広島と長崎に原爆を投下した米国は、無辜の民の大量殺戮という点では、ユダヤ人を虐殺したナチスドイツにも劣らぬ人類史上最大の罪を犯した国だと糾弾されてもおかしくないでしょう。しかし、それでは戦勝国秩序は構築されません。原爆を落とされる原因を作ったのは日本であり、それはファシズムによる一方的な侵略戦争という大罪であったとの「歴史」を構築する必要がありました。それが戦後世界を支配した東京裁判史観…。

 

●<対談>東條英利(国際教養振興協会代表理事)「終戦記念日特番『東條英機はどんな人だったのか?』」

靖国神社に祀られるA級戦犯といえば、東條英機。その直系ひ孫にあたる東條英利氏が東條英機を語った番組を終戦記念日に配信しましたので、この番組を以下、ご紹介します。

東條内閣は対米開戦を回避するために作られた内閣、東條英機は開戦を悔やみ、最後まで自衛のための戦争だったと述べていました。

特別な人ではなかった。日本人なら誰でも東條英機的な側面がある。当時の日本人を象徴するような日本人であった。個人的な損得ではなく、国全体を考えろ。明治の人たちは国をベースに損得を考えるのだなあ、そんなエピソードがある。

助けられた人も多い。子供に対してすごく理解が深かった。世界で唯一、児童疎開法を制定した。インドシナに進駐したときに、ゴムを軍需よりも子供たちの毬にと。上司としては厳しかったが、下々にはやさしかった。

首相になりたかったのかといえば、そうでもない。政治家などは水商売。軍人としての誇りのほうが強かった。想定外、晴天の霹靂だった。むしろ、退役しようとしていた。この国難のときにと怒られるかと思ったのが、逆に首相をやれ、だった。

内閣総理大臣兼陸軍大臣兼参謀総長兼文部大臣…6つも兼ねた。当時は統帥権の問題があった。陸軍と海軍の仲が悪く、統帥権のない状態で最悪な状況に直面していた。

「自己弁護はするな。すべての責任は私にある。しかし、国際法上、日本は無罪である」、そこだけは一貫していた。自分もその点は超えないようにしている。結果責任はあるが、原因はそこにないというのか、この大戦のむずかしさ。東條内閣は当時の昭和天皇と同様、日本は対米開戦しないという方針でできた内閣だった。

東京裁判で合点がいかないところがある。陸軍悪玉論、海軍善玉論…東京裁判で海軍で実刑になった人は一人もいない。真珠本攻撃、特攻隊等を考えれば100ゼロではないはず。

陸軍はフランス式のあと、そしてドイツを採り入れたのに対し、海軍は英国式を入れた。それがあるのかもしれない。(対米開戦へと突っ走った)山本五十六はイメージが今でも悪くない。公平性で何か腑に落ちない。

東條内閣下での大東亜会議は、アジア諸国代表が史上初めて会した場であり、歴史上初の平等宣言も出した。日本はそういう国だった。(八紘一宇、大東亜共栄圏とは、利他と平等と協調の思想であった)。

対米開戦の御前会議の夜、東條英機は自宅で皇居に向かって布団の上で正座して嗚咽していた。妻の推測では、そもそも日米戦争の回避が東條内閣誕生の経緯だったのに、それができなかった、申し訳なかった…。回避できなかった無念さと、それを陛下に報告しなければならなかった悔しさ…。天皇も総理大臣も戦争は回避したかった。

終戦後の自殺未遂事件。官憲による連行を待っていたのに、いきなり占領軍のMPが現れた。重光葵は約束が違うと、GHQにクレーム。逮捕は官憲の手で、連行には手を出さないという合意に違反していた。これをGHQは適当にいなした。日本は下にみられていた。対等に日本を扱う気は米軍にはなかった。

