プラトンのイデア論における洞窟の比喩は、情報空間と物理空間の関係を考える上で示唆的です。
洞窟という名前の映画館に生まれおちた瞬間から人々がいます。
その人々はシートベルトのようなもので縛られ、後ろや横も見れないように頭も固定されています。
スクリーンだけを見せられます。
子供の頃から生涯、スクリーンだけを観ているので、スクリーンにうつるものがすべて実在だと確信しています。
しかし、それは映写機が創り出す影です。
極彩色の影でしかありません。
これが我々の世界の姿であると、プラトンの筆を借りて、ソクラテスは言います。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180122/19/matoinoba/72/3c/j/t02200147_0424028314116963366.jpg?caw=800)
*柔軟性やストレッチなどの「上方の世界の事物」もまた、方法論が正しい限りは「慣れ」でしかないと思います。方法論を誤っている場合は、繰り返し身体を悪い意味で破壊しているだけですが。
映写機ではなく、影絵のようなものだとしたら、そして光源が映写機のライトではなく、炎であったとしたら、そのままプラトンのイデア論です。
影絵の本体は自分たちの後ろにあり、そこを人が通ったり、ものが通ったりしています。
そしてその影がスクリーンならぬ、洞窟深くの壁に映されます。
そして洞窟の中の人はその壁に映された影を実体だと考えます。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180122/19/matoinoba/69/9c/j/t02200143_0430027914116965563.jpg?caw=800)
*VRの時代になればなるほど、このプラトン(ソクラテス)の喩えはリアリティを増すと思います。
進んでVRに入り、出てこない人はたくさんいるでしょう。マトリックスの世界と分かってて、それを楽しんだ裏切りのユダのようなものです。
プラトンというかソクラテスの提言はシンプルです。
自分を縛る縛(いまし)めを解(ほど)いて、映画館の座席から立ち上がり、後ろへ歩もうということです。
そのときおそらくは炎の光は猛烈に眩しすぎると思います。
スクリーンを観ていたのに、唐突に直接光源を見るのは大変です。
月がスクリーンだとしたら、太陽は光源です。太陽の光を反射している月を見るのは容易ですが、太陽を直接見るのは至難です。それと同じことが、洞窟でも起こります。
じゃあ、どうすればいいか??
長いこと洞窟の壁にうつる淡い影を眺め続け、それに自分は適応してしまったので、炎なんか見れないと諦めるべきでしょうか?
それとも、まぶしいのは気のせいだと自己催眠をかけるべきでしょうか?
どちらも間違っています。
ソクラテスはシンプルにこう言います。
ここに僕はソクラテスのプラグマティズムを見るように思います。
ちなみに前提を確認しましょう。
この議論での、ソクラテスの結論はシンプルです。
我々は壁に映った影も見ることができるし、炎も星も太陽も見ることができるのです。そのための眼をすでに持っているということです。
ただその活用法を知らないのです。
ですから、正しく眼を使うための方法を教えよというのがソクラテスの教育論です(イデア論の話しなのではなく、教育論というのはこの点です)。
我々は理性をあらかじめ持っていると言い換えることもできますし、我々は全抽象度に存在するとも言い換えられます。
デカルトは、「ボン・サンスは万人に平等に分配されている」と言います。
ポイントは全員が真理なり、イデアに至る眼を持っている。ただ眼を活用するために「教育」をするということです。ですから、何かを教え込むのではなく、心の使い方(眼の使い方)を教えるというイメージです。
で、その前提はさておき、ソクラテスはこう言いました。
だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというのものがどうしても必要だろう。
え???
え??
え?
慣れ??
