もりかけ騒動と財務省改革を考える視点~松田学の論考~ | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。


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この法案は中身がスカスカですね…。私のこの質問を遮るように答弁に立った安倍総理は、成長戦略の最大の柱、国家戦略特区法案の意義について滔々とまくしたてました。加計学園問題が報道されるたびに思い出すのは、衆院内閣委員会でのこの一幕です

●加計問題でメディアや野党は何を追及してきたのか

世界的に民主主義の危機が叫ばれていますが、エリートと大衆との間で社会の分断が欧米ほどには深刻化していない日本の場合、問題は、メディアが創る世論かもしれません。

新聞発行部数もワイドショー番組の視聴率も他国を抜きんでている日本では、政局を決める最大の力はマスコミ報道です。興味本位の印象操作の報道にもここぞとばかり飛びつく野党、その中で物事の本質が見えないまま、報道での印象で政党選択をするしかないのが日本の国民。特に加計問題は、国家戦略特区制度の趣旨が国民に知られないまま、世論が空回りしてきたように思えてなりません。

前述の国会でのやり取りは、もともとこの制度には規制改革の中身がほとんどなく、政策決定過程に新しい手続きを持ち込んだことが中身だったことが背景にあります。それは、各省庁や既得権益でガチガチの岩盤規制を崩すために、まさに総理自らが改革の当事者となって先頭に立つという手続きでした。

「私自身がドリルの刃になって…」、総理のこの言葉に世間は拍手を送り、日本経済への期待は海外からも高まりました。このことを多くの論者は忘れているようです。

加計問題で言われた疑惑のほとんどは、実際にそれがあったとしても、この制度の趣旨を体現した行為だったと考えてもおかしくないものばかりなのです。どうも、権力者が親しくしている個別の事業者を権力者が優遇したことが悪いということなのでしょうが、この法制度は、極論すれば、総理が個別の事業者を優遇するプロセスを政府の意思決定過程に組み込むことを制度化した制度です。

柳瀬氏が「首相案件」だと実際に言ったかどうか知りませんが、この制度のもとで、加計はまさに総理案件になるべきものですし、そう言うべきものです。しかも、そもそもこの制度は、特定の業者の特定の事業に着目して、国が業者や自治体と一体となって、その実現のためにはどうすべきかをテーラーメイドで考えるという建付けの制度です。

規制緩和を公平で普遍的な上から目線で考えるよりも、個別事業の視点で進めたほうが鋭いドリルの刃になる、それが法の設計思想でした。国権の最高機関が議決した法制度を遵守することを批判する方々は、日本が法治国家たることを否定するのでしょうか。

総理のリーダーシップの強化。これは、多くの改革派の人々が唱えていたことでした。官僚組織のフィルターを通さずに総理大臣自らが直接、実態を把握しなければ、本制度のもとでそれは実現できないでしょう。総理秘書官が関係者に何度も会うのは、むしろ必要なことだということになります。

特に、自治体の熱意はこの特区制度の重要な要素です。首長を始め自治体関係者がどれだけ前面に立って政府に働きかけをしているかということを、内閣府の担当組織はこの特区認定の重要な判断基準の一つとしています。これは加計に限ったことではありません。

この総理主導ということを法制化した本制度のもとでも、総理のツルの一声で物事が決まるわけではありません。内閣府組織や民間有識者が構成する委員会などが担うデュープロセスが定められています。もし、そこに「忖度」があったとしても、問われるべきは、その内容の合理性です。肝心なのは政策決定プロセスです。それは公開されており、国民は政策としての合理性をチェックできます。

理事長が総理の友人であることがいけないことなのなら、人脈の広い人は誰も総理になれなくなるでしょう。加計問題が出てから、規制改革の推進役のはずの国家戦略特区制度全体が足踏みしてしまいました。これは国損です。

●論ずべきは国家戦略特区の代案があるのかどうか

加計問題を疑惑として追及するのであれば、論理的には、まず、この法制度そのものを否定する必要があるはずです。法制度を遵守することが悪だという論法は成り立ちません。法案成立時は多くの人々が気付かなかった問題が、実際に法制度を運用してみると色々と出てきた、ここでこの国家戦略特区制度を見直すことが必要だ、という議論を、これに代わる規制改革推進手法の代案とともに提起する。

そうしてこその国会でしょう。ちなみに私は、本法案審議の当時、経済政策に政府の直接介入が増えていく傾向が本当に良いのか、きちんと議論をすべきだという論点を、国会の様々な審議の場で提起しておりました。

●森友問題と公文書管理

かたや、今、世間に対しあまりに話題を提供し過ぎなのが天下の財務省です。森友文書問題に続き、前次官のセクハラ?疑惑と、信用失墜が続いています。

「もり」の問題については、その本質は特に関西では誰もが知るような、日本のタブーとされる根の深い問題にあり、近畿財務局が悩まされ続けてきたのはその点にあると、すでに多くの人々が認識しているようです。少なくとも、安倍総理や明恵夫人に関する「忖度」の問題ではありません。財務局にとっては何としても手放したい土地、国損を回避するためにも二束三文でも売れればオンの字、いわば損切りのようなもので、あの価格でもよく売れたものだと多くの民間の実務者の方々がおっしゃっています。

財務省の問題は文書の改ざんにありましたが、その基本は、公文書管理システムの不十分さにあり、決して「強すぎる官邸」ではないと思います。どの政権のもとであっても、国会審議を自らの部局のことで止めてはならない、国政に迷惑をかけてはならないと過剰に防衛しようとする幹部がいれば、同じような事件は起こり得たでしょうし、他の官庁でもあり得たことです。