MPたちは東條邸で略奪の限りを尽くした。「東條は死ぬか」の賭けをしたり、流血の血を記念にとったり、カメラマンが登場すると苦しんでいる東條に足を組ませたり、鉄砲でポージングさせたりと、東條が懸念したとおりだった。自殺しようとしたのは辱めを受けたくないから。

東條は極東軍事裁判の宣誓供述書に「この戦争は自衛戦であり、国際法に違反していなかった」と記した。

最後に東條英利氏はこう述べています。「二度とこうした敗戦になってはいけない。そう思いつつも、中国の台頭を考えると、言っているだけではダメだと感じる。自分たちが違うと思っていても、世の中が勝手に動いてしまうということがある。コロナもそうだ。だからこそ、断固たる決意が必要だと思う。」

 

●<対談>樋口隆一(明治学院大学名誉教授) 終戦記念日特番「陸軍中将 樋口季一郎の遺訓ーユダヤ難民と北海道を救った将軍」

日本にとって先の大戦とは、これを米国側からみた言葉である「太平洋戦争」と呼ぶのは正しくなく、「大東亜戦争」(プレスコードで禁止されていた)と言うべきである。番組はここから始まりました。その戦争とは「欧米のアジア植民地を解放し、大東亜共栄圏によるアジアの自立」を意味するものです。

ご著書「陸軍中将 樋口季一郎の遺訓ーユダヤ難民と北海道を救った将軍」は、まさに陸軍幹部という当時の当事者の透徹した眼で、日本の戦争やその本質をそのまま赤裸々に生々しく叙述した証言として、好評を博している本です。対談は本書に基づきながら行われました。

日本を対米開戦に追い込んだ山本五十六に対して、樋口中将は強く憤っていたようです。宣戦布告なき真珠湾への奇襲は大義名分なき戦争であり、そのことによって日本はこの戦争に負ける、「敗れて然る後に戦う」愚かさを樋口中将は指摘しています。

ソ連が中立条約を破って対日参戦をするとの情報に耳を貸さなかった大本営にも怒っていた樋口中将は、欧州やロシアに精通していた戦略家。

ポツダム宣言受諾後に千島、樺太に攻め入ったソ連との闘いで、北海道を占領せんとするスターリンの野望を挫くことに成功しました。

ソ連が日本降伏のどさくさに紛れて北方領土に急遽、侵攻した目的は言うまでもなく、これが第二次大戦の正当な結果だとするため。いまでも日本が領土を取り返せない根拠になっています。

樋口中将は、ロシア人は個々には好人物だとしても、国家となるとソ連もロシアもとんでもない国であることを見抜いていました。

そして、日本軍が密かに期していた本土決戦(本土上陸に対抗する水際作戦で米軍は100万人の犠牲者)の誤りも指摘。つまり、米国は「勝って然る後に戦う」との戦略をわきまえた国であり、本土進攻は空襲、艦砲射撃、そして原爆投下で日本を徹底的に叩きのめした後のことと予測していたわけです。現に、当時、米国は広島長崎以外にも原爆を10個以上、用意していたようです。

大和や武蔵といった誇るべき大海軍を維持するためには、ABCD包囲網で石油が絶たれた以上、米英と戦わざるを得なかった…こんな部分最適の論理で日本全体を米国との戦争に引き込んだ山本五十六は、米国と戦っても一年は善戦すると述べていたそうです。それ以上は敗けることがわかっていたのなら、あまりに無責任!樋口中将は断じていました。

その樋口中将も、首相になる前の東條英機の大陸における「拡大工作」には猛批判。彼の親友である石原莞爾は「不拡大方針」を掲げ、東條と対立していました。ただ、日本が中国との戦争にのめりこんでいった背景にも、あのソ連による策謀がありました。

ここからは、兵法家の家村和幸氏と行った当チャンネル、1時間ものの対談番組をご覧いただければと思います。改めてこのFBでもご紹介します。

 

