ベルリンの壁崩壊から30年後の「壁」~欧州の壁、東アジアの壁、「東京の壁」…~松田学の論考 | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

ちょうど30年前、日本では平成時代が始まる1989年の11月9日、ベルリンの壁が崩壊した。この年はマルタ会談で東西冷戦が終結した年でもあったが、その後、世界はグローバリゼーションで特徴づけられる新しい時代に入ることになる。この壁崩壊の4年前の3月、私は当時の東ドイツのライプチヒで10日ばかり、ホームステイをしていた。

 

●社会主義体制を強烈に批判していた東ドイツ国民たち@ライプチヒ1985年

ホームステイ先から東ドイツの各都市を見て回ったが、訪れたドレスデンの中央広場のあちこちには、第二次大戦で破壊された建物が瓦礫の山のまま残されていた。当時でも既に戦後40年、西ドイツの街ならとうの昔にきれいに再建されているが、なぜなのか?と、ホームステイ先の奥様に尋ねたところ、「米国に対する憎しみを忘れないためよ」。

本当は国にカネがないのが原因なのに、そんな建前の強がりを言っていた奥様から、ある夜、Rauchen Sie?、タバコを吸いますか?と声をかけられ、ライプチヒのその家のDachzimmer、屋根裏部屋に案内された。そこではタバコの煙が漂うなか、近所の市民たちが十数人ほど集まって何やら談議をしていた。

昼間の職場や学校では捕まってしまうような本音の話を、こうした場で共有しているとのこと。「インテリよりも肉体労働者のほうが賃金が高いって信じられないだろ」…等々、日本人である私に対してたたみかけるように、社会主義がいかにヒドいものであるか、彼ら東ドイツ国民たちの本音がぶつけられた。当時の東独の指導者、ホーネッカー書記長に対する不満まで…。

驚いたのは、彼らが日本で何が流行っているか、どんな商品が売れているかまでよく知っていたことだった。つまり、西ドイツ側から国境を超えてテレビ電波が入り、見ていないフリをしながら西側の状況を東ドイツの一般市民は、相当程度、把握していたのである。

西側を知り、意識も高い東側の人々、もしや、ベルリンの壁がなくなる日も近いかもしれない…。そんな直感がかき消されたのは、翌日、東ドイツ内で愛車を運転していたときだった。ラジオからはどの局も葬送行進曲ばかりが流れてくる。ソ連のチェルネンコ書記長が亡くなったのである。

やはり、東ドイツの市民がいくら自由を求めていても、ソ連の弾圧で無理なのか…。

その後、ゴルバチョフ書記長の登場で、ソ連は新思考外交、ペレストロイカへと大きく転換し、世界が変わることになる。そしてついに、ベルリンの壁が崩壊した。

こうした急激な変化の土台にあったのは、国境を超えた情報共有で高まっていた国民意識だったと思う。いまやSNSの時代、ならば北朝鮮も?中国も…?

 

●潮流の再変化と現代の世界の壁

その後のドイツ統一で、激しい格差のあった東ドイツ地域を飲み込んだ旧西ドイツ側では、東ドイツ国民を「オッシー」(東の野郎ども)と卑下する風潮も生まれるなど、民族統一の道のりは決して平たんなものではなかった。特に、旧東ドイツ再建の財政負担で、しばらくドイツ経済も沈むことになる。

こうした困難な時期を乗り超えて、EUの東方拡大の流れや、ユーロの枠組みを見事に活用しつつ、ドイツは欧州の盟主の地位にまで登りつめることになった。ところが、その後30年を経て、ドイツを伸長させたオープン、グローバルの潮流が逆回転を始めている。

ベルリンの壁は150㎞の長さに及ぶものだったが、いま東欧諸国で生まれているのは、1,000㎞とされる「欧州の壁」。かつて、壁の向こうにいた敵は共産圏だったが、いまや、敵は移民や難民。

かたや米国では、トランプ大統領の一国主義とメキシコ国境の壁、そして昨年からは米中新冷戦の局面に入り、国際経済でのサプライチェーンの米中分断が始まった。令和時代に入った日本が迎えたのは、世界の分断化への潮流である。

ただ、日本の近隣である東アジアの場合は、30年前までの東西冷戦構造のもとでの分断が未だに残っており、これが情勢を複雑化させている。

先日、松田政策研究所のオープンセミナーで西村幸祐氏と宇山卓栄氏の二人の専門家をパネラーに招いて討議した場でも、いま朝鮮半島で起こっている事態が北朝鮮主導による南北統一で民族的アイデンティティを実現しようとする朝鮮半島vs中国という対立構造への移行なのか、韓国の中国接近で、南北分断のまま中国の圏域が拡大するのか、結論は出なかった。

北朝鮮への併合にせよ、中国秩序への包摂にせよ、米韓同盟下での自由主義国としての韓国がなくなるとすれば、東西冷戦による分断のフロントが38度線から対馬海峡にまで迫る可能性がある。日本に迫られることになるのは、この事態に対する万全な備えである。

かつて、朝鮮半島をあきらめ、自由主義陣営の防衛線を日本海から南へと引いていく「アチソンライン」があった。それが再現し、東アジアの「東西冷戦の壁」がそこに移行する最悪の事態を想定しておく必要があろう。

地政学的にみれば、古今東西、世界に存在する「壁」は、大陸国家軸(ランドパワー…中国、ロシアなど)vs海洋国家軸(シーパワー…アングロサクソンなど)という構図である。安倍政権が米国とともに「インド太平洋構想」を掲げているように、日本は、台湾、フィリピン、ベトナム、インドネシア…そしてインドに至るシーパワーの先頭に立つ国としての自覚を持つべきであることも忘れてはならない。

●みえない壁、「東京の壁」

実は、東西冷戦による分断は日本国内にもあるのではないか…。

それが西村幸祐氏の言う「東京の壁」だ。もともと日本は戦前からコミンテルンやソ連からさまざまな工作を受けてきた国であるが、特に戦後は、中国や北朝鮮といった左翼全体主義が、長年にわたる対日工作で大陸から日本に浸透し、いまも日本を分断しているという見方である。

他の自由主義諸国と比較してみると、日本の状況が左に偏向しているのは、多くの識者が指摘するとおりであろう。それは、マスコミも論壇も学界も、そして日教組のもとで教育を受け、巨大メディアの画一的な報道にさらされてきた多くの国民の意識にまで及んでいる。

憲法改正が「戦争をする国になる」に結び付けられてしまい、どの国でも国民が普通に共有する愛国心を説くだけで「右」とされる国。欧州での中道も日本では「右」になる。いまの安倍総理とて国際標準では中道左派といえるかもしれない。

「東京の壁」の東側にいるのはメディアであり、その多くが反日左翼か…?情報技術が急速に進歩するこんにち、特に気をつけるべきなのは、現代の戦争が複雑なハイブリッド戦であることだ。中国や北朝鮮が常に日本に仕掛けている「世論戦」の存在を、頭のどこかで意識しておく必要があろう。

生物が群れをなすとき、その盛衰を決めるのは、群れの間で共有される情報の質だとされる。国の繁栄も国民が共有する情報の質しだいだろう。旧東ドイツを動かしたのも情報であった。

世界が分断される潮流にあるからこそ、壁の崩壊で統一したドイツ民族が、その後、新たな繁栄を築いたように、私たち日本人に問われているのは、国家や民族としてのアイデンティティの大切さを再認識することなのかもしれない。

 

●ご参考 チャンネル桜 19年10月22日放映 松田学のビデオレター↓

「ベルリンの壁崩壊から30年、メディアの造り出した『東京の壁』に騙されるな」