「次のステップは何ですか?」とよく聞かれます。
気功を学ぶ上で、自分はどの位置で、次はどんなレベルですか?と。
結論はシンプルです。
次のステップなど無いので、いま手にしたものをひたすらにやってください。
(もちろん便宜的なステップとか、発達の段階はあります。でもそれは便宜的なものです。重要なのは、知的好奇心の赴くままにただひたすらに続けることです。面白がることです)
たとえば、「この共感覚を鍛える中で、陽炎のような蜃気楼のような気がうっすらと見えるようになりました。で、この次のステップは何ですか?何をすればいいですか?どこを目標にすればいいですか」と。
「次に(先生に)お会いできるまでに、どこまで成長すれば良いですか?」と。
たとえば、「ペットボトル気功が分かりました!」「結果が出てくるようになりました!」「次は四獣結界でしょうか?」みたいな感じです。
次のステップは何でしょうか?
いま自分はどこにいるのでしょうか?
と。
いや、もちろんそうやって聞きたくなる気持ちは分かります。
でも、それは全く無意味なのです。
映画MatrixでモーフィアスがNeoに言った言葉を思い出します。
Neo, sooner or later you’re going to realize, just as I did, that there’s a difference between knowing the path and walking the path.― Morpheus(映画『マトリックス』)
(ネオ、遅かれ早かれ、お前も理解するだろう、俺のように。
道を知ることと、その道を歩くことは違うと)
*ネオというのは、キアヌ・リーブス演じる主人公のこと
c.f.遅かれ早かれ知るであろうが、道を知ることと、実際に歩むことは全く違うものだ(マトリックス) 2019年09月18日
知るのと、歩くのはまた別なのです。
ですから、我々がフォーカスすべきはニーチェです。
いや、ニーチェの言葉です。
*「叫び」のムンクが描いたニーチェ
天賦の才能について、持って生まれた資質について話すのはやめてくれ! わずかな才能しか持たなかった偉大な人間はたくさんいる。彼らは偉大さを獲得し、『天才』(いわゆる)になったのだ。実体を知らない人々が褒めそやす資質を欠いていたからこそ。いきなり全体像作りにかかる前に、適切な一部を組み立てることを最初に学ぶ有能な職人のごとき真面目さを、彼ら全員がそなえていた。彼らはそのための時間を取った。なぜなら、華やかな全体像よりも、あまり重要でない小さなものを作ることのほうが楽しかったからだ。
いや、きっと読解するには長過ぎる文章でしょうw
現代人は一単語にしか反応できないくらいにパブロフの犬にされたので、本を読み通すことが奇跡のようになり、SNSで短い言葉で「寸鉄人を刺す」応酬のみが知性だと思われています。
それは論争というよりほぼ口喧嘩。声が大きい方が勝ち、下品な方が勝ちます。
我々は真逆を行きましょう。
長い長い文章をアリのように一言一句をおろそかにせずに、気が狂うほどの分析していきましょう。論争にも口喧嘩にも勝てないことは、何の問題もありません。
それよりは目の前のクライアントを書き換えられなくなることを恐れましょう。あなたを慕って、信頼してきているクライアントの役に立つことにフォーカスしましょう。
で、ニーチェの言葉があまりに長かったので、ここでシェイクスピアの「ジュリアス・シーザー」からキャシアスの言葉を引きます。
人、もし大いなる火を急ぎ起こさんと欲せば、小なる藁(わら)しべをもって始めよという。
(ウィリアム・シェイクスピア『ジュリアス・シーザー』)
小さな小さな藁しべに火を付けて、それが燃え広がりまさに燎原の火となったとします。では、いつその火は、藁しべの小さな火から燎原の火へと変化したのでしょう。いや、変化していないのです。ただひたすらに燃え広がっていっただけです。そこにステップは無いのです。ひたすらに燃え広がっていくだけです。
我々の成長もそうあるべきです。
手の周りに気がうっすら見える、指と指の間に白いものが不思議と見える、、ペットボトル気功をやれば関節がゆるむのが分かる、、、、、
これが「小さな藁(わら)しべ」なのです。
(いや、実際はとんでもなく大きな火なのですが)