●<対談>家村和幸(日本兵法研究会会長)「終戦記念日特番『大東亜戦争とは何だったのか!?』」

先の大戦を日本が戦った大東亜戦争として捉えれば、それは白人による植民地支配の「近代」から、有色人種も、どの国もが対等で自立した「現代」の国際秩序への転換であった。また、日本を戦争へと追い込んだコミンテルンの世界共産革命のシナリオを、結果として、昭和天皇の英断によって崩した戦争でもあった。

決して戦争を美化するのではなく、もう一度、史実を丹念に追っていくと、数多くの英霊たちの犠牲の上に築かれたもの、築こうとしたものが何かが見えてきますし、日本が先の戦争の歴史を世界のために、どう総括すべきなのかを考えることができると思います。

家村さんと行った終戦記念日特番の第三弾、そこから示唆されたのは、ポストコロナの国際社会における日本の使命なのではないかと感じます。

大東亜戦争はいつ始まり、いつ終わったのか。支那事変、太平洋戦争、インドネシア独立戦争、この3つが大東亜戦争。欧州の30年戦争も4つの戦争が順次、連関しながら起こったもの。近代と現代の間に、世界の大戦期があった。

1904年の日露戦争は有色人種が白人に初めて勝った戦争。そして第一次世界大戦、第二次世界大戦、この3つを世界大戦期とし、その後を現代とする。そのあと、世界規模の戦争がなくなった。1918年の第一次大戦のあと20年足らずで、それをさらに地球規模にした第二次世界大戦、人類はそこまで愚かなのか。実は、必然の流れだった。

第一次大戦中の1917年のロシア革命。それはなぜ…。明石元二郎大佐による明石工作。革命工作。それで日露戦争でロシアは敗戦。これをプロイセンが焼き直したことで第一次世界大戦中のロシア革命が成功。それで誕生したボリシェビキ政権とコミンテルン、これが第二次世界大戦に。世界共産革命が第二次世界大戦を導いた。国家総力戦だと国の体制を全部を変えねばならない。ここに共産主義が入り込む余地。社会混乱の中でドイツでも王政が廃止。

1935年、第7回コミンテルン大会にて「反ファッショ人民戦線戦術に関する決議」。共産主義者はブルジョア機構の中に潜入して活動せよ。各国の保守層にまで入り込め。日本とドイツをまず共産化しよう、英米はそのあとで。

すでに1932年の大会で、日本の共産化のためにシナを活用しよう。天皇制打倒のテーゼも。日米英独伊の列強をそれぞれ対立させて世界戦争を。共産主義国ソ連のために動け。

1928年の6回コミンテルン大会では、世界共産化のための世界戦争という青写真。

ルーズベルト大統領の取り巻きは、ホワイト始めみんな共産主義者。支那事変の次の日米戦争に向け、ルーズベルトは数えきれない圧迫を日本に。在米資産の凍結、石油の全面禁輸。近衛文麿内閣の周辺にも共産主義者。南進論を唱えた尾崎秀實は朝日新聞記者、ゾルゲとともに裏で情報を全部ソ連に。

南進を説いた近衛の取り巻きたちの意図は、ソ連に日本の軍事力が向かないようにすること。満州を固めた日本軍の師団がソ連国境を叩かないように。独ソ戦のために、だった。「南進日本」の歌で国民を盛り上がらせた。これが近衛内閣が支那事変にのめりこんでいった背景。日本を中国の奥地に引き込もう、盧溝橋事件は現地解決で失敗したが、上海事変はそれに成功。

昭和16年11月の大本営「対米英蘭蒋戦争終末促進に関する腹案」で開戦。米国に追い込められた。海軍が石油断絶で動かなくなる。2年分の石油備蓄はあった。それぐらいは持たせてやろう。そうでないと戦争に踏み切らないから。そこで山本五十六の「1~2年は善戦できる」との言葉。これなら勝てるだろう…。インド洋を抑える、インドネシア、マレー半島を軍事占領し、資源を押さえる。英国は手を出せなくなり、米国も戦争の意思を失うだろう。中華民国もお手上げ…。「腹案」では勝算があると見込んでいた。

