AI革命で経済の未来はどうなる?~人々が働かなくて良い社会とヘリコプターマネー~松田まなぶの論考 | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

AI革命で経済の未来はどうなる?~人々が働かなくて良い社会とヘリコプターマネー~松田まなぶの論考

 

民主主義の危機が叫ばれていますが、いまの政党政治に対する絶望が広がれば広がるほど、人口頭脳が政治のすべてを決める「AI賢人政治」を理想郷とする議論が受け容れられやすくなる危険性があります。

AIが人間の能力を上回るシンギュラリティー(技術的特異点)のさらなる先においては、政治だけでなく、およそ生産活動のほとんどすべてをAIが担う未来社会が到来するという説が唱えられています。そのとき、人間はいったい何をする存在になるのか。

今回は、経済の面について、AI革命がもたらす人類の未来図について考えてみました。

 

●ベーシックインカムと人格を持った「AI人」?

 最近、ベーシックインカム(以下「BI」と表記)が、よく話題になります。総選挙では、希望の党も低所得者対策として公約に盛り込んでいました。BIとは、政府がすべての国民に対して最低限の生活を送るのに必要とされる額の現金を無条件で定期的に支給することを意味します。

ただ、これは本来、高度なAI化によって多くの国民の働き場が産業社会から失われた社会において意味を持ってくる考え方です。

 ちなみに、2016年にはスイスで、ベーシックインカム導入に関する国民投票が行われ、約8割の反対によって否決されました。その理由は、①人間が怠慢になってしまう、②国家財政が破綻する、③BIを期待した外国人で国が溢れてしまうというものだったとされています。フィンランドでは、一部の失業者に対し、期限限定で実験的に試行されているようです。

AI楽観論者の中には、将来、AIには人格が与えられると主張する方がいます。

法律上の人格としては、現在、自然人と法人がありますが、加えてAIを「AI人」(アイ人?)という人格にして、権利と義務を与えると言うわけです。生産力を高めたAIは所得を得て納税の義務も負う。それをベーシックインカムに回すという考え方です。

そこで現われるのが、働かなくても生きていける新たな人間像、社会像です。古代ギリシャで、ポリスの市民たちは働かず、労働は奴隷が担っていたようなものかもしれません。

しかし、「人格」であれば権利も付与されます。働かない人間に対して多額の納付金を年貢のように収めるAIが人間に対して反乱することにならないでしょうか。やはり、人格を与えて納税、ということには無理があります。

これはAIが無主物として自然人や法人からも独立した存在であることを前提にしていますが、果たしてそのような社会設計でいいのか、AIを人間の意思とは独立した独自の意思を持った存在にしていいのかという基本的な問題もあります。夢物語だと考えたいところです。

そうではなく、自然人か法人の所有物としてのAIだと考えるのであれば、AIを手段として活用し、「経営」をするのは法人であり、快適で便利な生活をするのは自然人です。

だとすれば、AIは固定資産だということになり、AIに税金を納めさせるというのは、法人などが所有する固定資産や、それで利益をあげた法人や自然人に課税するのと同じことになります。

ならば、AIから上がる税収に人々が依存する度合いが高ければ高いほど、AIの生産成果に対する課税は重くなります。その際、例えば中国が税率を日本よりも相当低くすれば、日本の企業は中国との国際競争に勝てなくなるでしょう。

いまでも、法人税の実効税率引下げの国際競争が起こっています。トランプも史上最大の減税を決めました。タックスヘイブンならぬ「AIヘイブン」ができるかもしれません。いずれにしても、所得分配が大きい国の企業ほど、競争力は弱まってしまいます。

[第1図]


 

●膨大な需給ギャップとヘリコプターマネー

結局、IT化、AI化とは、格差の拡大です。米国でトランプを支持した層の真の敵は外国産業ではなく、米国で進展する技術革新だったことが判明しています。技術革新による機械化で失業が発生する問題は、英国のラッダイド運動(産業革命時に起こった職人や労働者による機械打ち壊し運動)以来、古今東西共通の問題です。

