自国通貨建てで国債を発行している限り、財政は破綻しない、インフレにならない範囲であれば国債をどれだけ発行しても問題は起こらない…。
経済停滞を打破する究極の経済理論として、最近ではテレビのニュースでも取り上げられたMMT(現代貨幣理論:Modern Monetary Theory)について、5月19日、私が会長を務める丹羽経済塾の5月度の会合で論じました。以下、ここで私が述べた内容について簡単にまとめてみます。
●リフレ派の限界を突破したMMT
確かに、MMTが主張するように、市中銀行の信用創造が機能不全な状況では、市中マネーは簡単には増えませんから、財政の出番であるという指摘は間違いではありません。
そもそも現在の通貨とは、金利のついた負債、つまり「債務通貨」であり、債務通貨=銀行の信用創造+国債発行(すなわち財政支出)であるという見方には一定の根拠があります。
いま、MMTに対してはリフレ派が猛烈な反論をしていると聞きますが、かつてリフレ派が主張していたように、デフレとは貨幣的現象であって、中央銀行が通貨を増発すれば克服されるとの理論が経済運営の根本原理として必ずしも十分なものでなかったことは、日本経済の現実が示しています。
6年にもわたる日銀の異次元緩和によっても、量的金融緩和の名のもとに国債などの大量の資産購入で著しく増えたのは、日銀の負債であるマネタリーベース、中でも日銀当座預金という帳簿上のお金であって、私たちが手にする市中マネー(マネーストック:銀行預金と現金)ではありません。そこで、2%のインフレ目標の達成は覚束ないという状況が未だに続いています。
貨幣数量方程式として知られるMV=PTでみると、リフレ派は左辺のM(市中マネー)が増えることで右辺のP(物価)が上がると考えるのですが、Mが増えてもV(貨幣の流通速度)が落ちる(実体経済にお金が回らず金融資産が積み上がる)ことになれば、PTの水準は変わりませんし、そもそもMを中央銀行が思い通りには増やせないのは、上述の通り。
むしろ、右辺のT(経済取引の量)が増える(有効需要が増える)ことで左辺のMが増え、Pも上昇していくという考え方のほうが、説得力があるというのが、いま、日米欧で共通に起こっている事態です。
その意味では、財政によって総有効需要を増やすことで、市中銀行が十分に貸し出し(信用創造)を増やそうとしない状況を補完することが、市中マネーを増やしてインフレ目標の達成に資するという考え方のほうに軍配が上がりそうです。
●国債発行で市中マネーが増えるというのは本当なのか?
ただ、MMTが主張するように、国債を増発すれば市中マネーは必ず増える、増税すれば市中マネーは減る、インフレが高進する事態になれば財政を引き締めればよいという考え方が本当に成り立つかどうかは、少し検証が必要です。
そもそも市中マネーとは何かを考えたとき、それを国債も含めた「広義流動性」だと捉えれば、MMTの説は正しいかもしれませんが、インフレとの関係で市中マネーを捉えれば、それは実際に実体経済における取引の決済として使われる通貨、つまり、現金及び要求払預金(普通預金+当座預金)として考えるべきでしょう。
国債増発は、政府の負債を増やす一方で、民間の資産を国債という形で増やします。しかし、資産が増えても、こうした意味での通貨を増やすとは限りません。
次の図は、増発された国債を銀行が政府から購入する場合には市中マネーが直ちに増えるのに対し、国債を銀行以外の投資家等が購入する場合には市中マネーは不変であること、また、増税によって銀行が保有する国債を償還するときには市中マネーは減るものの、銀行以外の投資家等が保有する国債を償還する場合には市中マネーの量は不変であることを示しています。
つまり、国債増減=通貨の増減となるのは、そこに、信用創造機能を有し、日銀に当座預金口座を持つ市中銀行が介在するケースであるということです。
ただ、国債増発で民間の資産が増えれば、民間の借入能力(返済担保能力)が高まりますので、結果として銀行からの融資が増えて、市中マネーが増大するということは十分に考えられます。それは国債増発の間接的な効果いえるでしょう。
いずれにしても、やはり、資本主義のお金を創造しているのは本源的には銀行であって、政府ではないということが示唆されます。