真珠湾攻撃で、この腹案が吹き飛んでしまった。東條すら知らなかった、山本五十六の秘密の工作。主戦場が東南アジアやインド洋から太平洋に飛んでしまった。せっかく勝てる作戦を海軍が次々と崩していった。

天皇の詔勅、「帝国の存立…今や自存自衛の為…」。

閣議決定、「今次の対米英戦争は…支那事変を含め大東亜戦争と呼称す」。

閣議情報局、「…大東亜秩序建設を目的とする戦争…戦争地域を主として大東亜のみに限定する意味に非ず」

つまり、自存自衛から始まったが、大東亜新秩序建設を目的とする戦争となった。それはアジアの解放。日米戦争は自存自衛だが、大東亜戦争と考えると秩序形成が目的。しかし、支那事変がそうだったかといえば、それは引きずり込まれたものだった。昭和16年12月の時点で再定義しようとしたもの。

開戦2年後の昭和18年11月に「大東亜会議」。その半年前にアッツ島で玉砕。戦線拡大からほころびが出始めた戦局の推移の中で、仮に負けても日本は正しかったとする。それを行動に移したのが大東亜会議と大東亜共同宣言。

「…大東亜の各国は、相互に提携して大東亜戦争を完遂し、大東亜をアメリカやイギリスへの奴隷的な服従から解放してその自存自衛を全うし…」

これは世界最初のアジア国際サミット。世界中に宣言を出した。これで焦ったのが連合国。その直後にカイロに米英+中国蒋介石が集まり、カイロ宣言。

「同盟国の目的は、1914年の第一次世界戦争の開始以後に日本国が奪取し又は占領した太平洋におけるすべての島を日本国からはく奪すること、並びに満州、台湾及び澎湖島のような日本国が清国人から盗取したすべての地域を中華民国に返還することにある。」

太平洋の島というのはドイツから国際連盟より委任統治。「盗取した」…日清戦争の下関条約で日本が正当に得たもの。カイロ宣言はでたらめを言った宣言。こっちの正当性を世界に訴えようとした。プロパガンダ戦。

ここでどうみても正しいのが日本。戦後、逆の思い込みをさせられている。事実と異なるウソを言っているかどうかだけで、どっちが正しいかわかる。

世界革命を狙った戦争が、昭和天皇のご聖断で終わった。8月15日に玉音放送。

8月10日、御前会議でポツダム宣言受諾してよいと決定。4日後に正式受諾。腹は10日に決まっていた。国体の解体ではないと安堵して。

では、なぜ、10日に御前会議?8月9日にソ連が侵攻したから。ポツダム宣言は、米国が早く戦争を終わらせたかったもの。日本軍の水際作戦での本土決戦、九十九里浜…用意されていた。米側の犠牲は大きい。その焦りの中から出たのがポツダム宣言であり、そこに、でたらめのカイロ宣言が受け継がれた。

そこで次に焦ったのがソ連。そんなことで日本が降参したら戦争革命が止まってしまう。

結果として、天皇が共産革命から日本を守った。

大東亜共同宣言の頃から、日本は各国に自存自衛の訓練。その大きなものがインドネシアの独立義勇軍の養成。独立戦争の中心になったのが義勇軍。日本軍はオランダの目を盗んで武器弾薬を渡した。昭和50年のベトナム戦争終結をもって大東亜戦争終結との見方もある。ベトコンも日本軍の功績あり。インドネシアでは2,000人の旧日本兵が闘い、1,000人が命を落とした。1949年に独立戦争終結、大東亜戦争も終結。

究極にあるのは白人対有色人種の対立、植民地支配からの脱却、平等、独立、それが大東亜戦争だった。はめられた部分もあったが、インドネシアの独立をもってすべての英霊が報われた。そしてコミンテルンの策謀を挫かせた。米国も気が付く。マッカーシー旋風、レッド・パージに。米国の危機感から日本も反共に。

