「財務省」で失われた「大蔵省」という名の国家意識と財務省解体論~松田学の論考~ | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。


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福田前財務事務次官の問題へのコメントで、私は4月後半は、テレビなどに出まくっておりましたが、問題の実態は本当にセクハラだったのか、関係者の間には別の見方が牢固としてあるようです。ただ、事の真相はさておき、どんな理由があったにせよ、録音されていたあの言葉を福田氏が実際に口に出したと広く認識されてしまったことは事実です。

結果として、少なくとも一国の財務次官たるものとして備えるべき品性への国民の信頼が地に堕ちてしまったのは間違いないでしょう。

今は「財務事務次官」ですが、かつては「大蔵事務次官」といえば、日本を代表する何人かの名士に数えられた肩書きの一つでした。20011月、橋本内閣時に決められた省庁再編の実施と同時に、大蔵省の名称は財務省に変更されました。

私は現在の財務省の何が本当の問題かといえば、名称が財務省になったにも関わらず、実態は「経理」省であって、真の「財務」省に脱皮していないことであると、色々な場で発言しております。ただ、私はこの省名変更に、当時、決して賛成ではありませんでした。

財務省問題について考える上でのもう一つの論点は、この省名を巡る問題だと思います。

●「大蔵省」は千四百年の伝統を誇る唯一の大和言葉の官庁名

90年代後半、日本の政界では「大蔵省問題」が大きく取り上げられていました。金融不祥事、接待漬けや「ノーパンしゃぶしゃぶ」に象徴された腐敗、金融機関の不良債権問題や護送船団方式のもとでの癒着問題…等々です。そして、財政金融分離が決められました。

つまり、政府の権力の中核にある財政(予算編成権)と、資本主義経済の中核にある金融の両方を、大蔵省という一官庁が握ることが様々な弊害をもたらしているとして、98年には、ここから金融を切り離して金融監督庁(のちの金融庁)が設立されました。背景には、政財界にもメディアにも、国家権力の中枢に君臨し続けてきた大蔵省に対する感情的な反発や嫉妬もあったのでしょう。

さらに、この際、大蔵省にお灸をすえるためか、この「古臭く権威主義的な」役所名を財務省に改名することまで決められました。「たかが名前、されど名前」と、一部に省名変更に反対する意見も出ていましたが、それは大勢とはならず、省名はすんなりと変えられました。そのときに私は、日本人はかくも国家意識を欠いた国民なのかと、大変不思議に思いました。

歴史や伝統を尊重する国柄であれば、もっと多くの反対意見が国民から出てもおかしくないのではないか。確かに、当時の大蔵官僚はその名に値しない腐敗を呈していたかもしれないが、この国家として大事な資産を、たかが時の腐敗官僚ごときのために失うことを、よく国民が許したものだ…と。

大蔵省という名は、日本国家において雄略天皇のころ以来、1,400年の長きにわたり現存し続けてきた役所名であり、しかも、中国から輸入された漢語ではなく、「おおくら」という日本古来の大和(やまと)言葉を冠する唯一の役所名でありました。


上代、朝廷の官物を納めた三つの蔵(三蔵、みつのくら/さんぞう)として、斎蔵(いみくら)、内蔵(うちくら)、大蔵(おおくら)が、雄略天皇のときに創建され、蘇我氏が管理を任せられたと伝えられています。斎蔵は、神宝や祭器を収める蔵、内蔵は、朝鮮半島諸国からの貢納物を収める蔵、そして大蔵は、国内からの貢納物を納める蔵だったとされます。

701年の大宝律令の制定後、日本では律令中央官制が敷かれ、天皇の下に、朝廷の祭祀を担当する神祇官と国政を統括する太政官が置かれ、太政官の下に八省の行政機構が置かれました。それが、左弁官が管轄する中務(なかつかさ)省、式部省、治部省、民部省、右弁官が管轄する兵部省、刑部省、大蔵省、宮内省の各省でした。

この中で財宝、出納、物価、度量衡などを掌ったのが大蔵省ですが、これら各省の中で他に大和言葉を冠するのは「なかつかさ」省だけであり、現在はありません。現在も残っている省名としては「宮内」省がありますが、訓読み(大和言葉で読む読み方)であれば「くない」省ではなく、「みやうち」省でしょう。

●米国もドイツも建国の由来を尊重した名称

どの国も、官庁の名称は、自国の歴史や国の成り立ちを重視したものになっています。代表的なのが米国の国務省です。外交を扱う官庁なのに、なぜ米国は外務省という名前にしないのか、それには理由があります。

建国時の米国は、英国から独立した13の州で構成された国で、州(State)の間の調整する役所として設立されたのが国務省(Department of State)でした。モンロー主義という言葉が象徴するように、米国は長らく外交ということをしないことを国是としてきた国でしたが、孤立主義を転換して国務省が外交を所管するようになっても、建国時の名称をそのまま残しているものです。

ドイツの外務省もそうです。通常、ドイツの各省は、大蔵省(Ministerium fuer Finanzen)「ミニステリウム・フュア・フィナンツェン」がそうであるように、Ministerium(英語ではMinistry、省)という言葉が使用されますが、外務省だけは、「アウス・ヴェルティーゲス・アムト」(Auswaertiges Amt)と、アムト(Amt、役所)という、「省」よりも少し軽量な名称になっています。これは、ドイツ建国の基本精神を体現するとされるワイマール共和国での外務省の名称をそのまま継承したものだとされています。

