二大政党制か、AIがすべてを決める賢人政治か~政治参加は人間固有の価値~松田まなぶの論考
10月の総選挙でも見られた政党政治の行き詰まり。有権者にとって魅力的な対立軸のもとにダイナミックな選択が行われなければ、民主主義は衰退していきます。これまで対立軸とされてきた「保守対リベラル革新」を超える政治の軸は何なのでしょうか。恐らく、ポスト安倍政権に向けて、いずれ日本の政界に問われる本質的な課題だと思います。
●政党政治の類型
では、政党はその担い手となれるのか。以下、一つの思考実験として、考えられる政党政治の類型を4つばかり、[第1図]に挙げてみました。
〔第1図〕
[与党一党体制]…まず、かつての日本で見られた自民党一党体制です。一党体制といっても、多様な党内派閥の競争によって時代のニーズや民意が反映される仕組みです。政策は官僚機構がバックアップします。党内各派閥の間で政権交代が起こります。
本来は各政党が掲げるべき理念が有権者にとって魅力的でないものであるならば、そして、自民党が最大多数の最大幸福を実現してくれるということであれば、さらに、正しい政策は自ずと収斂してくるものなのだと考えれば、有権者は自民党一党体制にお任せということになってしまうかもしれません。
[二大政党制]…次に、日本の現行小選挙区制が目指す二大政党制です。権力は腐敗する、政治に緊張感をもたらすためにも、有権者による政権選択選挙によって政党間での政権交代が起こることを目指している仕組みです。
ただし、これが本当に機能するには、[第2図]の3つの前提が満たされる必要があるります。
[第2図]
第一に、理念を異にする社会層の存在です。
しかし、そもそも日本人には「あれかこれか」という二項対立ではなく、多神教が象徴するような「あれもこれも」という国民性があります。米国のように共和党か民主党かで国民が分かれている国とは異なり、社会全体が理念によって二つの大きな層に分かれること自体が日本に馴染むのかという根本的な問題がありそうです。
第二に、各党を支えるシンクタンク機能であり、官僚機構に対抗できる政策立案力や情報ネットワークです。米国に多数あるインスティテュートのような機関が想定されます。
しかし、日本社会の実態は、民間がその資金基盤を支えている米国社会とは、かなり状況を異にしています。こうした所になかなか寄付的な資金が集まりません。
第三に、政界に入る人材のキャリアパス保証システムの存在です。
上記のようなインスティテュートが受け皿となる形での、行ったり来たりのリボルビングドアシステムが想定されます。政治家候補者は、落選中も当選までの間、自らのプロフェッショナルとしての分野の活動で政策に磨きをかけることになります。これは退官後の官僚の人材活用にも必要な仕組みでしょう。
しかし、日本は労働市場が硬直的で、組織や分野を超えた人材の流動性が低く、実現への壁は厚そうです。
結局、英国を模範に小選挙区二大政党政治を形ばかり取り入れても、それを機能させるインフラが日本ではそもそも未整備なことが、政党政治の機能不全につながっているといえます。
[公約党方式]…国民の大多数が賛同できる優れたマニフェストを「基本公約」として掲げ、衆議院では比例区に候補者を擁立し、小選挙区では「基本公約」への賛否を各候補者に問い、賛同する候補者がいない選挙区にのみ候補者を擁立するという考え方です。選挙後は「基本公約」賛同議員による超党派実力内閣を組閣することを想定しています。
この案は筆者の全くの独創ではありますが、従来の政党の枠を超えて、国民が求める政策を中心に政治が営まれることにはなるかもしれません。
●AIが社会を運営し政治を担う時代が到来する?