GHQも民生局はコミンテルンの巣窟だった。そこには右左の確執。それでもソ連に占領されずに済んだのが良かった。

いったんは中断されたコミンテルンの策謀、それはまだ続いている。

大東亜秩序を植民地独立で日本は作り上げた。植民地が地上からなくなり、大国も小国も対等の国際社会ができた。それが近代と現代の違い。肌の色で人を差別しない国際社会を作った。現在の米国での民族対立も自然に起きたとは思えない。米国がやられたらいちばん痛いところを突かれている。米国の敵対勢力あってのこと。

…ポストコロナの混乱の中で新たな国際秩序を模索する世界、その答えは、日本が大東亜戦争で実現しようとした利他と平等と独立と協調、調和の国際秩序にあると言っても、決しておかしくないと思います。これが、松田政策研究所が3回にわたり、終戦記念日特集を組んでみて得られた一つの結論でした。

 

●<松田学>「日本新秩序~真に英霊に報いる道とは / 新型コロナのリスクを再評価し正しく恐れよう」(チャンネル桜・ビデオレター)

 上記3人との対談を踏まえて、私が大東亜戦争に関して総括的にまとめてみた番組です。

 

●<対談>竹田恒泰(作家)「天皇の国史~今こそ天皇の歴史を知ろう!~」

日本人とはどんな民族なのか。実は、戦後に現れた様々な俗説で、私たち自身、自国の本来の姿がよくみえなくなっています。先史時代までは世界で最も進んだ文明国であり続けた。その後、日本が採り入れた稲作文明とは中国の北側→朝鮮半島経由ではなく、南の長江文明だった。日本は中国への朝貢をやめた珍しい国だった。聖徳太子が復活したのは、別の意味だった。

やはり、雄略天皇以来の「大蔵」の名を捨てて「財務省」に改名したのは、日本の歴史への無知蒙昧がもたらした痛恨事だったと思います。

あの竹田恒泰さんが大著、「天皇の国史」を出版しました。国民との関係で、どこの君主とも異なるのが日本の天皇陛下。

672ページ、だいぶ分厚くなってしまった。日本の通史。先土器時代からずっと鳥瞰。

これまでの通史といえば時代時代の為政者からみた政治史だった。しかし、日本の歴史には天皇という背骨があり、そこからみた通史がなかった。違うものが見えてくる。混乱のとき、天皇の作り出す秩序にすがっていく。

「天皇が知らす国」。「統治する」という意味に変わったが、もともとは天照大神。「知りなさい」という意味。天皇の祈りは自発的になさることになる。人民を知ると自分ごとになる。歴代天皇が国民の事情を知ることに熱心。

先史時代。原ニッポンとは。文字が使われる前の時代。ただ、日本が建国したのは先史時代。百ぐらいあった国が統合されたのも先史時代。

戦後は学問の自由の名のもとにいろいろな説。朝鮮半島から天皇が来たとか、騎馬民族説とか。しかし、王朝交代説はウソ。2000年以上も前の建国だが、文字は5世紀から。1600年前。考古学が明らかにしてきたし、遺伝子学からも日本人の形成が分かってきた。本書では各分野の最先端の学説を採り入れている。立体的に建国が見えるようになってきた。いままでにない相当画期的な本。

なんでもかんでも中国大陸から朝鮮経由できたとされるが、古い時代は日本のほうが圧倒的にレベルが高かった。日本特有のものが多い。石器文化が世界で最も栄えていたのが日本、特に磨製石器。世界最古。中国より数万年早い。土器文化も世界最古で世界で最も栄えた。岩宿時代、縄文時代は世界の技術の最先端が日本。

そのあと抜かれる。それが農耕。日本は豊だったので最初は農耕は発達しなかったが、対する中国は荒れ地だったので、苦肉の策で編み出したのが農耕だった。農耕が文明を一気に発展させた。