AIをうまく活用したAI資産家ほど大きな所得を得ることになります。国際競争に勝つためにAI税率の低い国へと企業は生産拠点を移す。所得分配の度合いの大きな平等社会の国ほど、衰退していく。つまり、課税によってベーシックインカムを手厚くするのには限界があります。

人口減少で人手不足が深刻化する日本経済にとっては、時間の経過とともに自動的に生産性が大幅に高まるとされるAI革命は明るい未来を描いているようにみえます。

しかし、他方で、AIがヒトにとって代わることで多くの職場が失われ、桁違いの大量の失業が発生することが懸念されています。

ただ、これには異論もあります。かつて日本では通信技術の革新により大量の電話交換手の失業が懸念されましたが、別のサービス分野に吸収された事例があります。一般に技術革新は新たな活動分野を人間に対して生み出すとされます。

しかし、ことAIとなると、人間の最後の砦である頭脳を代替する以上の、これを上回る機能を発揮するものであるとすれば、失業を吸収し切れるだけの採算分野を産業界の内部で新たに生み出せるかどうかは疑わしいといえます。

幾何級数的に生産力がアップした場合に訪れる大問題は、需要不足でしょう。かつてフォードの大量生産方式が大衆消費文化につながり経済の発展をもたらしたのは、工場に雇用する労働者への賃金が購買力を生み出し、供給と需要との好循環をもたらしたからです。

大量に財やサービスを生み出せても、これに購買力の上昇が伴わなければ意味がありません。AI社会とは、莫大な需給ギャップを抱え、供給に応じた需要を喚起することが大課題として継続する経済でもあります。

AI金持ちたちによる消費支出では不十分でしょう。かと言って前述のように課税による過度の所得分配には限界があるなら、産業界では職のあてのない人々や中低所得者層に、購買力を人為的に付与する必要が生じてきます。

政府の役割は、AIで増大する生産力に見合うだけの通貨をベーシックインカムの仕組みを通じて国民に供給することにあるということになるかもしれません。

現在は邪道とされているヘリコプターマネー(ヘリマネ)も、未来社会ではいよいよ現実味を帯びてくることになります。

 

●通貨の概念の変化とポスト資本主義社会

ただ、それでは多くの国民には遊んで暮らすだけの人生しかないのか、政府が通貨を配布すれば、そこには規律もなくなるではないか、ということになりかねません。

しかし、現在の通貨制度そのものが、この150年ぐらいの間に定着した資本主義の産物です。よく誤解されていますが、市中のマネー(マネーストック)を生み出しているのは中央銀行である日銀ではありません。民間金融機関による信用創造です。

アベノミクスで日銀は大量の国債を買い、その代金がマネタリーベースとして銀行が日銀に有する当座預金に積み上がっていますが、銀行はこれを取り崩して貸し出しなどに回すという仕組みにはなっていません。銀行は自己資本比率規制などの一定の制約のもとで、自ら融資したいと判断する先の銀行口座に電子的におカネを振り込むことで通貨を創造する主体となっています。

[第2図]


銀行が信用創造をするには、相手先が金利をつけて返済できる先でなければなりません。結局、通貨は利潤や儲けを十分にあげられる先にしか供給されないことになります。

利潤をめがけて創出された通貨が、回り回って分配されることで、人々はおカネを手にしています。まさに現在の通貨の在り方は、資本主義経済の特性を如実に反映したものとなっています。

 しかし、情報革命を軸とした技術進歩は、人類社会全体に資本主義の次の社会の到来に向けたパラダイムシフトをもたらしつつあります。

文明評論家のジェレミー・リフキンによれば、現在の21世紀前半に起こっているのは「第三次産業革命」です。それは、クラウドが象徴するような、人類社会が全体で共有する社会基盤の形成を土台に、エネルギー、移動手段、情報技術の分野を中心とする「限界費用ゼロ革命」がもたらすものです。