●MMTは国債金利の問題を克服し切れていない
次に、MMTを支持する人々の多くが、現在の通貨が金利のついた債務貨幣であることを問題視しているように見えながらも、MMTそのものは国債にも金利がついているということをあまり重視していないようであることも、少し気になる点です。
インフレが高進しそうな事態に至れば、国債発行を抑制すればよいとMMTは考えていますが、そもそも国債は国債金利の返済で自動的に膨らんでいく、まさに、金利が金利を生む自己増殖の世界にあるということを忘れてはなりません。
プライマリーバランスの達成を財政運営のメルクマールとする考え方とMMTとは相容れないものと思いますが、そもそもプライマリーバランスが達成された状態とは、国債発行残高の増加は国債金利分だけになるという状態です。
その状態が達成されれば、国債利率が名目経済成長率と一致すれば、国債発行残高の対GDP比は一定の水準へと収斂しますが、プライマリーバランスが達成されても、国債利率が名目経済成長率よりも高ければ、国債残高の対GDP比率は拡大していきます。
現在は、日銀による力づくの国債購入で異常に低い水準となっている国債利率も、インフレ目標が達成される暁には、名目成長率よりも高い水準へと戻っていくでしょう。長期金利が成長率よりも低い状態の時期は、かつてのバブルの頃と、現在の異次元緩和ぐらいで、 金利が正常化すれば、金利が成長率よりも高いという通常の状態に戻ることになります。
そのとき、金利は成長率よりも高い、すなわち、少なくともインフレ率よりはずっと高いということになっているわけです。インフレ目標が達成された暁には、国債金利が相当程度の水準まで上昇し、このことが、その分だけ、国債の増発を余儀なくさせます。
そのときまで無制限に国債増発を続けていれば、恐らく、金利が国債発行額を増やすメカニズムが強烈に作用することになり、国債の増加はアンコントローラブル状態になるのではないでしょうか。金融政策であれば金利政策などによってインフレ時の引き締めを機動的に行うことができますが、どうも、財政はそうもいきません。
MMTに対する正統派経済学者たちの反論の多くは、いったん膨らんだ財政支出を元に戻すのは政治的に困難といったものですが、仮に財政運営が賢者によってなされているとしても、金利だけはコントロールできないということについて、MMTはもう少し、思いを馳せてみるべきではないかと思います。
MMTに限らず、積極財政論者の多くが、現在の超低金利状態が、異次元緩和という異例の政策によって導かれている異常な局面であることを忘れ、金利の要因を軽視しているような印象があります。この点は、松田政策研究所の動画チャンネルで私が藤井聡氏に突っ込んだときにも、明快な反論はありませんでした。
あまりに長続きする異常な状態が、人々の脳裏から、現状が異常であるということを消してしまっているのかもしれません。この異常な状態を永続させられればよいのですが、問題は、それが必ずバブルとバブル崩壊をもたらすことになるということにあります。
●MMTの意義~もう一歩進めて政府暗号通貨「松田プラン」を~
では、MMTが間違いなのかといえば、私は決してMMTの意義を否定するものではありません。まさにMMTの立場が金利付債務通貨の問題点を指摘する立場にも通じるものであるのならば、政府の債務を国債という金利付き債務ではなく、金利のつかない負債項目として構成することが至当だということになるのではないでしょうか。
ここで出てくるのが政府通貨の議論です。しかし、これを政府紙幣や政府貨幣などの従来型のお金の概念で考えるのであっては、では、それがなぜ、これまで実現できなかったのか、その問題点を克服することは容易でなくなります。
ここで登場するのが、「松田プラン」の政府暗号通貨です。政府通貨を構築するのであれば、これを様々なスマートコントラクトを実装した利便性の高い支払い手段として、来たるトークンエコノミーと結びつく形で組み立てるべきでしょう。「松田プラン」であれば、インフレ高進の問題も財政規律の問題も生じません。
「松田プラン」の詳細の解説は別の場に譲りますが、MMTは、次なる財政運営の仕組みの構築へと橋渡しする過渡的な議論として、これが議論されること自体に次のステップに向けた大きな意味があると考えています。