実は、中国の農耕文明は一つでない。黄河と長江とは別の農耕文明を作った。北は畑。南は水田。水田は効率が良くみんなが食えている。北の畑作は大変。奴隷を使い倒さないと成立しないのが畑作文化。

殷などはめちゃくちゃ狂暴。世界で初めて武装して遺体を切り刻んだ。何千年も人類が使う戦争の道具はみんな殷が。その北の文明が日本に入らなかったのがハッピー。畑作文化は朝鮮のほうに入った。この分析は本書が初めて。語っている人はいない。確かに、長江文化のほうが日本にとってはなじみがある。

倭の五王…日本も朝貢していたが、雄略天皇は朝貢をやめた。日本独自路線で行こうと。子分が親分からお金をもらって帰るようなものが朝貢。それで軍事的に守ってくれるなら、なんでもくれるなら、周辺国にとってラクだった。

しかし、それでは国家としての足腰が立たなくなる。日本以外は、その後、全部滅びた。そこで雄略天皇がパチッと切った。大英断だった。

この国家としての自覚を持った雄略天皇のときにできたのが大蔵省。

朝貢をやめたが、中国の文明はどんどん発展したので、朝貢を再開したのが聖徳太子。おみやげはいらないから、若い人を送るので勉強させてほしい。独特の路線をとったのが日本だった。

時代が荒れると民衆が天皇を意識する。天明の大飢饉、光格天皇の時代。幕府はだめだとなり、みんなで天皇を拝もうと一日に七万人が京都に来た。お祭り状態になり出店が500も。民衆は決して天皇を忘れたのではない。急に明治維新で出てきたのではない。

浅間山やアイスランドの大噴火で世界的飢饉、そこでフランス革命がその時期に。王を処刑するという方向に出た。まったく日本は逆。国民とともに存在する天皇。

通史を書くと、変わったこと変わらないことが見えてくる。天皇は元々、非政治的。戦前もそう。当時も政治的発言は憲法違反だった。大化の改新まで天皇は後継者も指名できなかった。豪族たちの力関係で決まっていた。祈りから始まり、天皇が政治を直接動かすことはなかった。

天皇が政治的な自ら動いたのは、最近ではでポツダム宣言受諾、その前は光明天皇まで遡る。信長も秀吉も天皇は二人三脚、お互い補完、天皇の側も、それで世の中が治まるならと、利用させていた。距離感を測って政治的感覚を持った天皇も。

明治天皇は存在することですべてを築き上げた。ひたすら国を愛し、そこにいるだけでみんなが本気になった。何をしたのかといえば、何も出で来ない。教育勅語も井上毅が忖度して書いた。天皇ならこう望むだろうと。日本は忖度の国。明治天皇の前に出たらみんな本気になった。

いまは国際情勢が激変し、下手をすると中国に飲み込まれるかもしれない。そんなときに、日本はどんな国か知り、何を守り、何を変えねばならないのかを考える必要。そうした国家観を持つ必要。ただの損得で決められない。

…やはり、我々の原点を確認しないと次の時代に臨めない。令和時代とはまさに、そのような時代なのだと思います。これは、政治も同じなのではないでしょうか。本物の保守による新しい国づくりが求められている所以なのだと思います。

 

●<対談>久野潤(大阪観光大学国際交流学部専任講師)「日本書紀に学ぶ国難突破の処方箋」

東京五輪が延期?になったのは、今年が日本書紀編纂1,300年の国家として記念すべき年であることをほとんどの日本人が自覚していなかったから…?そう思わせてしまう久野潤さんとの対談、日本がどんな国難に遭っても、それを乗り越える知恵が、すでに日本の「正史」である日本書紀に書かれていた…。では、今回のコロナ禍は…?為政者たちは国難に遭って自らを省みる日本民族の営みを忘れていないか…?

