気功は魔法ではないし、脱洗脳はパラダイスではありません。
マジシャンにとって、マジックは緻密に演出されたお芝居のように予定調和的ですが、観客にとっては次に何が起こるか分からない不思議な世界です。
それは観客の頭の中にしか存在しない体験で、その体験はきみの技術が導き出したのかもしれないが、技術そのものと体験は同じではない。それは観客の体験の中にあり、マジシャンが使っている手法の中で見つかることはないのだ。つまり何よりも大切なのはプレゼンテーションということになる。
c.f.マジックのほとんどはトリックが終わってから起こる。(ダレン・ブラウン) 2018年12月24日
たしかに気功や脱洗脳のフィードバックだけを見ていると、不思議なことが起き、夢のようなことが起き、人生が激変し、才能が開花し、生きやすくなるように思えます。それは間違いではないのですが、非常にシンプルなロジックに従っているだけのことです。
視点の違いだけなので、とてもシンプルなことなのですが、視点を変えることができないと意味不明で、難解なことに感じます。
たとえば、こんな説明はどうでしょう。
「内部表現の書き換え」というのはできないことをできるようにすることではありません。
なりたい自分になることでもありません。
楽をして夢を叶えられるように、自分を生まれ変わらせることでもありません。
できないことをできるようにするのではなく、できることができないようにさせられていたものをできるようにするだけです。
できないこと ⇒ できる
ではなく、
できること ⇒ できなくさせられていた ⇒ できるようにする
ということです。
覆われていたヴェールを剥がすようなものです。
才能を覆っているヴェールを剥がすのです。
世界を暗黒に見せていたサングラスを外してもらうのです。
世界が絶望的に真っ暗闇に見えていたのは、目の前を覆っていたVRゴーグルか、サングラスのせいだったのです。それを外せば、世界はありのままに見えます(多分)。
これが気功の役割であり、脱洗脳の仕事です。
脱洗脳のネガティブサイドのことをあえて言うならば、、、可能性として、脱洗脳すると「ただの人」になってしまうという意味のことをDr.Tは著作で書かれています。それまでの才気走った感じが消えたり、才能が消えたり、情熱も運も消えたりする可能性があります。
でも、あえて口悪く言えば、これまでの人生で大したことを成し遂げていない方は全く心配いりません。そのまま脱洗脳に突入することで、「ただの人」から本来の自分に戻れます。自分の中に眠っていた(眠らされていた)圧倒的な才能が目覚めるのです。
この「戻る」という感覚が重要です(別に忘れても良いのですが)。
「素晴らしい自分になる!」のではなく、もともとの自分に戻るだけなのです。
この感触を2500年前の哲人はこんな風に言っています。
(引用開始)
「ではつぎに」とぼくは言った、「教育と無教育ということに関連して、われわれ人間の本性を、次のような状態に似ているものと考えてくれたまえ。
ーー地下にある洞窟状の住いのなかにいる人間たちを思い描いてもらおう。
光明のあるほうへ向かって、長い奥行きをもった入口が、洞窟の幅いっぱいに開いている。
人間たちはこの住いのなかで、子供のときからずっと手足も首も縛られたままでいるので、そこから動くこともできないし、また前のほうばかり見ていることになって、縛めのために、頭をうしろへめぐらすことはできないのだ。
彼らの上方はるかのところに、火が燃えいていて、その光が彼らのうしろから照らしている。 この火と、この囚人たちのあいだに、ひとつの道が上のほうについていて、その道に沿って低い壁のようなものがしつらえてあるとしよう。それはちょうど、人形遣いの前に衝立が置かれてあって、その上から操り人形を出して見せるのと、同じようなぐあいになっている。」
「思い描いています」とグラウコンは言った。
「ではさらに、その壁に沿ってあらゆる種類の道具だとか、石や木やその他いろいろの材料で作った、 人間およびそのほかの動物の像などが壁の上に差し上げられながら、人々がそれらを運んで行くもの と、そう思い描いてくれたまえ。運んで行く人々のなかには、当然、声を出す者もいるし、黙っている者もいる。
「奇妙な情景の譬え、奇妙な囚人たちのお話ですね」と彼。
「われわれ自身によく似た囚人たちのね」とぼくは言った
(引用終了) (プラトン「国家」7巻514A-515A 岩波文庫「国家」下巻 pp.104-105 )
c.f.偽アリストテレスの汎神論、ソクラテスの教育論、師弟の階梯 2015年10月10日
c.f.【本日開校!】レイキヒーラー養成1Dayスクール 〜シンプルで気軽に楽しく、強力なヒーリングを〜 2015年08月01日
ソクラテスの洞窟の比喩ですね。
これは意外と忘れられていますが、イデア論の解説というよりは教育論なのです。
*このラファエロのアテナイの学堂の中心に描かれているのはプラトンとアリストテレス。プラトンのモデルはラファエロにとってのプラトンであったレオナルド・ダ・ヴィンチ。