これまでの社会のあり方は、集権的な巨大システムが支える競争型産業社会から、分散型システムが支える「協働型コモンズ」へと移行していくとされます。

 恐らく、いずれ、AIが生産を担う資本主義経済と、利潤原理とは異なる論理で人間が他の人間と結びつきながら、人間ならではの価値を創出していく協働型コミュニティーとが併存する社会が訪れるでしょう。その社会は、競争経済圏(資本主義)と協働型コモンズ圏(ポスト資本主義)と公共セクター圏(パブリック)から構成されるのではないでしょうか。

競争経済圏では、AIの活用で経済的利益を生み出すところに、従来通り、金融機関による信用創造によってマネーが生み出されます。これに対し、協働型コモンズ圏では、経済的利益以外の論理でマネーが配分される必要が出てきます。

他方で、政府を中心とする公共セクター圏は、民主主義の論理で競争経済圏と協働コモンズ圏との間の調整を担うことになるでしょう。例えば、競争経済圏の富を協働型コモンズ圏にどの程度、どのように配分していくか、税財政を通じて3つの圏のマネー配分をどう決めるのかがそこでの日常のテーマとなります。

協働型コモンズ圏の内部での通貨配分の基準は、まさに人間が価値判断する領域として政治に委ねられることになるのかもしれません。ベーシックインカムのミニマム水準や、どこにどの程度配分するかの決定がそうです。

 人々の活動に対するインセンティブを確保するためには、全ての国民に一律にマネーを配分するのではなく、産業社会での生産活動とは離れたところで、公益や社会や国のため、相互扶助や利他のため、芸術活動や新たな価値創造のためなど、人々が何らかの活動をした貢献度合いによって配分することが求められてくるでしょう。

〔第3図〕


 

●未来社会に向けて問われる政治の有為性

科学技術の飛躍的発展により、現在も毎年延びているヒトの寿命も、今後、飛躍的に延びていきます。「人生百年時代」はいずれ、「百年健康元気時代」になり、希望すればヒトは150歳まで生きる、あるいは死にたくても死ねない時代が、そう遠くない将来に実現するとされています。

これはiPS細胞のような医学生理学の進歩のみならず、ICT技術の信じられないような進歩がもたらすことになります。脳も含めた人間の身体のあちこちに、微小なデバイスが埋め込まれ、それを通じて管理されることで健康が維持増進される。

人体の機能も向上し、遠い将来には人間とAIが一体化する「ヒューマン・オーグメンテーション」(ヒューマン・エンハンスメントとも言われます)も真面目に議論されています。人間そのものの能力が飛躍的に高まり、ヒトが地球上に誕生して以来初めて、生命体としてのヒトそのものが進化する時代が到来するのかもしれません。

ますます長くなった元気な人生を、どう生き甲斐をもって生きていくかは、人類社会の重大なテーマとなるでしょう。そこで協働型コモンズが人間にどのような活動領域を提供するかが問われてくる時代になったとき、それを決めるのは決してAIではなく、人間であってほしいと思います。

[第4図]

 IoT、ビッグデータ、AI、フィンテックといった言葉が飛び交っている現在、私たちは科学技術の進歩による人類社会の急激な変動の入口の時代を生きています。

その中にあって、人々が自ら国家や社会に参画し、自らの運命を自ら選択していく営みを人間固有の価値として保持しながら、健全な民主主義政治を確保していくためには、政治自らが人類の未来への的確な予測に基づいて人々に新たな価値創造の道しるべを選択肢として提示できるだけの有為性を構築していかねばならないのではないでしょうか。

ポスト安倍政治を論じるのは時期尚早ではありますが、少なくとも、日本の各政党には、未来に向けて国民を魅了できるだけの政策軸を打ち立てられるかどうかが、いずれ問われてくることだけは間違いないと思います。

 

松田まなぶのビデオレター、第76回は「AI革命が変える労働とマネーのカタチ」

チャンネル桜 12月19日放映。