動画ろんだん@松田政策研究所㉛~クラシック音楽の愉しみ…人間、社会、世界観と政治<その1>~ | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

 ドイツのメルケル首相が新型コロナに直面するドイツ国民に発したメッセージのいちばん最初が「文化力」。松田政策研究所チャンネルは時事問題や政策ものが中心になっていますが、実は、国家や社会の根底を支えるのは文化であるとの認識のもと、たとえ視聴数は少なくても文化の発信が大事だとして、文化対談シリーズを着々と進めてきております。

私自身がチェロ奏者でもあることから、これまではクラシック音楽を取り上げた番組が多くなっていますが、ここでは6本の動画をご紹介します。樋口中将の孫として歴史を語っておられる樋口隆一先生は、実は、音楽学者、その樋口先生とバッハ、ブルックナー、ベートーヴェンを、それぞれ語り合いました。また、いつもは韓国関係や歴史ものを語っていただいている当研究所の研究員で著作家の宇山卓栄氏は、実は、一日中クラシック音楽に浸っている大のマニア、同氏とはベートーヴェンと「ドイツ音楽とフランス音楽の比較論」を語っています。さらに、いつもは鋭く政治や世相に斬りこんでいただいている小川榮太郎氏と八幡和郎先生との音楽鼎談も掲載しました。

 

●<対談>樋口隆一(明治学院大学名誉教授、音楽学者・指揮者)「樋口隆一先生と語る!バッハの魅力とヨーロッパのクラシック音楽」

バッハといえば、他の偉大なる作曲家とは段違いということで私と樋口隆一先生との意見は一致。あの音楽の父、ヨハン・セバスティアン・バッハについて語り合いました。私が最初にクラシックの世界にのめり込んだのはバッハがきっかけ。一時はバッハ気ちがいになり、高校入学とともに入ったオーケストラでチェロを選んだのも、バッハの無伴奏チェロ組曲を弾きたかったからでした。

樋口先生もチェロからバッハに入ったようです。何百曲もあるバッハのカンタータ、タイトルがそれぞれ面白い。バッハの本質はカンタータにある。そこを攻略したい…。樋口先生が指揮するカンタータのCDをプレゼントしていだきました。

入っていくとどんどん広がっていくのがバッハの世界。一つ一つの曲が大宇宙。やはり、私と同じことをバッハに感じていらっしゃいます。バッハファンはみんな友達になれる。

バッハは時代を超越した音楽でもあります。バッハが亡くなったのは1750年でしたが、18世紀はヨーロッパが教会中心から社会が変化した時代。キリスト教的ヒエラルキーのもとでの調和…。バッハのその後の人々が実現できていない、現代人がのめり込む世界です。

バッハまでの音楽は和声法ではなく対位法。それが20世紀になって見直されました。特にワーグナー以降、1オクターブの音を平等に使うようになり、無調に。シェーンベルクが12音に再構成。樋口先生はウィーンでもシェーンベルクを研究。シェーンベルクセンターがウィーンにできた。そこの最初の外国人研究家に。

東ベルリンにせよドレスデンにせよ、まだ壁の東側があった頃、そこには19世紀の伝統が残っていました。本物のドイツのふるさとは東ドイツに。それが壁の崩壊でなくなり、音楽も商業主義一色になっていったのは寂しいという点でも意見は一致。

話題は、最後にウィーンの話に。ウィーンの人々は日本に親近感。イエズス会が日本に来たが、もともとウィーンではイエズス会が大きく、当時の日本にウィーン人たちはだいぶ入っていた。その伝統がずっとある。あの世紀末文化も日本の影響。浮世絵とクリムト。

ブラームスも琴で六段を聞いている。それが絵になって残っている。当時、日本の音楽が西洋音楽に編曲されていたのを、琴を聞いていたブラームスは、あまりにヨーロッパ的だと添削したそうです。

