カーネマンが亡くなったことも知らなくて、ちょっとショックを受けていました。
御年90歳ですから、もちろん大往生と言えるのでしょうが、残念です。
ダニエル・カーネマンについては話したいことはたくさんあるのですが(十分に過去記事で回ていますが)、いまは静かに御冥福をお祈りするのみです。
話しは唐突に変わるのですが、クリストファー・ノーラン監督の最新作(は『オッペンハイマー』ですが)、最古作(そんな言い方はありませんし、ほぼデビュー作)の『Memento』を映画館で観てきました。
タイムスリップして、四半世紀前に行って観てきました(嘘です)。
映画館で『Memento』が観れるのはムネアツであるとともに、内容をよく知っているはずなのに、読後感ならぬ映画を観たあとの感覚は胸糞でした(ムネアツからの胸糞で、感情のジェットコースターでした)。映画はもちろん文句なしに素晴らしかったです。
まだ公開されているので、クリストファー・ノーラン監督作品ファンはもとより『Memento』を映画館で観たかった!という方は是非!!
映画は映画館で観るものであり、その体験が重要です。
体験と自身の変容が映画というアートのテーマなのです。
過去の改変、記憶というストーリー、目的ではなく手段が優越していき、自分は何を目指しているのか分からなくなり、夢うつつの中で最善を尽くそうと周りに迷惑をかけながら突っ走っている様に自分を観る思いがして、良い意味で不快になりました。
立ち止まって、ゴールを再設定することは本当に大事。
その方がゴールに向かって加速できます!
その意味で、マシュー・ボーンのロミオとジュリエットも非常に良かったです!
僕は刷り込みの効果もあり、マシュー・ボーン作品では、アダム・クーパーの白鳥の湖が圧倒的に好きなのですが、今回のロミジュリも素敵でした。
舞台と言えば(すでに書いたかもしれませんが)、玉三郎さんと仁左衛門さんも素晴らしかったです。このお二人が共演される姿をリアルに観れることが奇跡のようなものです。
同様なことで言えば、村上隆さんの新作(というか制作中)がリアルタイムに観れるのもすごいこと。
もっと早く走り、もっと遠くへ行き、本来の自分に回帰しながら、楽しく人生を終えたいなと強く思う次第です!!
Fin!
【と終わっても良いのですが、蛇足として!】
「楽しく人生を終えたい」などというと、我々の西洋人脳が「死にたくない、死にたくない」と叫ぶのですが、そうではなく、もっと「生きたい生きたい」と願っているのです。
その歩みがのろかろうがなんだろうが、アジアは、生きたい、生きたい、
と叫んでいるのだ。西欧は、死にたくない、死にたくない、と云っている。
ーーーー堀田善衛著『インドで考えたこと』(岩波新書、一九五七)
それは離散的な世界で、自分のコピーをつくりながら、どんどんオリジナルに近づくようなものです(T理論ですね。T理論スクールに関しては、来年6月あたりに開催予定です。顕教のT理論マスターを昨年開催しましたので、2025年は密教の裏T理論です。表と裏でT T、、、というのは冗談ですが、半分本気)
で、どんどん自分になっていく、、、という経験に関して、小林秀雄先生からコメントを頂いております!(あの古今亭志ん生のような語り口で脳内再生してください!!)
又、或る日、或る考えが突然浮び、偶々傍にいた川端康成さんにこんな風に喋ったのを思い出す。彼笑って答えなかったが。「生きている人間などというものは、どうも仕方のない代物だな。何を考えているのやら、何を言い出すのやら、仕出来すのやら、自分の事にせよ他人事にせよ、解った試しがあったのか。鑑賞にも観察にも堪えない。其処に行くと死んでしまった人間というものは大したものだ。何故、ああはっきりとしっかりとして来るんだろう。まさに人間の形をしているよ。してみると、生きている人間とは、人間になりつつある一種の動物かな」(小林秀雄「無常といふこと」)