Dr.Mの診療録:「癌なら手術を受けません」 | 松林 秀彦 (生殖医療専門医)のブログ

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生殖医療に関する正しい知識を提供します。主に英語の論文をわかりやすく日本語で紹介します。

 大きな卵巣腫瘍があり手術が必要な患者さんが紹介されてきた。患者さんは、「癌なら手術を受けません」と言う。卵巣は手術で摘出し、顕微鏡でよく調べて初めて良性・悪性の判断がつくのである。「手術してみなければわかりません」と答えても、「癌なら手術を受けません」と押し問答である。出来る限りの検査を行い、良性の可能性が高いという判断のもとに、ようやく手術を受け入れてもらえたのである。手術までの間に、お腹が大きいのでそのうちいろいろと症状が出てきた。便通が悪い、腰が痛い、お腹が張るというのは理解できるが、背中が痛い、上腹部がつる、首が痛いという症状まであった。痛くて仕方がないというので、入院して全身の検査を行うことになった。いろいろな症状を訴える患者さんは婦人科には多く、不定愁訴という言葉で呼ばれ、更年期の女性に多い。この方も年齢的にそういう方かもしれないと誰もが思っていた。いよいよ卵巣腫瘍の手術の日がやってきた。手術の朝、数日前の胃カメラで摘出した胃潰瘍の検査結果が丁度出ていた。「胃癌:印環細胞癌」とあるではないか。急遽婦人科の手術は中止とし、胃癌の手術に備えた準備を行い、胃癌の手術と同時に卵巣の摘出を行うことになった。しかし患者さんは、「癌なら手術を受けません」という訳である。患者さんのご両親は共に50代の時に胃癌で亡くなられていて、話を聞くと手術をしたのにすぐに再発して逝ってしまわれたという。これが、「癌なら手術を受けません」という理由だったのである。患者さんは当然毎年胃カメラを受けていて、異常はなかった。外科の先生は、「ご両親は印環細胞癌で、進行したスキルス癌だったと思う。しかし、今回の胃カメラの様子では早期に発見できているようであり、ご両親の場合とは見つかったタイミングも技術も違っている。是非手術を受けて欲しい。」と説得された。患者さんは数日考え手術を受けることを決心した。手術は無事終了し、卵巣腫瘍は良性、胃癌は転移もなく早期癌であることが判明した。印環細胞癌は胃の粘膜の下を静かに伸展し、胃の中に顔を見せた時には手遅れのスキルス癌になっていることが多い。もし、数ヶ月前に胃カメラをしていても発見できなかったかもしれない。逆に数ヶ月後だったら、手遅れだったかもしれない。今回はたまたま、卵巣が大きくなって胃を調べたから見つかったのである。退院の日に患者さんは、「先生は命の恩人です」と言うので、「いいえ、卵巣が大きくなって知らせてくれたのです。卵巣が命の恩人なのです。」と答えながら、「Listen to the patient(患者さんの話をよく聴く)」という医療の教えを再認識した。