「もうお前を今日から殴らない」と言われた小学生は、その先数十年間、自分で自分を殴るようになる。 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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親に「殴るのは小学生の間までにする」と言われた小6の少年は、それまで毎日ではないにせよ、節目節目に殴られていました。よく殴られていたのが、その日を境にパタッと消えたために、とても面食らったそうです。DV(体罰)がある日を境にして、突然に消えたのです。

 

それは喜ばしいことに感じますが、実際は違います。

 

時間をかけたアンカリングが終わり、洗脳が牙を剥き始めた記念日なのです。

 

 

 

人間は環境に適応します。いや、生物は環境に適応するものです。

 

ですから、何かあると殴られることに適応したその生き物は、恣意的なルール変更によって、逆に殴られなくなったことに戸惑います。それも徐々にではなく、唐突なルール変更に驚くのです。

 

中学に進学するから殴らないというのは非論理的です。恣意的です。

 

殴られることに適応しているので、再び拳の痛みを(いや、拳で殴られたわけではないのですが)自分に対して再現しようとします。周りに殴ってくれる人がいなくても、それは実現しなくてはいけない命題なのです。

 

ですので、自分で自分を殴るようになるのです。

もしくは壁を殴ったり、ガラスを殴って、拳を傷つけたり。

拳の皮は薄すぎて、他の部位と違って治りが遅いのです。

 

そういう自傷行為はちょっと頭のおかしい人みたいですが、、、、進学した私立中学の友人たちでも似たような人が多かったので(同じように拳を怪我していたり、壁を殴ることをなぜか武勇伝のように吹聴していたり)、意外とそういう人が多いのかもと本人は納得していたそうです。

 

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自分で自分を殴るとホッとし、怒りを外にぶつけて、自分の拳を壊すと安心して、鼓膜が破れんばかりの大音量で音楽を聞くと安らぐのです。自傷行為で安らぐのは、そこがコンフォートゾーンだからです。

 

12歳くらいまでに作られた価値観とホメオスタシスはその後もずっと続きます。さすがに長じては、自傷行為はしないものの、大人になってからも何かあると自分を殴る巨人が出てきて、叩きのめすビジョンを見ては、奮い立っていたそうです。奮い立っていたというのがポイントです。

その殴る親は彼の守護天使(ガーディアンエンジェル)なのです。

きっとそのエンジェルは「誰もお前を助けてくれない。だから自分一人でがんばるしかない」とでも彼なりの智慧をアドバイスをするのです。

「もちろん自分のことも信頼するな」と付け足すのを忘れずに。

 

 

その人は十代のころは相当に荒れたそうですが、それは本人の性格のせいだと思われていたそうです。

 

短気すぎる。キレやすい。情緒不安定。

 

その親はもしかして健忘症なのでしょう。

 

自分たちが子供を怒鳴りつけ、殴ってきて、いつもそれを正当化していたのですから、子供がそれを再現するのは当然ではないかという風には考えなかったようです。

インテリな夫婦だったそうなのに、思い込みというのは恐ろしいものです。

 

 

フレームの中断は強烈な洗脳的手法の一つです。

音楽を聞いていて、突然に中断すると、頭の中でその音楽がしばらく流れているようなものです。

 

たとえばCMなどはそれをうまく利用しています。フレームの中断を使って、CMソングが頭に残るようにします。

忘れられないCMソングやフレーズってありますよね。そしてそれはかなりしつこく心に残ります。

 

 

1分にも満たないCMソングですら、かなり脳内に持続するのですから、赤ん坊のころから10歳や12歳くらいまで作られた暴力の空間がある日を境に中断したら、それは強烈なフレームの中断となることは容易に想像ができます。

 

12歳のころから30年残ったとしても不思議ではありません。そして余程、意識的にそこから逃れないと、それは一生残るのです。頭の中のことは外からは見えません。物理的に自傷行為を繰り返すのであれば、周りからは見えますが、心の中のことは外からはよく見えません。

 

そして、子供の頃から体罰が正当化されていたのですから、本人の価値観の中では、体罰は肯定しています。ですので、殴られるのは良いことだと本人は心から思っているのです。

c.f.子供の頃、親父にはよくぶたれたけど、それは僕が間違った方向にいかないように躾けるためだったんです 2021年12月15日

 

現実の本人がリベラルな教育の成果か、体罰や暴力を否定していても、自分が頭の中で殴られることは正当化し、肯定しているという奇妙なねじれ現象が存在するのです。世界から体罰と暴力を無くすとしても、自分だけは除外するのです。

 

*良い予告編、良い映画。

*ホアキン・フェニックス版のジョーカーもまた毒親育ちの物語。その解毒があまりにありふれたものだっただけに世界を戦慄させました。ユニークなのではなく、ありふれているのです。ジョーカーは親愛ならぬあなたの隣人なのです(スパイダーマンは「親愛なるあなたの隣人(Your Friendly Neighborhood)」)。

 

いま解毒を熱心に進めているメンバーさんの中には、子供の頃の記憶が綺麗に消えている人も少なくありません。忘れているのではなく、消えているのです。

 

強烈な抑圧です。

 

 

解毒を経なければ、自分の「普通」にはたどり着けないのです。

毒は認知をゆがめ、身体を歪め、心を歪めます。

 

この「毒」とは抽象的な概念ではなく、具体的なものです。

それは暴力であったり、性的虐待であったりします。それは惨(むご)たらしいものですが、もっと惨たらしいことに、当の加害者たちはいなくなっているか、、、、いても忘れているのです。

「そんなことをするはずもない」と真顔で否定したりします。それも心から否定したりしています。人は忘れる生き物です。

(逆にもし認めるなら、認めるだけまともです)

 

だからこそ、僕等は内なる親と闘わないといけないのです。それは自分との戦いでもあります。

内なる親を肯定する自分との戦いです。親はすでにいないか、忘れているか、事実をつきつけても否定するか(稀に認めるか)なのです。どちらにせよ、リアルな親と戦うことは無意味です。子育てに苦労していた若きあなたの親はタイムマシンでも使わない限りは会えないからです。

 

まずは自分のパターンを見抜き、自罰的な傾向を見抜き、それを丁寧に観察する必要があります。炸裂弾をくらったようなもので、その刺さったものを一つ一つ探して、抜いていくしかないのです。一瞬で解決する魔法などありません。リアルに地道に作業を繰り返していくしかないのです。気の遠くなるような苦しい作業の果てに、新しい扉がようやく開くのです。そしてなぜか新しい扉を通過した後から振り返ると、解毒は一瞬だったと思えてしまうのです。

 

 

 

 

 

*未編集ですが、Zoom版から高画質版に切り替えました!ダウンロードも可能です!

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