日本の財務省の英語名は、Ministry of Financeで、よくMOF(モフ)と呼ばれますが、これは大蔵省時代から変わっておりません。海外の大蔵省の日本語訳については、日本では、自国も含め、世界各国のおカネを扱う役所、例えば英国のように予算編成権を持つ財政中心の役所であれば「大蔵省」と訳し、米国のように予算編成権を持たない金融中心の役所であれば「財務省」と訳する使い分けをしていました。

しかし、大蔵省は財政金融分離で財政中心の役所になりましたが、本来は金融中心の役所名である財務省と名付けられました。これは、論理的にも従来の用法から見ても間違いです。伝統どころか、正しい日本語の使い方も尊重されていません。

そこまでして、あたかも米国「財務省」の支店のような名前に変えたのは、まさに当時、日本の金融市場支配をもくろみ、大蔵省解体にターゲットを当てていたウォール街の思惑通りだったのか…。その真相はわかりませんか、この面の意識も日本は薄いようです。

当時、名称変更で大蔵省も普通の役所になったと言う職員も私の周囲におりましたが、言霊(ことだま)を大切にするのが日本人の伝統です。これで役所の品格まで下がったとは考えたくありません。

「強すぎるから、けしからん」論も考えものです。

長い民主主義の伝統を持つ英国では、大蔵省には特別の地位が与えられてきました。大蔵大臣は第二大蔵卿であって、第一大蔵卿は総理大臣。バジェット(budget)という英語は政府予算のことを意味しますが、その由来は、大蔵大臣が決定した予算を英国議会で発表する際に帯同するカバンのことだそうです。大蔵大臣がそこから取り出した予算や税制を議会で発表したら、それで決まり。

かつては英国でも、政治家による選挙区への利益誘導が絶えず、あえて強い大蔵省とすることで、大蔵省が言うから仕方ない、という言い訳を政治家が選挙民にできるようにしたとも言われます。

日本の大蔵省も悪役でした。予算を切り、税を取る、国民から嫌われる仕事をする役所を強い官庁として君臨させるというのは、民主主義の知恵の一つだと言われたものです。

切った貼ったの査定官庁としてそれなりに悪役を果たすために、大蔵省ではしたたかでバイタリティーのある人材が重視されることになりがちです。それも大事ですが、真に悪役を果たせるために必要なのは、国民からの信頼と尊敬だと思います。エリートにはそれなりの品格が求められます。福田前次官は極めて優秀な選りすぐりの人材でしたが、財務省が国の「公器」である限り、単に目先の仕事で優秀かどうかだけでなく、一国の財務次官にふさわしい品性を備えた人格をトップに選ぶ責務が財務省にはあるのではないでしょうか。

●財務省解体論?

福田次官問題のあとは、財務省ってどんな所?という趣旨の取材を受けることが多くなりました。かつて90年代後半の「大蔵省問題」でも、財政金融分離論はかなりの誤解に基づいた面がありました。金融を基盤にしてこそ、財政があります。「財政」省とは「金融」省であるべきです。

しかし、金融が切り離され、そうした理想形の大蔵省は解体されました。

今回も、スキャンダルの政治への波及を恐れてか、問題は官僚機構にありと、与党からは、2001年に続く第二次の省庁再編、省庁再々編をすべきだという論も出ているようです。

確かに、第一次再編で肥大化した厚生労働省(厚生省+労働省)や総務省(自治省+郵政省+総務庁)や国土交通省(建設省+運輸省+国土庁+北海道開発庁)などをみると、一人の大臣があまりに多くを所管する結果、大臣の目が各分野に十分に行き届かない、それぞれの行政分野で国民と大臣との距離が離れてしまったなど、色々な問題がありそうです。

では、財務省については、お灸をすえて、予算編成権と国税賦課徴収権という、政治家も恐れる強権を奪うということをすると、どうなるでしょうか。特に、国税庁を財務省から分離して年金徴収と一体化した歳入庁を内閣府に設けるべきだという議論は何度も浮上します。チャンネル桜の討論番組でも、高橋洋一さんが主張していました。

これに対してその番組で私は、そうした財務省からの権限剥奪論議を全部聞いていると、財務省そのものがなくなってしまうと申し上げました。


もし、経理ではない「財務」省にするなら、予算と債権債務(バランスシート)の管理は一体であるべきです。よく出てくるのが、主計局を内閣予算局に移すべき論、ですが、それなら債権債務を扱う理財局も一緒に内閣府に、となります。理財局は、予算と一体で編成されている「第二の予算」の財政投融資や、国債の発行管理、国庫、そして森友問題の舞台となった国有財産も財務省から切り離せ論が出ていますが、これも所管しています。

歳入庁も、主税局が携わる税制の企画立案と一体であるべきですし、税制は予算と一体です。主税局も内閣府に移せということになってしまいます。税と社会保険料は根本的に設計思想が異なる制度ですし、「財務」の論理で考えれば、むしろ財務省が年金を取り込んだほうが、本格的な財務ができるように思います。

いずれにしても、こうしてみていくと結果として何が起こるかといえば、財務省の機能がほとんど内閣府に移り、内閣府に今の財務省がそのまま移るだけのことになります。

経済討論のあと、同じくパネラーだった渡邉哲也さんは飲みながら、それでも、たばこと塩と関税は財務省に残りますよ、と私におっしゃっていましたが、それだけなら、経済産業省あたりに吸収したほうが良いでしょう。

国の組織を論ずるのであれば、その時々の感情論を離れた、中長期的な視点からの冷静な議論が必要です。

 

松田学のビデオレター、第85回は「日本が北朝鮮に求める原則、『大蔵省』という名称に在った重み」チャンネル桜51日放映。

 こちら↓をご覧ください。

 

 

 

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