イエスは彼に言われた、「あなたの剣をもとの所におさめなさい。剣をとる者はみな、剣で滅びる」 | 気功師から見たバレエとヒーリングのコツ~「まといのば」ブログ

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いつもは和やかな父親が、のどかな日曜日の朝に何の前触れもなく突然にキレだして、机の上にあった料理を床にぶちまける、母親はどうして良いのか分からずオロオロと泣き続ける、、、、そんなことが数ヶ月に一度繰り返される。

 

なぜそんなことが起きるのか?

 

海外ドラマのエピソードです。

 

 

それを大人になった息子が父親に聞くというドラマのワンシーンがあります。

 

「どうして突然に怒ったの?パパ?」

 

「ママが何かしたの?それとも僕が?」

 

「何か不機嫌になるようなことがあった?」

 

と。

 

(このどれでもないのが怖すぎる)

 

 

それがなぜ子供の頃に幾度も繰り返されたのか分からないのです。もちろん自分は結婚して子供もいるけれど、そんなことは一度もしたことありません。

 

父は名士であり、富豪。感情をコントロールできないわけでは無いし(できなければ成功なぞ望めませんし)、でも、あれは何だったんだろう、、と。

 

そのドラマシリーズの名前が講座の最中には思い出せなかったのですが、それがこのブログでもお馴染みのBillions(ビリオンズ)です。

 

ドロドロで面白いです。

Netflixで配信中です。

 

 

なぜそのようなことをしたのか、、、、その回答はドラマを幾シーズンも見ていくか、もしくは教材のヴァーチャル受講をご購入くださいw

 

何というか、また一つA.T.フィールドが外れるというか、スコトーマが外れるというか、世の中のカラクリが観えてくると思います。

 

 

都が「感染対策」と銘打って「抜き打ち点検」を飲食12万店にするようなものですね(*^^*)

 

(引用開始)

東京都は12日、新型コロナウイルス対策の特別措置法に基づく「まん延防止等重点措置」の適用開始に合わせ、都の職員らが都内飲食店を原則抜き打ちで訪問して感染対策の状況を確認する個別点検を始めた。重点措置の対象外地域も含め、都内全域の飲食店約12万店で実施する。

(引用終了)

 

僕らは呪術とやらを扱う厨二病的な集団ですが、社会の方がはるかに呪術的だと感じますね。

 

都の職員が自粛警察ごっこをボランティアでやるならともかく(いや、それも問題ですが)、そのお金はどこから出てくるのでしょう。そして、彼らはその費用対効果はなどは一切考えなくて良いのですから、政治というのは素晴らしい。人の金を好きに使っても誰も罰しません。

彼らが考えるべきは、単純に権力の拡大だけです。そしてそれは今回の大騒動で、とても成功しています。

 

でも、

 

剣をとる者はみな、剣で滅びる。マタイ26:52

 

とイエス様も言いました。

 

その因果応報を信じて、僕らは僕らの剣をおさめましょう。

 

科学を悪用して、旧帝国大学の教授になったとしても(旧帝大の中で移動したとしても)、手が血に染まっていては、いくら知性が無さすぎて、そのことが正確に理解できないとは言え、目覚めは悪いのではと思います。

 

(引用開始)

ピラトは言った、「それではキリストといわれるイエスは、どうしたらよいか」。彼らはいっせいに「十字架につけよ」と言った。

しかし、ピラトは言った、「あの人は、いったい、どんな悪事をしたのか」。すると彼らはいっそう激しく叫んで、「十字架につけよ」と言った。

ピラトは手のつけようがなく、かえって暴動になりそうなのを見て、水を取り、群衆の前で手を洗って言った、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」。

すると、民衆全体が答えて言った、「その血の責任は、われわれとわれわれの子孫の上にかかってもよい」。(引用終了)(マタイ27:21−25

 

 

ピラトにとっては、大衆の反逆は降って湧いたような災難です。彼が記者会見を強行したわけではありません。

強行した方が仮にいたとしたら、「この人の血について、わたしには責任がない。おまえたちが自分で始末をするがよい」とは言えないはずです。どれほどそれらしい議論をしたところで、自分がしたことは身体に刻印されるでしょうし。

 

とは言え、僕らとしては彼らをこのように糾弾するのではなく、ギリシャの神々に翻弄される虫けらのような人間と同じですので、神々の動向(とその論理)を正確に把握して、次を予想することです。

 

そしてその予想の枠内でいかに最適解を探すかがポイントになります。

この予想について語ったのが昨年のMadMax講座でした。

 

とは言え、「社会がおかしい」とか、「為政者が狂っている」とか、「世界が狂気に沈んでいる」と言ったところで、何も変わりません。それに、、、、おかしいのも狂っているのも沈んでいるのも今に始まったことではなく、古来より変わりません。

 

そして、僕らにとって、良くないのは、論争という名のただの口喧嘩に巻き込まれること。

それは言葉や文字や論理に対する冒涜です。

 

 

