松田まなぶ フィリピン訪問<その2> | 松田学オフィシャルブログ Powered by Ameba

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日本を夢の持てる国へという思いで財務省を飛び出しました。国政にも挑戦、様々な政策論や地域再生の活動をしています。21世紀は日本の世紀。大震災を経ていよいよ世界の課題に答を出す新日本秩序の形成を。新しい国はじめに向けて発信をしたいと思います。

フィリピンで感じた国際社会の日本への期待、日本は東アジアの安全保障のリーダーに

 このたびのフィリピン訪問の成果は、前回ご報告した同国国会議員と次世代の党の議員との間で署名に至った合意文書だけではありません。9月1日~3日の滞在期間の間、私たちはこのほかにも、東アジアの安全保障体制の構築に関して、政府関係機関などさまざまな関係先を訪問し、本音での意見交換を重ねました。その中で痛感したのが、日本に対する期待です。これは意外なことでした。日本と言えば、専ら経済面での貢献が期待されてきた国との印象がありますが、国際社会の実態をみると、そこには別の本音があるようです。日・比両国の国会議員が電撃的な合意文書の署名に至ったのも、こうした背景があるからだと思います。
 前回のご報告<フィリピン訪問・その1>「フィリピンの国会議員と次世代の党の議員が海洋の国際法秩序につき合意文書に署名」もご覧ください。

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「日・フィリピン両国国会議員による合意文書締結、現地記者会見、現地メディアに掲載」

 前回は、全体の行程のうち合意文書に関する部分だけを取り出してご報告いたしましたが、今回は、それ以外の訪問先について、現地で訪問した順に簡単にご報告いたします。
 9月1日午後、マニラの空港に到着した私たちは、3日間にわたり、日本大使館の方々とともに2台のワゴン車に分乗して市内のあちこちを移動しましたが、これを先導する白バイたちが、強権を発動して、素晴らしいナビをしてくれたことを、まず、ご報告します。マニラは公共交通機関が未整備で、道はクルマで溢れかえり、慢性的な渋滞で時間通りの到着が望めない状態の中を、車の隙間をかき分けて、時に道の対向車線を逆走したり、ガソリンスタンドの敷地などを突破したりと、見事な暴走ぶりをハラハラしながら楽しませてくれました。おかげさまで、たいていは約束の時間よりも大幅に前倒しで各地を訪問して回ることができました。乗車しているだけで疲かれはしましたが…。

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「白バイが先導」

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「ホテルからのマニラの街」

 現地で最初に、9月1日の夕刻に訪れたのが、中国とのトラブルの最前線にいるフィリピン沿岸警備隊(PCG:フィリピン・コースト・ガード)日本でいえば海上保安庁でした。
 ここでは、南シナ海の各国の実効支配状況や、西フィリピン海の無人礁での中国による構造物の建設などについての説明がありました。フィリピンとしては、国際社会における外交努力、中国が主張する線引きの違法性の国際司法裁判所への提訴、フィリピン自身の防衛力強化などの対応を行っています。また、immediate(至急の対応)として摩擦に至りかねないすべての行動の停止、intermediate(次の対応)として2002年に合意したDOC(行動宣言)の下に「エスカレートしない」対応、final(最終的対応)として国際法に基づく国際司法裁判所の判決に従うこと、を、「トリプルアクション」として提唱しているという説明でした。DOCを無視した中国による現状変更は甚だしく、フィリピンは法的拘束力を持つCode of Conduct(行動規範)を主張していますが、親中国のカンボジアの反対によって、アセアンでの合意には至っていません
 日本はフィリピンPCGに対し、監視艇の供与や海上保安庁職員による技術協力などを進めており、日本への期待は絶大ですが、問題は予算で、1か月当たりの燃料代は1か月間のほとんどの日数を航行できない分しか配分されないようです日本の海保職員が常駐で指導に当たっていますが、これでは日本から供与が予定されている大型の監視艇も宝の持ち腐れになりかねません。フィリピンでは大統領府に対する力の強い部署が多くの予算を獲得するようです。

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「フィリピン沿岸警備隊(PCG:フィリピン・コースト・ガード)訪問」