そう、慣れなのです。
ソクラテスが語るコツは「慣れ」なのです。
抽象度を上げろとか、自己催眠せよとかではなく、シンプルに教えてくれます。
慣れよ、と。
これはまさにその通りと思います。
シンプルですが、強烈な教えです。
いまは、「無理」と思っても、慣れればなぜかできるようになるのです。
だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというのものがどうしても必要だろう。ーーまず最初に影を見れば、いちばん楽に見れるだろうし、つぎには、水にうつる人間その他の映像を見て、後になってから、その実物を直接観るようにすればいい。そしてその後で、天空のうちにあるものや、天空そのものへと目を移すことになるが、これにはまず、夜に星や月の光を観るほうが、昼間太陽とその光を見るよりも楽だろう。(プラトン「国家」516A)
ちなみに、ゴールを見つけることができて、ゴールをきちんと設定できて、それに向かって爆走している人は、すべてがWant toなので、人生はバラ色で、いつもワクワクですよね、、、と思っている人がいます。
そんなわけ、、、ないですよね。。
映画館で立ち上がった時、立ちくらみを起こし、後ろを見た時に、まぶしさに目がつぶれたかたと思うでしょう。
それに慣れても、もっとまぶしい光が目を突き刺し続けます。
自分の臨場感をゴールの世界に移動させるということは、いつもがアドベンチャーなのです。ストレスフルな世界です。ですので、ワクワクなのではなく、ドキドキであり、苦しみです。でも、それも含めたWant toの世界です。
何も悩みもなくなり、ストレスもなくなるとか不思議なことを言っている人もいるかもしれませんが、、、、まともに理論を考えれば、もしくは本人が体験してきたら、そんなことが無いことは百も承知でしょう。
ヒーラーもコーチも、「私は君にRose Gardenを約束した覚えはない」と言わなくてはいけないのです。
そもそもストレスなき自己成長というのは、過負荷なき筋肥大なものです(むしろわかりにくい)。
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20180112/15/matoinoba/98/96/j/t02200147_0424028314110478906.jpg?caw=800)
*食事に気をつけず、運動もしないで、毎日たった30分だけお腹に電気を流すだけで、この身体に!!ってそんなわけありません。
情報空間でも自己成長でも同じです。でも身体に関しても、成功哲学に関しても詐欺師の甘言にだまされるのです。
ストレスには良いストレスと悪いストレスがあるのです(当たり前ですが)。成長をもたらしてくれるストレスは刺激であり、過負荷であり、環境の変化です。環境が変わるから、それに適応しようとホメオスタシスが働き、そのホメオスタシスの働きで、内部表現が書き換わり、成長し、その副産物として成功するのです。
その環境が過酷であればあるほど、すなわちストレスに満ちていればいるほど、急激に内部表現は書き換わります。
急激に暑くなれば、急激に汗をかきますし、急激に寒くなれば、全身はふるえます。
そして、環境の変化はたしかにストレスですし、それが情報空間となれば、相当にストレスです。
しかし、そのときの合言葉は、、、、、、
慣れ
です。
慣れましょう。
だから、思うに、上方の世界の事物を見ようとするならば、慣れというのものがどうしても必要だろう。
慣れというのは第一にどれだけの反復したか、どれだけ単純接触したか、どれだけ臨場感を上げられたか、それだけですので、まあ「慣れよう」と思えば慣れます。ここらへんが上手な人は加速学習も上手です。
自分の脳の形を変えるイメージで、環境に適応させてしまいます。
まあ、ともかく慣れましょう。
肌に突き刺すような痛みを感じる自分の理想世界に慣れましょう。
【動画紹介】
ニックハノアーのTEDレクチャーです。
セミナーやメンターのセッションで紹介したプルートクラット (超富豪 政治権力者)です。
いわゆる上位0.01%の富裕層の一人ですね。猛烈な金持ちです。
普段は表に顔を出すことがない人々なので、臨場感を得るには有効です。
プルートクラットが鬼か悪魔か何かだと勘違いしている人には見えない世界があります。同じ人間です。
ただ彼らが慣れようとした世界が存在し、それが彼らを大金持ちにしたことは事実でしょう。