やはりここでもニーチェが顔を出すわけです。
抽象度が高いまとめの方が多くを包括するようですし、実際にそうなのですが、それは地上まで降りてきたときの話。
多くの場合は高みに昇ったまま降りてこれなくなりがちです。
何の話かと言えば、ニーチェの話です。
幾度も引用していて恐縮ですが、また引用します。
天賦の才能について、持って生まれた資質について話すのはやめてくれ! わずかな才能しか持たなかった偉大な人間はたくさんいる。彼らは偉大さを獲得し、『天才』(いわゆる)になったのだ。実体を知らない人々が褒めそやす資質を欠いていたからこそ。いきなり全体像作りにかかる前に、適切な一部を組み立てることを最初に学ぶ有能な職人のごとき真面目さを、彼ら全員がそなえていた。彼らはそのための時間を取った。なぜなら、華やかな全体像よりも、あまり重要でない小さなものを作ることのほうが楽しかったからだ。
*サムネイルはハイゼンベルクです。オッペンハイマーのお友達のハイゼンベルク。アインシュタインから最大のヒントをもらい不確定性原理に至ったハイゼンベルクです。メタンフェミンを合成して末期癌の高校教師だったのが、一躍麻薬王になった、、、、あ、それはBreaking Badのハイゼンベルクだ!
いや、超具体的な話をしましょう。
たとえば、「眼球をリフトアップする」という不思議な技にハマったら、それを狂ったように続けることです。文字通り狂ったように。
もう脳天を超えて飛び出すくらいにリフトアップすれば良いのです。
下垂というテーマで考えて、胃下垂や眼瞼下垂、そして骨盤臓器脱などを考え、横隔膜を上げたり、会陰を上げたり、湧泉を上げたり、、、、それも確かに大事なのですが、それよりも自分が手触りがあり、そして実感できて、楽しめることをやたら繰り返すことです。
そこに機会の通り道があり、それ以外には機会の通り道が無いからです。
いきなり全体像作りにかかる前に、適切な一部を組み立てることを最初に学ぶ有能な職人のごとき真面目さを、彼ら全員がそなえていた。彼らはそのための時間を取った。なぜなら、華やかな全体像よりも、あまり重要でない小さなものを作ることのほうが楽しかったからだ。
クンバカにハマった人は、ひたすらにクンバカを繰り返せば良いですし、コールドシャワーにハマった人はコールドシャワーを繰り返せば良いのです。
楽しみ尽くすことです。
周りに流されず、このブログに煽られず(自分が感銘を受けた記事だけを毎日繰り返し読めば良いですし)、徹底的に頑固に一つのことをやり続ければ結果に繋がります。
気功の基本と精神はそこにあります。
「華やかな全体像よりも、あまり重要でない小さなものを作ることのほうが楽しかった」人に勝利の女神はほほえみ続けます。なぜなら勝利の女神もまたオタクだからです。
効率とか、抽象度とか、そういうことに頓着しないNerdだからです。
それより自分がやっていることの手触りがあり、そしてそれが楽しくて仕方がないCrazy Onesのみが世界を制覇するのです。突き抜けるのです。
僕はいつもB'zの「イチブトゼンブ」を思い出してしまうのですが、「愛しぬけるポイントがひとつありゃいいのに」と思います。
手触りがあり、実感がある技術なりワークがひとつあればそれで十分です。
それをひたすらに幼子のごとくやり続ければ、気付いたら世界のEdgeに立ってしまうのです。
そこには他人は存在しない、地の果て(知の果て)です。
ヨビノリさんの動画でも紹介しましたが(「知らないです、人類が」)、知の果てなんて意外とすぐそこなのです。
*かっこいい理系用語を募集したら、もっとも多かった声が「理系用語の定義」だったという話はこちら。
そのエッジに立っている同士で仲間になりたいのです。
高橋和巳的に言えば、「真に孤独なものしか連帯できない」です。
それがギルドの一つの理想形かなと思っています。