国政レベルで考えるべき大事な論点は、公文書ルールの構築です。ただ、例えば米国並みのシステムを組み立てるだけでも、相当な人員と組織の整備が必要でしょう。かつて私が衆議院議員として視察に訪れたエストニア共和国では、どの文書をどのように保存すべきかを指定する権限は文書を作成した各省庁にはなく、すべて公文書館側が指定し、できるだけ多くの文書をアーカイブ化し、国民の閲覧に供しています。

同国では公文書管理を国家存立の大事な基盤と位置付けていますが、人口規模は日本の100分の1であるにも関わらず、公文書館の職員数は数百名と、当時、数十名だった日本とは雲泥の差でした。

透明かつ公正な行政には、それなりのコストがかかります。日本がG5先進国の中で人口当たり公務員数が最も少ないことはあまり知られていませんが、少ない人数で個人のがんばりで回ってきた日本の中央官庁の行政のあり方を時代にふさわしいシステマティックなものに転換していくためには、小さな政府、人員削減とばかり言っていられないという、かなり本質的な問題をきちんと考えなければなりません。

●真の「財務」省への改革

セクハラ疑惑については、真実はセクハラではなくてハニートラップだったとみている人々も多いようですが、それはさておき、財務省全体として失墜した信頼を回復する一つの道として私が提起しているのが、その省名にふさわしい真の「財務」省への脱皮です。

私が出演した某経済討論番組の全体のトーンは「ウソつき財務省」。財政の実態を悪く見せて、世論や政治を消費増税へと誘導しているとして、積極財政の立場に立つ論者たちが財務省を厳しく糾弾していました。

確かに、経済学の国際標準の議論では、1,000兆円を超える国の債務も、政府と日銀のバランスシートを連結させた「統合政府」ベースでの政府の純債務でみれば、現状で100兆円あまりに縮小している、という議論になります。


ただ、それを言うのなら、財務省の問題とは、01年に大蔵省の名が変更された後も、未だに真の「財務」省へと脱皮していないことにあるのではないでしょうか。

今も財務省の実態は「財務」というよりも「経理省」と言ったほうがよいでしょう。どの会社でも経理部は収入と支出の均衡を主張する立場ですし、そういう部局はどの組織にも必要です。大事なのは、その上に立って社長が決断を下すこと。

もし、財務省の政策に問題があったなら、問われるべきはむしろ、経理部よりも上位に立って政府の「経営」に当たるべき政治の側の力量のほうでしょう。2014年に安倍総理は消費増税の延期で社長としての役割を果たしましたが、そのためには衆議院を解散するしかなかったところに、未だに日本の政治の力が弱いことが示されていました。

もし財務省を本気で変えたいなら、役所の設計を「経理」から、バランスシートに基づいて資産負債戦略を遂行する「財務」のプロへと再設計すべきでしょう。今の財務省には、とにかく借金はいけないと主張する立場しか与えられていません。

これに対し、財務とはバランスシートであり、今は「ミソもクソも一緒」?に60年償還ルールを建設国債と赤字国債の両方に適用していますが、資産の裏付けのない赤字国債と資産の裏付けのある建設国債とは明確に区分した財政運営をするのが「財務」です。建設国債も公共事業などだけでなく、将来世代に有益な資産を形成するための投資国債へと対象を広げ、そこに資産評価を導入し、資産の価値や性格に応じて債務を組み立てることで、メリハリある財政運営が実現することになります。

東日本大震災の復興財源は、財務省が経理の立場から、ここぞとばかり「助け合い」を大義に復興増税へと走りましたが、災害復興は国債で賄うのが世界の常識です。「財務」の立場で考えれば、百年後の東北を建設するために今後百年にわたり、それによる受益を受ける各世代が少しずつ負担を分かち合う百年償還国債という発想もあり得たでしょう。当時、私はそのような主張をしておりました。

また、私は「財務」の発想のもと、国の一般会計を投資勘定と経常勘定と社会保障勘定に分類提示し、投資勘定では積極財政を、経常勘定ではムダの削減を、社会保障勘定では世代間の公平の度合いを国民に「見える化」する財政運営をすべきだと提唱してきました。

もちろん、このブログの他の記事でも触れたように。財務省という省名が良いとは思いません。かつての「大蔵省」は1,400年の伝統を誇る唯一の大和言葉の官庁名でした。いとも簡単に改名を許した日本人の国家意識の欠如が問われてもおかしくないと思います。

しかし、「覆水盆に返らず」、もう元に戻らないのなら、この際、「財務」の名にふさわしい官庁へと組織の設計思想を変更してはどうでしょうか。財務官僚たちの信念がそのまま国益になるような仕組みを組み立てる改革にこそ答があります。人間は一つの仕組みのもとで、それに適合した行動を合理的に選択する存在です。

 少なくとも、いまの財務省は消費税率の引上げにほとんどのエネルギーを注ぎ込むことで、やや「思考停止」の体育会系的な組織になっているきらいがあります。もう少し柔軟な発想で色々な選択肢を提唱していく「財務」のプロになれば、そのほうが結果として「経理省」がめざす財政再建の近道にもなるかもしれません。

それが、私が提唱する「松田プラン」であり、日銀保有国債の永久国債化の出口のところで、これを「政府暗号通貨」で償還する仕組みに味噌があります。これについては、次回の本ブログ記事で、「仮想通貨」の仕組みなどにも触れながら論じてみたいと思います。


松田学のビデオレター、第86回は「そもそもが総理案件の国家戦略特区、永久国債オペレーションの償還方法」チャンネル桜515日放映。

 こちら↓をご覧ください。

 

 

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