以上、いずれにしても、政党が国民を魅了する新たなテーマや軸を創出していかなければ、有権者の政治に対する白けや絶望、無関心の先に、民主主義そのものが崩壊していく危険性があります。
ここで出てくるのが、先の[第1図]の最後に掲げた「AI(人口頭脳)による賢人?政治」です。科学技術の驚異的な速度の進歩によって、私たちが想像もしない社会が、恐らく、現在生きているほとんどの人々が生存している間に訪れるとされます。
そもそもSingularity(技術的特異点)とは、AIの能力拡大がある点を超えると、AI自体が次世代のAIを自ら作り出し、発展速度が幾何級数的に高まり、人間の能力をはるかに凌駕する状態に至ることを意味します。
人間の判断や創造の営みは、頭脳にメモリとして刻み込まれたパターン認識を組み合わせることでなされていますが、AIは人間では到底及ばない膨大なメモリを蓄積することになります。例えば金融市場での証券投資などの判断は、パターン認識を基本にしているため、AIに適合する分野だとされています。
AIは人間が持つメモリも全てスキャンし、一つの法則を見出す「ひらめき」能力によって、無数の仮説を考え出し、逐一検証する存在になるでしょう。
AIに限らず、科学技術の能力の飛躍的向上に、人間のマネージメント能力は追いつかないという仮説があります。現に、地球環境問題や異常気象、あるいは生態系破壊などの問題が示すように、科学技術の発展を人類が適切にマネージできなかった結果として、人類社会は果たして存続可能かというテーマが私たちに突き付けられるに至っています。
むしろ、マネージメントの部分を人間から隔離し、欲望もエゴも持たない人工知能に委ねることが、人類が生き残る道だという考え方です。
[第3図]
まずはAIを民主主義政治の補完能力として活用することになります。AIは事実関係の正確な伝達と、それに基づく民意の正確な把握をするでしょう。そして各種政策の選択肢の提供と、それがもたらす中長期の結果予測を出す。その上で、有権者間の利益相反に対する調整案を提示することになります。
当面は人間がAIを用いてマネージメントや意思決定をする時代が続きますが、いずれAIの自己学習機能を通じて、あらゆる分野で人間とAIがペアで仕事をする時代が来るでしょう。そしてその先に、人間の関与がほとんど不要な状態が訪れ、AIは人間の補完からマネージメント(意思決定)へと役割を進化させていくかもしれません。
人間が政治や経済、防災などの重要分野の全てをAIの手に委ねる時代です。
[第4図]
そこでは、人間の関与を許さないことで人間の最大幸福が実現するとされます。古代から、人々が政治を意識することのない「鼓腹撃壌」を実現することが、政治が目指す理想だとされてきたましが、AI政治のもとでまさにそれが実現することになります。
人間が決めたことよりも、AIが決めたことのほうが、人々は納得して素直に従うでしょう。神様のご託宣のようなものです。間違いと失敗と腐敗と悪を免れない人間による政治から人類は解放されることになります。
●未来社会に向けて、有為な政治の構築を!
筆者が属する某研究会で、ある論者からこうした考え方が示されたとき、賛否両論が出ました。賛同者は、政治は余計なことをしてくれなければよいと考える傾向の強いビジネス界の有識者たちに多かったようです。
ただ、筆者のように政治を経験した人間には、簡単に受け容れられる考え方ではありません。
ウィンストン・チャーチルが喝破したように、「民主主義は最悪の政治といえる。これまで試みられてきた、民主主義以外の全ての 政治体制を除けばだが。」です。
たとえ現在の政治が絶望的だとしても、たとえ理想は実現しなくても、永遠の理想を求め、国や社会の課題解決に参加する営みそれ自体を大事にする。そこに人間が生きる価値と尊厳を求め続ける。
AI政治から連想されるのは一種の共産主義社会ですが、そこまでいかなくても、最大多数の最大幸福について絶対的に正しい真理が存するという前提を置いているという意味で、「保守対リベラル革新」という対立軸からみれば、それはリベラル革新につながる立場であるかもしれません。
これに対し、人間としての固有の特性と領域を守り抜こうとする筆者は、保守ということかもしれません。
AIだけではありません。科学技術の飛躍的発展により、現在も毎年延びているヒトの寿命も、今後、飛躍的に延びていきます。「人生百年時代」はいずれ、「百年健康元気時代」になり、希望すればヒトは150歳まで生きる、あるいは死にたくても死ねない時代が、そう遠くない将来に実現するとされています。
[第5図]
ますます長くなった元気な人生を、どう生き甲斐をもって生きていくかは、人類社会の重大なテーマとなっていくでしょう。それを決めるのは決してAIではなく、人間であってほしいと思います。
IoT、ビッグデータ、AI、フィンテックといった言葉が飛び交っていますが、私たちは今、科学技術の進歩による人類社会の急激な変動の入口の時代を生きています。
その中にあって、人々が自ら国家や社会に参画し、自らの運命を自ら選択していく営みを人間固有の価値として保持しながら、健全な民主主義政治を確保していく。そのためには、政治自らが人類の未来への的確な予測に基づいて人々に新たな価値創造の道しるべを選択肢として提示できるだけの有為性を構築していかねばならないのではないと思います。
ポスト安倍政治を論じるのは時期尚早ですが、少なくとも、日本の各政党には、未来に向けて国民を魅了できるだけの政策軸を打ち立てられるかどうかが、いずれ問われてくることだけは間違いありません。
松田まなぶのビデオレター、第75回は「政権交代が可能な政治インフラと政治参加の価値」
チャンネル桜12月5日放映。