繰り返しますが、見渡す限り一帯を焼き尽くす大きな炎と、小さな藁しべの火との区別はどこにあるのでしょう。
サイズは単なる現象に過ぎません。
一度、火がつけば、それを自分がかき消さない限り(つまらない見栄やプライドや焦りによって消さない限り)、火は淡々と燃え広がるのです。
それは知的好奇心と素朴な喜びを助燃剤に燃え広がるのです。
ですから、たとえば、ただひたすらに気の視覚化を続けることです。
いま自分が手にした小さな小さな喜びを大事にすることです。
このことを百万回言ったとしても、99%の人はその小さな喜びを大事にしません。
ささやかな成功を軽視します。
せっかく手に入った恐るべき技術を無碍(むげ)にします。
気功共感覚も、気の視覚化も、枷(かせ)を外すことも、ペットボトル気功の衝撃もです。
慣れてしまうことと、簡単に手に入ったものは簡単に手から離れるのです。Easy come, easy go.です。残念なことですが、それが人の心理です。確率論的な話しです。
ですからほんのわずかな人が成功します。
それはその人が優秀だからではなく、その人だけが続けたからです。楽しんで続けたからだけです。
最近は「勝ち馬に乗る」という言い方を多用していますが、たとえば「社会の枷(かせ)」を外すことに成功して、圧倒的に手首のROM(可動域)が改善したとします。その小さな藁しべの火を大切に、たとえば何度も手首の枷を外し、面白いので肘の枷を外し、肩の枷を外してしまうのが良いのです。
子供が砂遊びでどんどん盛り上がっていくのと同じです。
手首ができるようになったら、次は何をやれば良いですか?といちいち聞かなくて良いのです。好きにやれば良いのです。
ステップは無いですし、ドリルもありません。
学校ではありませんし、教育現場でもありません。会社でもありません。
自分の興味関心の赴くままに、幼子のごとくハマってくれれば良いのです。飽きたら別なおもちゃに取りつけば良いのです。
楽しんでいきましょう!!
というわけで、来月のシン・アディトレスクールも同様です!
小さな火が大きな結果に繋がります。
ささいなこだわりが、ささいな違いが大きな変化となってあらわれてきます。
医学や科学というきわめて厳密で論理的なものが、きわめて穴だらけで大雑把なものであることが観えてくるスクールとなると思います。たしかに科学は緻密なものですが、それを運用しようとすると途端にがさつさが目につくのです。
【シン・アディトレマスター養成スクール 〜時空超えて生命に回帰する〜】
【日時】 5月22日(土)13:00〜18:00
5月23日(日)13:00〜18:00
【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】 230,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)
*Zoomによるライブ受講あります!!
*動画教材(当初はZoom版、その後高画質版)によるヴァーチャル受講もあります!
【受講資格】 「まといのば」のセミナー受講生、メンター生・修了生
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具、動きやすい服装
【お申し込み】お申し込みはこちら!!
(↑Coubic)
そして今月末のまといのば講座もお楽しみに!!!!
かなりディープで面白い世界が広がります!
シン・アディトレスクールを迎えるにあたり、この講座は是非押さえておきたいです!!
【まといのば講座『パンデミックの不都合な真実〜本当の恐怖はこれから?!〜』】
【日時】 4月30日(金)19:00~22:00
【場所】 四ツ谷のセミナールーム(丸ノ内線四谷三丁目駅、都営新宿線曙橋駅が最寄り)
【受講料】 30,000円(PayPal決済可能です。請求先アドレスを記載してください)
【受講資格】 「まといのば」スクール修了生、OnLine MenTor受講生・修了生
【持ち物】 情熱とゴールと筆記用具
【お申し込み】お申し込みはこちらから!!
(Zoomによるライブ受講、そしてビデオ教材によるヴァーチャル受講も可能です!ヴァーチャルの方で希望者には遠隔伝授をします)。
お馴染みとは思いますが、以下の著書を読んでおくと、よりセミナーを楽しめると思います!!