気功技術を使うのではなく、使われるという感覚がポイントです。
使役するのではなく、気功技術に使われる感じです。
コイントスやサイコロを振るときに、運を天に任せる感じと似ています(多分)。
たとえば、身体操作にも似ていて、たとえばグランバットマンをしようとしたときに始めから終わりまで力で操作することはありません。グランバットマンというのは、大きく脚を上げる動きです。
イメージとしては最初に猛烈に力を加えて動かしたら、あとは慣性の法則を使いながら、ブレーキをかけないイメージです。重力に抗することができれば、身体は動くので、それほど大きな力は本来はいらないのです。
この感覚を来月のマルマスクールでは掴んで欲しいと思っているのですが、それはさておき、、、気功技術の話です。
RaySalonのセラピスト対象のセラピスト講習会を明日やるのですが、そこでのテーマは気功技術の使役についてです。
気功技術を使うのではなく(マントラを唱えれば誰でも使えますので)、気功技術に使われる感覚、気功技術に使役される感覚を掴んで欲しいと思っています。
「使われる」というと聞こえは悪いのですが、これがコツです!
内部表現書き換えを生業にする人は支配したがりますが、支配されるのがポイントです。
情報に身を委ねるのです。
(スピリチュアルな言い方をすれば、宇宙に委ねる感じです。宇宙を信頼する感覚ですね)
たとえば、脂肪に対しての気功技術と、筋肉に対しての気功技術では違います。
Fasciaを意識した気功技術とホルモンに対する気功技術は異なります。
手技は同じでも、気功技術を変えると手の動きが変わります。この感触を掴んでくれると、気功技術が勝手に手技を洗練させてくれます。
セラピストたちはプロとして活躍しているので、そのレベルで身体を操作したいのです。
気功技術を切り替えたり、気功技術をミックスさせたときに、どういう風に身体が変わるのか、そしてどんな施術になるのかを、あたかも他人事かのように俯瞰して見てみると非常に面白いことが分かります。
自分の動きなのに、気功技術ごとに明確に(わずかですが)異なるのです。
この違いが分かったら、その差異を増幅させます。どう増幅させるかと言えば、第一に意識に上げること、第二に身体をますます脱力させることです。
自分が動いているのではなく、傀儡(くぐつ)になって、自分が動かされている感覚です。
そのまま続けていくと、勝手に身体が動くようになります。
勝手にクンダリーニが通ります。
天地は仁ならず、万物をもって芻狗(すうく)となす。聖人は仁ならず、百姓(ひゃくせい:人民の意)をもって芻狗となす。
(天地に仁愛などはない。万物をわらの犬として扱う。聖人に仁愛などはない。人民をわらの犬として扱う)(『老子』第五章)
c.f.「天才達」は太陽に向かい「陰陽師」は洞窟に向かう!〜天地は仁ならず、万物をもって芻狗となす 2014年07月21日
c.f.
天地は仁ならずと言いますが、適切な役割を割り振ってくれているという信頼が大切かと思います。芻狗(すうく)という役割を与えられたら、その役割を演じきって、お祭りが終わったら捨てられれば良いのです(一生を静かに終えましょう)。
その役割が何かを見切るのが大事です。
話を戻します。
最初は気功技術ごとにどんな反応が身体に起こるのかを確認し、リラックスして楽しむことでどんどんそれが上手になります。
最初は気功技術ごとの変化を見て楽しむのですが、ある程度まで来たら、気功技術すらも自分の無意識に任せます。そうすると、勝手に技術が召喚されて、良い塩梅に配置してくれます。
気功というのは本質的に無意識から無意識の書き換えです。
ですので、あまり意図とか、念とか、本人の希望とかエゴというのは役に立ちません。というか、邪魔になります。なるべく真っ白な状態で向き合いたいのです。
(ですので、自分の無意識なり、深層意識がどうなのかを絶えずチェックしないと危険です。そして、その人の無意識というのはかなり周りにはダダ漏れなのです。知らないのは本人だけ、知られていないと思っているのも本人だけということはしばしばあります)。
(そこらへんの棚卸しや、微調整をするのが本来はメンターの仕事です。ですが、なかなか難しいところが多々あります)。
まあ、かなりハイレベルな内容になるので、明日の講習会が楽しみです。
ポイントはリラックスして、身を委ねて、変化に敏感になることです!
その先の自分に大いに期待して、リラックスして楽しみましょう!