なぜなら、僕らが生きている世界は(いや、かつてもそうでしょうが)「1984」と変わりがありません。

そのような1984的な言語空間で、口喧嘩をしても、それは言語に対する背信行為なのです。

 

 

*すごい面白いわけでもない退屈で凡庸な小説ですが、いわゆる古典の一つですので、目を通しておきましょう。理想的には、子供の頃に読んで、うなされるほどに恐怖してトラウマになるのが一番です。

 

 

僕らの世界は1984よりも分かりやすく、1984です。

 

1984の小説の世界では、Big Brotherの率いる党のスローガンが至るところに貼られています。

 

戦争は平和である (WAR IS PEACE)

自由は屈従である (FREEDOM IS SLAVERY)

無知は力である (IGNORANCE IS STRENGTH)

 

これは、言い換えれば(というか、論理式っぽく書けば)、

 

戦争=平和

自由=屈従

無知=力

 

ということです。最後の一つだけは、説明がおそらく必要でしょう。

逆に上の2つは明らかに逆の意味のものがイコールで結ばれています。

3つ目に関しては、ご承知のとおり「Knowledge is power(知は力)」(フランシス・ベーコン)に対するアンチテーゼとしてあります。だから知は力に対して、無知は力なのです。

 

そう考えると、明らかに

 

A=¬A(エーイコールノットエー)

 

という命題をビッグ・ブラザーは我々に強制しているわけです。

 

そして、BIG BROTHER IS WATCHING YOU(ビッグ・ブラザーがあなたを見守っている)と囁(ささや)かれ続けます。

 

戦争は平和である、自由は屈従である、無知は力である、、、に続けて、要請は命令である、任意とは強制である、と続きます(笑)

 

要請に従わないのであれば、弁明せよ、という悪代官もいます。

要請という「お願い」は、命令なのです。

そして奉行所に罰金刑を課すように代官は言い募っています。

 

 

このような言語空間に住んでいると、頭の良い人から順に論理的思考が破壊されていきます。

 

なぜなら A=¬Aという命題を受け入れなくては、共同体から追放されるからです。この追放というのがポイントです。政治的動物(アリストテレス)であるところの我々は、共同体からの追放はそもそも死を意味しています。その感覚が我々の遺伝子にビルトインされています。

ですから、たとえばかつては脱藩は死を意味し、親からの勘当も死を意味し、シカトや村八分も死を意味したのです。

 

死ぬくらいならば、意味不明な矛盾を、無理矢理に真として受け入れようとするのです。

 

余談ですが、頭が良いのに、このような不条理命題を次々と飲み込むことに長けた人が、社会の中枢で働くことを許可されます。ですから、その人達が操る言葉がどんどん空虚になります。

そしてその空虚になった言葉に、情動の臨場感をぶら下げることで、意味をもたせたふりをするのです。

まずい食材に、精製されたむき出しの糖や脂肪や旨味辛味を放り込んで、ベタベタと色を付けて、香料を足して、料理っぽい餌を作るのに似ています。

 

言葉にリアリティーが無いのです。

文字通り、何も無いのです。

 

「それって言葉だよね」という現象が起こるのです。

 

それに気付いたカルカッタのシスターがこんな告白をしています。

 

それらは単なる言葉であって、わたくしには何の意味もありません。

 

 

まさに、多くの人にとって、多くの言葉は単なる言葉であって、意味が無いのです。

でも臨場感が無駄にあるので、意味があるような気がしてしまうのです。

その臨場感はリアルであることから来るのではなく、情動から来ます。

ですから情動を煽るような、対立を煽り、怒りを煽るように誘導します。

 

 (引用開始)
わたくしの魂の中で神の場は白紙です。わたくしの内に神は存在されません。神を欲する痛みが非常に強いので、わたくしはただただ神を求めるのですが、わたくしが感じるのは、神がわたくしを望まれないことです。神は不在です。天国、人びとの魂、それらは単なる言葉であって、わたくしには何の意味もありません。(引用終了)(p.344マザー・テレサ『来て、わたしの光になりなさい』)

c.f.♪この支配からの卒業、闘いからの卒業♪憑依と沈黙とスノーデン「神は不在です。神は私を望まれない」 2017年02月24日

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言葉に意味がない、もしくは言葉に臨場感がない例として、マザーテレサを引用するほど悪趣味なことは無いことは重々承知ですが、それでもこれは一緒に考えて欲しいと思っています。

 

で、この無意味な文字による壁。その文字は無意味で空虚だからこそ、文字が文字を呼び、網の目が急速に広がり、巨大な壁を構築します。そしてその壁の中が世界だと、勘違いさせるのです。

 

我々はその大きな壁のスキマから向こう側の世界へ行きたいのです。

 

 

そこには異形の巨人が跋扈しているかもしれませんが、そのカラクリというかシステムもまた知りたいのです。

 

それらができる人が真にヒーラーやコーチ、メンターと言った職業の入り口に立てるのではないかと思っています。

 

今週末のメンター養成スクール、そして月末のまといのば講座、どちらもお楽しみに!!!!