ご存知でしょうか、葛飾柴又とウィーンのある区が姉妹都市であることを。昔のウィーン市長が虎さんを見て涙したそうです。この下町気風こそウィーン気質。モーツァルトだけがウィーンではない。

話題にも出ていたバッハの無伴奏チェロ組曲、第6番ニ長調を、フルニエのチェロの音色でお楽しみください↓

https://www.youtube.com/watch?v=07VzRnO_4Ts

 

 

●<対談>樋口隆一「樋口先生とブルックナーを語る!」

オーストリアの民族衣装を着てご登壇いただいた樋口隆一先生。「ブルックナーを知るためにはバッハを知らなければいけない」…やはりそうだった。樋口先生が訳した、ブルックナー研究の世界の第一人者ノヴァークが著した「ブルックナー研究」をも題材として、ブルックナーについて徹底的に語り合いました。本書の表紙のザンクト・フロリアン教会、私もウィーンからリンツへと足をのばして訪ねたことがあります。実に壮麗なこの教会とブルックナーの音楽は切り離せません。

 収録後、樋口先生からは、「これだけブルックナーについてまとまった番組は初めてなのではないか」とのご感想でした。かつてブルックナーブームを日本で創ったのも樋口先生。

一般にブルックナーの音楽は女性からあまり好かれないとされますが、なぜなのか…?ある女性が「セクシーではないからよ」、と。実際にモテなかったそうです。バッハと同じく、ブルックナーは壮大な宇宙、聴き終わったあとの満足感・・・大きな気持ちになれる。それが救いになる。まさに男性が好きになる音楽。マーラーもバッハもモーツァルトも、シューベルトも・・・セクシーだった。ブルックナーの場合、外見は冴えなくても、惚れっぽい人だったとのこと。告白してはふられていた。

やはり、ブルックナーといえば、ザンクト・フロリアン教会の華麗なるバロックの大空間と大オルガンであり、バロックの天井画・・・、「修道院教会の高いアーチ天井を突き破り、それを超えて広い天空へと届く・・・現世的な次元はもはや関わりがない。」、前記のノヴァークの本は楽理だけでなく、ブルックナーの音楽の本質を随所で、素晴らしい言葉で表現しています。

教会音楽と交響曲には、ブルックナーにおいて密接な関係がありました。「神との対話のために教会音楽、人間との対話のために交響曲」

ブルックナーの音楽を言葉で表すとすれば、・・・もう一度、ノヴァークの言葉を引用します。「ブルックナーの名前を聞いて、音楽好きの人間がすぐに想像するのは、管楽器の力強い和音、コラール、心を奪う高揚と高潮点であり、さらには譬えようもない迫力ある旋律や優しい弦楽器の響きであろう。わたしたちは、彼の偉大さは神と近しいこと、つまり至高の神に対して衰えることのない責任の自覚を持っていることから来ている・・・彼の音楽は・・・信心深さに由来している。」

他方で、私自身はやはり、ブルックナーの音楽は、上部オーストリアの自然や風土と切り離せないと、長年、感じてきました。あの地方をくまなくドライブすれば、ブルックナーの音楽が自然に湧き上がってきます。

サウンドオブミュージックの舞台にもなったザルツカマーグート、その山岳や渓谷などの自然、巨大なパノラマです。かく言う私に樋口先生も共鳴、ブルックナー節を番組で口ずさんでいただきました。

ちなみに、私が対談で引用したブルックナー交響曲第8番、ザンクトフロリアン教会での生演奏を、カラヤン、ウィーンフィルの演奏でお楽しみください(・・・ちょっと長すぎますか)。↓

https://www.youtube.com/watch?v=0ytSj6mSgJg

 

 

●<対談>樋口隆一「生誕250年 樋口先生とベートーベンを語る」

コロナ危機に際してドイツのメルケルが5月9日に行った演説で優先順位のトップに上げたのが芸術支援。文化力(Kultur Macht)こそが生きる力。

いまの日本の危機は新型コロナの危機というより、メディアが煽る「コロナ脳」の危機だと思いますが、日本がかつて戦争で被った原爆被害についていえば、当時、科学的知識のなかった日本人の間で、放射能をうつすといって被爆者を差別したそうです。コロナでも同じことが起こっているのではないでしょうか。