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「フィリピンも日本の尖閣諸島と似た問題を抱える(PCGにて)」

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「PCG幹部と」

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「PCG監視艇、燃料が1ヶ月につき1日半の分しかない」

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「PCG監視艇上より」

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「PCG監視艇内」

 9月1日の夕食は、卜部敏直・特命全権大使以下、在マニラ日本国大使館の方々からブリーフィングを受けながらの会食でした。この場で話題になったのですが、フィリピン人女性をメイドとして日本の家庭で働いていただいてはどうかという提案が、日本でもなされています。外国人女性が家庭に入り込むことには、特に保守系の方々には抵抗感もありますが、人口減少社会にあって日本の女性がもっと社会で活躍できる環境をつくる上で、世界的にもメイドとして極めて評判がよく、しかも気質の明るいフィリピン人であれば日本人の抵抗感も少ないという意見が出ていました。地方などでは、すでに多数のフィリピン人女性が日本人男性と結婚し、地域コミュニティーを支えているという事例も増えているようです。確かに、この国の国民性は「ネアカ」です。

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「在フィリピン日本大使館の方々と(松田の隣が卜部敏直・特命全権大使)」

 翌9月2日の午前中は、前回ご報告したビアゾン氏以下、5名の下院議員との打ち合わせでしたが、その後、昼食時に、フィリピンの国家安全保障委員会と国家情報庁を訪ね、両機関の幹部の皆さまから、これら国家組織の概要と、中国の南シナ海における実力行使についてプレゼンを受けました。最近報道されているジョンソン礁では、コンクリートで礁を固めた結果、土地が広がり、飛行機の滑走路まで作られたなど、生々しい説明でした。
 日本では昨年秋の臨時国会での法案成立で、ようやく「日本版NSC(国家安全保障会議)」が設置されたばかりですので、私から、フィリピンでは同盟関係にある米国との情報交換体制や、NSCに必要と考えられる諜報工作機関(ヒューミント)などが、どのように機能しているかを質しましたが、いずれの機関も創設は日本より早く体裁は整っているように見えても、国家として一元化された機能を十分に果たせているかどうかは疑問でした。
 また、フィリピンの国防予算についても質しましたが、同国では日本と同じく、その、対GDP比は1%で日本円換算では2千数百億円、これをGDP比2%に上げることを検討しているということでした。それでも5千億円前後ですから、日本の防衛費の10分の1程度に過ぎないことになります。
 「世界の警察官」としての米軍が東アジアから撤退する流れにあって、例えばフィリピンのような経済規模では、米国との同盟が前提だからなのか、GDP比1%という少額の防衛費では、とても万全とはいえません南シナ海(西フィリピン海)での中国の行動も、日本の尖閣問題と同様、防衛体制の脆弱さを突いたものだったといえるでしょう。やはり、平和の維持のためには軍事的な備えが必要、ということを感じさせられます。

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「中国がこの海域で(国家安全保障委員会からの説明)」

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「国家安全保障委員会、国家情報庁幹部との会談(ワーキングランチ)」

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「国家安全保障委員会にて(松田の手前は中丸啓)」

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「国家安全保障員会、国家情報庁幹部たちと」

 その後、私たちはフィリピン上院に向かい、トリリアネス上院議員と面談しました。フィリピンでは各国家機関は首都マニラの中で遠距離にわたって分散立地しており、しかも慢性的な大渋滞ですから、その非効率性は絶大だと想像します。下院と上院も、そして大統領府も、相互にかなり離れています。この日は渋滞を白バイの先導で縫いまくって、マニラ市を何度も横断しました。
 フィリピンでは上院議員は、たった24名しかいません。任期は日本の参議院と同じく6年で3年ごとに半数ずつ改選、しかも全国区しかなく、かなりの著名人でなければなれない立場です。下院よりも優越しており、政府に対する影響力や大統領との近さなどでも、スーパーエリート集団といえます。
 トリリアネス氏はかつて、クーデターの中心人物だったこともあるそうですが、大統領に近く、それだけに慎重な話しぶりで、まるで菅官房長官の会見をみているようだと漏らす当方同行議員もいました当方の問題意識も、ビアゾン議員との合意についても肯定しましたが、サインについては所属政党と大統領と相談してからという返答でした。
 私からは、日本が集団的自衛権の行使容認を閣議決定したことについて、フィリピン側からは歓迎する声が出ていると聞くが、どう考えるかと質しましたが、「冷静に、肯定も否定もしない、このような表現をする真意を理解してほしい」との答。要するに、立場上明確に言えないが、賛成だというメッセージが伝わってきました。