そしてこれは最終的には「慣れ」ということにつながっていくのです。
シン・メンターでお馴染みの文章ですね。
上方の世界というのを情報、もとい抽象度の高い情報空間と理解すると良いと思います。
(引用開始)
だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというのものがどうしても必要だろう。ーーまず最初に影を見れば、いちばん楽に見れるだろうし、つぎには、水にうつる人間その他の映像を見て、後になってから、その実物を直接観るようにすればいい。そしてその後で、天空のうちにあるものや、天空そのものへと目を移すことになるが、これにはまず、夜に星や月の光を観るほうが、昼間太陽とその光を見るよりも楽だろう。(プラトン「国家」516A)(引用終了)
c.f.「神さまを味方につける」ための簡単な気功術とは何か? 2016年02月01日
c.f.だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというのものがどうしても必要だろう。 2018年01月22日
c.f.だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというのものがどうしても必要だろう。 2019年10月04日
ソクラテスが、そしてプラトンが言いたいのは、我々は視覚をすでに持っているということです。
その目を何に使うかが、そしていかに戦略的に自分にとって好ましい場に移動させていくかが重要だということです。
この方法については、幾度も繰り返していますが、丁寧にじっくりとがポイントになります。
たとえば、まといのば講座「未来から来たドラえもん」では、こんな引用を紹介しました。
(引用開始)
早急にスキルを伸ばそうとするのではなく、園芸家のようにじっくりと辛抱強く取り組もう、そして、一つひとつの部分が全体をつくっていくことを確信し、大工のように着実かつ戦略的に取り組もう。(ダニエル・コイル『才能を伸ばすシンプルな方法』)(引用終了)
ニーチェの天才論を思い出す人も多いでしょう。
c.f.多くの天才は子供のころに周囲の人から才能を見落とされ、人知れずスキルを伸ばす。 2019年08月08日
ニーチェが言いたかったのは、「一つひとつの部分が全体をつくっていくこと」の確信でしょう。
これはジョブズのConnecting the dotsとも関係します。
ミケランジェロはピエタを傑作だと褒められたときに、即座に否定してこう言ったと言われます。
「私が技術を身につけるのにどれだけ苦労したかを知っていれば、そんなにすばらしいものではないだろう」
ピエタは稀に見る傑作だと称賛されたが、本人はこれを否定した。
「私が技術を身につけるのにどれだけ苦労したかを知っていれば、そんなにすばらしいものではないだろう」(ダニエル・コイル『天才はディープ・プラクティスと1万時間の法則でつくられる ミエリン増強で脅威の成長率』)
c.f.私が技術を身につけるのにどれだけ苦労したかを知っていれば、そんなにすばらしいものではないだろう 2019年09月03日
c.f.だけどそんな都合のいい方法はない。近道なんてなかった。足掻くしかない。今の自分ができる精一杯で 2020年12月04日
我々は園芸家のように、大工のように、じっくりと辛抱強く、着実かつ戦略的に生きる必要があります。
(なぜもっとエフルラージュに執着しないのだろう、なぜもっと肩を下げることに執着しないのだろう、なぜもっと教師の言ったことを神託のように大事に聞かないのだろう、といつも思いますw)
(たとえば、動画教材を繰り返し視聴し、子供の遊びのように真剣に楽しんで気功に取り組めば数年ですごい成果が勝手についてきます)
今回はこの話をするつもりではなく、この話を皮切りに、最近のセミナーで繰り返す「固有値、固有ベクトル」の話をするつもりでした。脱洗脳にせよ、内部表現書き換えにせよ、術者にとっては不可欠な視点です。
固有値が動くと思うから、いつまでやっても結果が伴わないのです。固有値を動かすことを諦めれば、世界は動き始めます。
【脱洗脳&ゴール設定スクール 〜「内部表現書き換え」のリアルな風景〜】
【日時】 12月18日(土)13:00〜18:00
12月19日(日)13:00〜18:00
【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】 230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)
【受講資格】 「まといのば」のセミナー受講生、メンター生・修了生
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具、動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちら!!(フォームメーラー)