さて、今年2020年はベートーヴェンイヤー。生誕250年です。世界各地で多数の記念コンサートのはずだったのですが…、実は、ベートーヴェンの音楽の重要なモチーフは「危機を好機に」。いまの危機は精神の危機でもあります。ベートーヴェンの音楽でこの危機を乗り切りたいもの。

そのベートーヴェンは実は、女と酒に浸りきったセクシーな人物でもありました。

樋口先生とは、本チャンネルでバッハ、ブルックナーと対談してきました。両作曲家とも、その音楽からはいきなり宇宙的な大きな構造が。それに対してベートーヴェン(以下B)は、人間的な苦悩や感情から普遍的な境地に入っていく音楽といえるでしょう。

前回は樋口先生が訳されたノヴァークの「ブルックナー研究」を題材にしましたが、今回は同じく樋口先生の訳書であるエリカ・シューハルト「このくちづけを世界のすべてに」をご紹介しています。

Bはなかなかとらえどころのない多相な人。B研究へのアプローチのしかたも多彩。その中で、シューハルトは社会心理学者、コールに声をかけられて国会議員も、頑張り屋の女性で日本びいき。音楽学者には書けない本。

つまり、単なる音楽学者には扱いきれないのがこのB。Bの心理分析をしている。危機から立ち直った人の伝記の専門家だが、皆、パターンが似通っている。人間は螺旋的な道筋をとって、最後は…。危機を好機に転じて克服していくということとBとは密接な関係。

Bはウィーンデビューの若いころから難聴。難聴の音楽家とはなかなか人には言えない。苦難があった。聴こえないから演奏できない。それが頭の中の音に集中して楽譜の中に素晴らしい繊維を創っていく上で貢献。

Bで最も好きな曲は?と問われると、私、松田は、後記の弦楽四重奏曲、なかでも13番を挙げます。Bの音楽的成熟の頂点は、後期の弦楽四重奏曲と、「第9」と、ミサソレムニスとされます。

私がこの13番を挙げると、「渋い」と言われたりしますが、Bが内省を重ねて独自の境地と喜びの世界に到達したこの曲の深みは、なんともいえない悦楽であります。

では、樋口先生は?やっぱり「この曲はすごい。ちゃんとお客さんを喜ばせようかなという所で泣き所もつかんでいる。その点が大家。」

前回の対談で、樋口先生は、ブルックナーの曲が女性に好かれない理由として、ブルックナーがセクシーではなかったことを挙げていましたが、Bといえば、女性関係が結構、華やかで、セクシーすぎるぐらい。小説が書けるほどだったとのこと。

結局、満たされなかった。貴族の女性が好き、時として人妻。なかなか結ばれない。「不滅の恋人」への手紙。これも人妻。とにかくわがままな人。作曲に集中していない日がない。家庭など持てない人。人格的にも滅茶苦茶。

私(松田)がかつて、ドイツ留学時に住んでいたボン(Bonn)は、Bの生誕地。その郊外を歩いたり、ライン河のほとりを散歩したりしていると、自然とBの曲が浮かんできたことを記憶しています。あのあたりもブドウ畑。

Bのお父さんもアル中で破綻。B自身もアル中で飲みすぎ、最後は肝硬変だった。Bはウィーンであちこち引っ越すが、大抵、ホイリゲの隣に住んだ。ワインが毎日飲める。

女と酒…Bは男の夢を全部やった人。

人間的な家庭的な喜びをあきらめたあと、Bは鬱になり、立ち上がる。そしてバッハに傾倒。ミサ・ソレムニスはバッハの「ロ短調ミサ曲」を乗り越えようとの野心で作曲。

しかし、大変それが難しい曲だったので、「第9」を書いた。大衆向けに。宗教と大衆向けと両方やったのはブルックナーもそうだが、それはBを真似たもの。

「ハイリゲンシュタットの遺書」とは…、Bは遺書を書いたことが一つの治療効果になった。耳が聞こえない本人は死ぬつもりだった。作曲では食べていけない現実。ピアニストとして有名になりかけていたときに耳にきた。人生に悲観。書いていくうちに、やっぱり芸術のために行きたいという気持ちになっていく。