オリンピックは来年あるいは延期だが、日本書紀編纂1300年は今年しかない。1300年を忘れたまま東京五輪?武漢コロナは中国の責任だが、日本がこうなったことについては我々自身を振り返るべし。

崇神天皇で最初の疫病の記述。国民の大半が死んだ。書かれているのは、多くの国の史書のような君主が採った対策ではなく、天皇が自らの政(まつりごと)を、政治と祭祀の両方の意味で省みられて、当時の皇居の中で自分の祖先にあたる天照大神を祭っていたのは不敬だったのではないかと反省して外に出したこと。

皇居よりもすがすがしい所に改めて祀った。正しい政治をしなければと反省し、国民を励ました。

次の第11代垂仁天皇のときの大和姫が神託に基づいて最終的に伊勢に。それでできたのが伊勢神宮。改めなければもっとひどい事態に。

欽明天皇の御代に仏教が入ってきた。国内ではグローバリゼーション賛成反対、蘇我氏対物部氏の対立に。蘇我稲目が個人的に仏教を祀ったところ、疫病が…。外来の宗教を神々の許しも得ずに、と、反対派はそらみたことか。仏像を流した。次の代にまた疫病、天皇まで罹った、蘇我馬子…また、仏像を流した。

こんにちではグローバリゼーションがコロナ拡大の原因。蘇我氏は、西方は皆、仏教を信じているからという理由で。教義での対立ではない。安直なグローバリゼーションで何が起こるか。グローバリゼーションの米国や、昔のグローバリゼーションのスペインやイタリアがこんにち、コロナでひどい目に。

コロナを奇貨として勢力を拡大し、尖閣を脅かす中国。これと似た状況が、日本書紀には書かれている。

幕末の志士たちも日本書紀を心の中に。大東亜戦争も特攻隊の文章の中に。悠久の歴史を持つ日本に生まれた幸せをかみしめつつ。皇室の尊さを。それが日本人が奮い立つ土台になってきた。

手水(ちょうず)を始め、我々の作法。神やエライ人に会う前に手を洗う。それが当たり前になっていたからこそコロナも日本を攻略しにくかった。

何よりも今の日本人に欠けているのは、何か起こったときに自らを省みること。コロナも東京五輪の延期も。何かあるとすぐに反安倍になる。自分を省みたことは何かあったかを、一人一人が考えてほしい。

コロナはひどくても我々がどういう心をもつか。想定外と言うが、こういうことは起こりうる。それを想定することで人間は強くなる。先祖が残してくれた教訓。こんにちの問題の9割5分はすでに、日本書紀に、それらにつながることが書かれている。

インバウンド観光よりも前に、日本人が自らを知る観光はないのか。日本人自身があまりに知らないことが日本には多い。こういう所に行ってすばらしい日本を知って…。英語教育と言っても英語で伝えるべき日本のコンテンツを日本人が持っていない。

…日本人が日本人であることを忘れていることが、実は、30年も続く日本の停滞の原因。これは単なる精神論ではなく、政治経済学的にも十分に説明ができることだと思います。だからこそ、私が提唱する「日本新秩序」を…。

 

●<松田学>ニュースを斬る!

・「戦後75年 コロナ騒動で見えた日本人の”差別意識”を考える」

かつて「大東亜秩序」で平等と利他、協調と調和の精神を世界の中でめざそうとした日本人はどこに行ったのか…。コロナがもたらした差別や村八分には暗澹たる気持ちになります。今年の終戦記念日や、帰省をあきらめた方が多かったお盆を振り返って、問題提起しました。

 

・「どう見る!?アイヌの団体 先住権の確認求め提訴」

ここで論じたのはアイヌ人のことではありません。わが日本民族の由来についてです。中国北部から朝鮮半島を通じて入ってきた「弥生人」説が俗説であること、日本民族には多様な混血による独自の民族的由来があること。この点をきちんと認識しなければ、隣の大国によるSilent Invasionをさらに促進してしまう危険があります。国を守るために、まずは、日本人が日本を知ることから。