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「トリリアネス上院議員との会談(フィリピン上院にて)」

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「トリリアネス上院議員」

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「トリリアネス上院議員を囲んで」

 その後、私たちは再びマニラ市を横断して下院を訪ね、前回ご報告したように、ベルモンテ下院議長ほか7名の議員との面談、合意文書への署名となった次第です。この面談のあと、下院では審議中の本会議議場に案内され、傍聴席の私たちは一人一人の名前が呼ばれる形で出席議員全員の前で紹介されました。

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「フィリピン下院本会議場の審議風景」

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「下院本会議にて傍聴席の我々全員が一人ずつ紹介されました」

 この日の夕食は、和食レストランの「畳」の上で、フィリピン下院議員の方々との会食になりましたが、私は一人、途中で抜け出して、現地の方の案内で、巨大な某カジノリゾート高級ホテルを視察させていただきました。オーナーはフィリピンでも有数の大財閥、お会いした経営者は元インベストメントバンカーのカナダ人などでした。VIP専用フロアのスイートは広大な部屋で、贅を尽くしており、1億円以上賭ける客が対象だそうです。日本人の感覚では考えられないダイナスティーぶりで、IRでこれからカジノを解禁しようとしている日本で、このようなリゾートビジネスが本当に成り立つのかと一瞬、考えてしまいましたが、ここでの顧客の大半が中国人だそうです。日本人観光客も増えており、日本語サービスを導入しようとしているようですが、確かに、中国人富裕者の富裕ぶりは桁違いですから、日本にも巨額のおカネを落としてくれるという計算なのでしょう。日本への進出も視野に置いているという説明でした。
 宿泊しているニューワールドホテルに帰ったら、ドアマンから「グッドモーニング」、以上、9月2日はまさに、強行軍の一日でした。

 翌3日の朝に訪れたのは、エネルギー省でした。女性の次官から、中国が狙っている西フィリピン海の海洋資源(天然ガス、石油)の状況についてブリーフィングを受けました。私から質したこの問題の経緯についての質問に対する答によれば、フィリピンはかつて、1970年代に資源が発見されたことを受け、各国との合弁で資源開発のスキームを作り、その中には中国も参加していたところ、このスキーム自体がフィリピンの国内法違反との判決が出た結果、いったん、このスキームはご破算になったそうです。もし、このスキームが続いていれば、中国は海洋資源を名目に進出する理由はなかったのかもしれませんが、そもそもこのスキームに参画しようとしたこと自体、中国がこの海の権利はフィリピンにあることを認めていたことを示すように思われます。

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「フィリピンエネルギー省(モンサダ次官<女性>)との会談」

 このあと、私たちはニューワールドホテルに戻り、前回ご報告した記者発表となりました。終わったところで昼食の時間、せめて一度ぐらいはフィリピンの現地料理をと、近くのレストランで昼食をとって、マニラ空港から帰国した次第です。帰国後、ある人から「フィリピンに行ってきたにしては、肌が焼けていませんね」と言われましたが、私たちの出張はとてもそのようなものではなかったことは、以上2回にわたる今回出張の報告をお読みいただければお分かりのことと思います。
 今回のフィリピン訪問は、議員外交そのものであったと同時に、実際に国益に貢献した議員活動として、成果と実りの多いものでした。国会休会中とはいえ、仕事師集団の次世代の党らしい仕事ぶりだったと思います。
 今回はまだ、スタート地点です。これから東アジアの安全保障体制の構築に向けて、すでに国際社会が高い関心を示している私たちの行動を、さらに進めてまいります