B自身は第9よりもミサ・ソレムニスこそ自分の最高峰と考えていた。指揮者が金輪際やりたくないぐらいの難しい曲。そして、弦楽四重奏曲第13番(やはり!!)と「大フーガ」。ここが急峻な道。

人類のために財産を残そうというのがBの気持ちにあった。それが交響曲、その最後に、人間は皆兄弟にならねばならないのだという当時の理想に到達する。第9の第四楽章で、こういう音ではない(nicht dieser Toene)と歌に入るときのジャン!!ジャン!!という音は、実は、蚤を潰すときの音。一般大衆にわからないなら芸術ではない。

交響曲第3番エロイカは、Bがボンに生まれたことと関係。10代後半でフランス革命。ボンは最先端の知的な大学街であり、フランスに一番近い町。自由平等博愛の精神が入っていた町。そこで青春を過ごして大学にも聴講。Bもボン大学に触れていた。(私、松田は、このボン大学に留学していました。Bは、先輩だった…!  実は、その意味では、カール・マルクスも私の先輩。)

第9…どの政治的立場からも称賛。ヒットラーも、バクーニンも、共産主義者もみんな好き。対立を乗り越えて人類は手を結び合う。専制主義と戦って自由主義が手を結ぶ、まさにこんにちの状況(私、松田はここで、ますます覇権指向を強める中国共産党独裁全体主義に対抗して自由主義圏が連帯していこうとする現在の状況を模して発言したもの)。まさにその通り。

当時のウィーンはヨーロッパの保守派の牙城だった。ナポレオンが攻めてきたのでBはウィーンに。Bは自由主義だったにも関わらず…。

Bがウィーンで有名になった理由は、ウィーンの皇帝の弟がボンの選帝侯、Bはその殿様のお気に入りだったので、ウィーンに向けて万端整えて、貴族たちに手を回してくれた。

これは音楽史に出ていないこと。天才だからといっても、いきなりというわけにはいかない。ケルン・ボン選帝侯はドイツのカトリック世界の中で権威ある殿様だった。(私、松田も、ボンに在住時、なんでこんな田舎町にこんなすごい宮殿がと目を見張ったものですが)ブリュール(Bruehl)というすごい宮殿がボンにある。ちっぽけな街だが、それだけの蓄積があるのがボン。

それで、Bは最初からウィーンの貴族のサークルに入れた。そこで人生を謳歌した。彼自身が素敵だった。かっこよかった。若いころは。女性のほうから次々と…。やっぱり色気がないと。ピアノ曲をプレゼント、プレゼントされた女性たちは天にも上っただろう。

日本人にとってBとは…?本質的にBは真面目な人。苦悩を通じての歓喜を交響曲で表した。そういうものを日本人は本質的に好き。世界で色んな問題が起きているが、世界の人にとって日本人は想定外の人。衛生観念も。政府は迷走しても、国民は…。

最もドイツ人的な心であり、最も日本人的なところがBに共感。気質が違うから戦争などで日本人はいじめられた。敗戦から立ち直っていくというのがB。自分たちがそうだったから、日本人はBが好き。

政治の立場が違っても握手したくなる気持ちにさせてくれるのが音楽。メルケルはコロナに際しての演説で最初に文化力(Kultur Macht)と言った。その信念で彼らは揺れない。そこは日本人が音楽や文化を個人的な楽しみと考えているのとは大違い。

最後に生き残るパワーは芸術から。それがヨーロッパ。いつも戦争をしてきた。自分たちはこれだけパワーがあるという証拠を示すのも芸術だった。武力に行く前に芸術で。それがヨーロッパの生きる知恵。その点、東アジアは危ない。

人類の最後の力は文化力。今のようにガタガタするときこそ。自粛で文化が衰退しないよう。あらゆる苦しみを忘れられ、その後の生きる力になるのが音楽。その大事さがわかるのが危機の時。東日本大震災とBとの結びつき、ドイツ人も感動した。人類に連帯を訴えたのがBだった。

…私たちはコロナ自粛で決して、芸術文化を衰退させてはならないと思います。命が大事なのはそうですが、命を超えるもののために生きているのが人間であり、それがあってこそ、危機を克服できる。ベートーヴェンの音楽は、それを教えてくれているものだと思います。

ここで引用された曲の音源を以下、2つ、紹介します。

ベートーヴェン弦楽四重奏曲第13番(アルバンベルク四重奏団)↓

https://www.youtube.com/watch?v=cSyh0KoB-D4

ベートーヴェン交響曲第9番…やはりフルトヴェングラーですね。↓

https://www.youtube.com/watch?v=lOdvFGpflJY&t=12s

 

 

●<対談>宇山卓栄(著作家)「生誕250周年、ベートーヴェンを語る」

ベートーヴェンをめぐる音楽対談を大のクラシックマニアでもある著作家の宇山卓栄さんといたしました。番組の最初に、私が2月15日(友好音楽祭オケ)と4月4日(METT管弦楽団)にそれぞれチェリストとして出演するオーケストラコンサートとの宣伝と曲の解説もしています。(その後、4月4日のコンサートのほうは、コロナで中止となりました。)

この楽聖が作曲した曲のなかで最も好きな曲は? コリオラン序曲と答えた宇山さんは、後期の弦楽四重奏曲、例えば13番変ロ長調という私の答に少し驚いておられたようです。

自らチェロを奏する者として、さまざまな音楽体験や人生経験、ヨーロッパ本場での生活などを重ねていくと、ベートーヴェンが難聴に苦しむなかで聴こえてきた精神の内なる響きと、内省の末に到達した音楽性の境地が与えてくれる得も言われぬ感動を覚えるようになるものなのであります。

 

●<対談>宇山卓栄「音楽で考える民族と社会---ドイツ音楽 VS フランス音楽」

2019年9月16日のMETT管弦楽団(私がチェロのトップをしているオーケストラ)の演奏会、おかげさまで好評でした。特にチェロパートは上手かった、音楽に乗って、バシッときまっていたとの声も…。私の場合、トップだけが弾く緊張すべき?ソロの箇所もあったのですが、全体として、今回も存分に奏者として音楽を楽しみました。

ベートーヴェン「フィデリオ序曲」のあとのベートーヴェン交響曲第1番は、聴きに来ていただいた宇山卓栄さんによれば、出来が良かったようです。メインはチェロの見せどころの多い、奏者にとっては難曲のドボルザーク交響曲第7番、こちらはやっぱり出ましたBravo!…。楽譜通り完璧に弾くことよりも、感動を与えることのほうが重要、本番が終わったあとは、あまり反省しないことにしています。

今回の演奏について、宇山卓栄さんによる、動画でのコメントが的確です。お褒めいただき恐縮です。こちらの「音楽対談」、テーマとしては、ドイツ音楽とフランス音楽の特徴について論じあっています。

 

●<鼎談>小川榮太郎(文芸評論家)+八幡和郎(歴史家)「鼎談!「フルトヴェングラーとカラヤン~クラシック音楽に未来はあるのか」

 このお二人の論者、クラシック音楽はマニアを超えたオタクです。誰によるどこのオケのいつの演奏か、そんなことがポンポン飛び出してくる八幡先生とは、私もいつも音楽談義を楽しんでおります。小川氏はなんと、「フルトヴェングラーとカラヤン」という音楽評論の大著を出版、この番組では、この本に即して音楽と時代、音楽と政治まで、3人で論じています。